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「憂鬱って、楽なものです」

「憂鬱って、楽なものです。生きるためにしなくちゃならないあれこれに気を回さず、ただ漫然と世間の向こうから迫ってくる何ものかに耳を澄ませていればいいんですから。彼らが一様に悲愴な顔をしているのは、そうでもしていなけりゃ周りが納得しないからなんです。(…)」
平山夢明『メルキオールの惨劇』
怠けて、楽をして、憂鬱に逃げ込むようなことはせず、骨が折れても、朗らかに。

ということですね。




by tenki00 | 2010-10-20 20:30 | etc

ポータブル化

iPhoneて、いろんなことが出来るんですね。


by tenki00 | 2010-10-19 20:00 | pastime

千倉へ

南房総・千倉の花の谷クリニックに遊びに行ってきました。

もう15年目なんですね。いつ行っても気持ちがいい。

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スタ吉は、老境の貫禄。

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ストロベリー・グアバの木からもいだ実。とてもおいしい(はじめて食べる味)。おみやげにもらってきた。


文藝春秋2010年10月号の「安心して死ねる病院ベスト10」に花の谷クリニックのことが掲載されている。たしかにホスピス機能はあるものの、この括りは、ちょっと違和感がある。院長の伊藤さんもそうだろう。




by tenki00 | 2010-10-18 12:18 | pastime

心のなかの床の間に

昨日の話の続きです。

承前・刺さる

媒介であることをやめるというのは、句それ自体が、「イコン」のように輝いて、≪心のなかの床の間≫に、すっと立つという感じです。

感じってだけです。すみません。

この「イコン」は、宗教的(キリスト教的)意味は排除して考えていただきたい。英語風に「アイコン」でもよいです。床の間のすばらしい「置き物」でもいいんです。前にどこかで使った、ホログラフィーみたいなイメージでもあります(平面じゃない)。

私の≪心のなかの床の間≫には、いくつもの句がイコンのように立っています(時によって編成が変わることもある)。

例えば、

  かもめ来よ天金の書をひらくたび

燦然と突っ立っています。で、これ、何かを媒介しているでしょうか? 何かを描写していますか? 何か素晴らしいもの(この句の外にあって、この句が表しているもの、意味されるもの)を私たちにもたらしているのではない。〈媒介〉なのではない。これ自体が輝いている。

(作者名は、イコンに含まれなくてもいいんです。ご存じのように三橋敏雄ですけどね)

あるいは、

  がんばつてゐる噴水の機械かな

これ、何かを描いているでしょうか。伝えているでしょうか。そうではなくて、この句自体が、私たちの意識のなかに突っ立つ。(作者は岸本尚毅)。

というわけで、ぜんぜん説明できていないのですが、ナイスな句とは〈媒介〉ではあり得ない。それ自体が〈それ〉となるようなシロモノだと考えているのです。




by tenki00 | 2010-10-15 21:20 | haiku

刺さる

あ、そうそう、上田信治さんの「フェイク俳句について」(週刊俳句・第181号)のなかの、この部分

  天気さんの言う「俳句は媒介ではない」という事態

これ、ツイートからの換言で、私のオリジナルが言葉足らずなのだ。少し補足が要る。

俳句は媒介ではないというのではない。句が媒介ではなくなることがあるということです。

媒介である句、媒介に過ぎない句はたくさんある。簡単に言えば、景色や物事を描いて伝える俳句。それがもし、よく出来ていたとしても、それなら元の景色や物事を見れば済むんじゃないの?という句。

例えば、いわゆる「写真+俳句」の愚かさは、このへんにある。描くこと・伝えることが最終目的になっている。写真も俳句も、ともに。

写真にしても、カレンダーによくあるような、きれいな景色がきれいに映っている凡庸な写真って、よくあるでしょう? そこには「プンクトゥム」がない。

つまり、私が言いたかったのは、俳句が媒介であることをやめて、プンクトゥムが備わったとき、特別な句、ナイスな句、すばらしい句になる、といった感じ。

プンクトゥムは「刺さる」ということです。「この句、刺さる」という。「刺さるとこがある」という。

だから、どの句も「刺さる」わけではありません。私(たち)は、その「刺さり」との出会いをもとめて、というか、ときどき「刺さり」を経験できるからこそ、俳句を読んでいるわけです。




by tenki00 | 2010-10-14 22:00 | haiku

はがきハイク 第2号

創刊号が7月だったので、季刊ペースで第2号。昨日の晩から、投函しています。

(到着はばらけます、きっと。御海容ください)

