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『週刊俳句』読者は何処?

週刊俳句』読者・地域分布(国内に限る)  google analytics による
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アクセス元・上位10都市

1.Shinjuku
2.Shibuya
3.Nakano
4.Kyoto
5.Hodogaya
6.Setagaya
7.Suginami
8.Saiwai
9.Chiyoda
10.Matsuyama

松山が10位に入っているのは、さすが!というべきでしょう。
大阪、がんばれ!


で、Saiwai って、どこ?
by tenki00 | 2008-02-17 18:30 | haiku

俳句の不思議02 四温?

三寒四温ならわかるけど、四温て、なにそれ?

俳句では「四温かな」とか、よく見かけます。省略ということでしょうか? 「十中八九」を「八九」とか? 「神出鬼没」を「鬼没」とか?

勝手にバラすなよー、という話です。


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by tenki00 | 2008-02-17 01:02 | haiku no fushigi

オスンチの時代

オンライン句会のお知らせ。ふたつ。

もう124回ですか。9の付く日のメール句会「オクンチ」は19日〆切。
http://www3.ezbbs.net/03/0123/

余談ですが、むかしむかし、オクンチがまだファクスだった頃、男性限定参加の「オスンチ」というイベントを催したところ、当然ながら、女性から大不評を買いました。名称先行だったことは否めませんが、『現代俳句キーワード辞典』(夏石番矢)掲載のキーワードを、アタマから順に題詠していくというスタイルは、なかなかおもしろかった。

mixi加入の方は「俳句まみれ」。ウィークリーで回っています。
http://mixi.jp/view_community.pl?id=1807363



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by tenki00 | 2008-02-16 10:40 | haiku

俳句漫遊記121 ちょうどいい大きさの不思議

菊田一平さんの句は、なにげない。だから気持ちがいい。

  空を行く二百十日の紙袋  菊田一平

       菊田一平第二句集『百物語』(角川書店2007年12月)より

二百十日だから、風も吹く。紙袋が空を飛んでいっても不思議はない。でも、この景は、気持ちがいいのだ。「空を行く」紙袋には、びっくりするほど大きな不思議はなくても、ちょうどいい大きさの不思議がある。ちょうどいい大きさの驚き、ちょうどいい大きさの興趣がある。

一平さんとはたまに句会をご一緒する。二次会になると、おもむろに鞄から短冊が出てきて、袋回しとなるのがもっぱら。即吟力は絶大で、いわゆる手練。だが、手練という呼称につきまとう、ややお下品な感じが、一平さんの句にはない。手練を通り越して、恬淡。

言い方を換えれば、措辞を「凝らす」という行為とは、慎ましく距離を置く、ということ。「なにげなさ」はそこから生まれる。

そのだんで行けば…

  冬満月枯野の色をして上がる

…などは、一平さんにしてはめずらしく「凝らした」句で、素晴らしい句ではあるが、一平さんらしくないともいえる。

でもね、俳句愛好家のほとんどは、措辞を凝らそうにも、それだけの腕前はない。手練どころか、そのはるか手前でジタバタしているわけです。一平さんのことを「俳句がすごくじょうず」と評しても、本人はまったく嬉しくないかもしれない。けれども、「じょうずな俳句」が読者にもたらしてくれる悦楽は、依然として大きい。

「腕っこき」の一平さんに、作者の端くれとして畏敬の念を抱きながら、読者として、いつまでも愉しませていただく気でいる。


そのほか気ままに。

鳥のごとうさぎ数へて春待てり
花すでに散りて大きな桜の木
サンダルのかかと余して水中り
頼朝の首を抱へてゐる菊師
よく軋む四万六千日の椅子
千代紙の猫の百態秋深む
さみだるるわけてそねさきあたりはも
空箱を重ねてメリークリスマス
魚は氷に上りて月の佃島
ふるさとの夜は暗いよ牛蛙
秋晴の鼻がむずむずしてゐたり
たちまちに夜の来てゐる案山子かな
しばらくを冷たき石に座りをり
鎌倉に当り散らして冬の雷
大歳の引けばかたかた厠紙



なお第一句集『どつどどどどう』からの一句は、次の過去記事▼
http://tenki00.exblog.jp/778828



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by tenki00 | 2008-02-15 21:33 | haiku-manyuuki

大阪 reprise

また始めてみるざんす。blogランキング→クリッククリックゥ~

  *
一度いじった手前。

大阪府知事選については、有権者の政治システムに対する無根拠な楽観(「誰がなっても、何とかなる」)と無根拠な悲観(「誰がなっても、どうにもならない」)のアマルガムが表出したものであり、その選択の根拠がいずれも「無根拠」という点で、評価することのむずかしい選択である。(…略…)このあと数ヶ月以内に、メディアは集中豪雨的に橋下知事のスキャンダルと政治的無策に対する攻撃的報道を開始するであろうし、有権者の多くはそれを期待している。「持ち上げて」から「落とす」のはテレビ視聴者のタレントに対する基本的な態度だからである。おそらく、それからあとの残任期間、大阪府政は長い停滞を余儀なくされるだろうが、それを代償に差し出しても、府民は「目先のスペクタクル」を選択したのである。
内田樹 http://blog.tatsuru.com/2008/02/12_1607.php より

大阪、あるいは近畿地方の「空気」というもの、正直言って、ここ東京西郊までは届いてこない。
by tenki00 | 2008-02-13 21:04 | pastime

記憶の穴

用あって過去ログを遡っていたら、こんなものが。

クリッククリックゥ~

なつかしす。
by tenki00 | 2008-02-12 23:09 | pastime

俳句漫遊記120 大阪

大阪煙るカレーの皿と顔離せば  林田紀音夫

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週刊俳句連載中の野口裕「林田紀音夫全句集拾読」、滋味深い。
by tenki00 | 2008-02-12 10:52 | haiku-manyuuki

俳句の不思議01 句集に帯