私のほうからは、創刊号のときに声をかけていだたいた皆様、それから俳誌や句集を御恵贈いただいた方々にお送りしましたが、遺漏がありそうです(来ないぞ、という方、また、もらっていただける方は、気軽に御連絡ください(tenki.saibara@gmail.com)。



by tenki00 | 2010-10-13 22:00 | haiku

平成プラグマティズム

俳句樹」第2号がリリースされた。第2号が出れば20号は出るだろう。20号が出れば200号まで行くだろう。

で、この第2号では、筑紫磐井氏による「長編・「結社の時代」とは何であったのか」がおもしろい。

長編とことわってあるので、ちょっと数えてみると、(アキを分量に含めて)原稿用紙およそ50枚だった。

タイトルにある「結社」についてより、むしろ、俳句総合誌(角川『俳句』)の「平成スタイル」の確立(いまも続いている)が実証的に記述されており、そこには、「実用」というキーワードが読み取れる。

同時に、俳句をつくることに重点が置かれ、「読むこと」、さらには「読者」が置き去りにされていった過程とも読める。

この記事、『俳句樹』第2号の目玉。



そういえば、故・山本勝之が、エロ媒体(古くはエロ本)が、急速に「実用」の機能をもっぱらにし、例えばかつてはあったはずの「ロマン」の入り込む余地がなくなった、といったことを言っていた。すべてが実用へと傾斜していく世の中なのかもしれません。




by tenki00 | 2010-10-12 22:00 | haiku

読んでもらえるだけで丸儲け

拙9句について、リアルにはまったく面識のない方から「フィクショナブル」との御言葉をいただき、ネット上では数多くのやりとりがあって、一度きりお目にかかったことのある方から、「人情映画の予告編」との御言葉をいただき、リアルでもよく存じ上げている方からは「仕掛け」を指摘された。

実態をご存じない人が「フィクション」の匂いを嗅ぎつけていらっしゃる。

自分としては、狙いがほぼ当たったと解してよい(句の出来は置いておいて)。妻と私の共通の知人の目に触れる可能性があり、さらには、mixiその他、ネット上ですでに「結婚生活の四季」の情報を、どの程度脚色しているかは別にして、曝しているわけで、いわば、事実についての予見を前提に、フィクションとノンフィクションの色合いを重ねたようなもの。それが目指すところであったわけだから、ある程度、それは達せられたと解し、喜ぶべきなのだ。

まあ、しかし、句は、何名様かに読んでもらえるだけでも幸せなのだから、もう、のっけから、この9句は幸せなのでありました。と、すごい一般論。




by tenki00 | 2010-10-12 00:33 | haiku

紙芝居を

やってました。大学通り、スタバの前あたりで。
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携帯電話の写真、よく撮れるけれど、画面がシャリシャリした感じになりますね。




by tenki00 | 2010-10-11 00:30 | pastime

ちょっとフェイキーな夜 ツイッター風の断章

たいそうおもしろい。≫上田信治・フェイク俳句について(週刊俳句・第181号)
http://weekly-haiku.blogspot.com/2010/10/blog-post_9580.html

(以下断章。まちがっても真に受けないように)

私自身はフェイクであることに痛痒を感じないし、居場所を求めてもいない。なにか書くとき〈私〉を措定(仮定)する作業を、無意識のうちに、しているに過ぎない(みんな、しないの?w)。

読んでくださる人には、「ホンモノの私」っぽい〈私〉をサービスすることもしますし、「じつはそうじゃなかったりして」の〈私〉もサービスします。サービス精神がすごく旺盛。

いや、そうじゃなくて、「ホンモノの私」っぽい〈私〉こそが、俳句で約束されたサービスなんだよ、と言われてしまえば、あ、そうなんですかと言うしかないが。

でも、ちょっと待てよ。俳句=ゲームと、枠組を仮定しておきながら、〈私〉の部分だけは、枠組の外にある「社会的事実」としての作者を、担保のように前提とするのは、ちょっとおかしくないか、という気も。

読む側からいえば、句のなかの〈私〉は、作者と細い糸でつながっているかもしれないし、いないかもしれない、という前提で読んではじめて、句のなかの〈私〉が、どこの誰でもない〈私〉となって、そこにある感興が一般化されるのではあるまいか、などとも考えたりして。

原爆や東京大空襲を見てきたようなウソをつこうというのではないのだ(そういう野蛮なウソのほうがむしろ承認済みのようだけれど)。もうちょいデリケートなウソ。

けれどもしかし、信用は、市場が決めるもの(金融と経済の原則)。だから、信用を置けないと言われたときに、あえて「いいえ、ぜんぶ実話です」と言ってもムダ。したがって、(自分の句のなかで)〈私はウソしか言わない〉というシンプルなパラドクスを、〈あなた〉にプレゼントします。




by tenki00 | 2010-10-10 21:00 | haiku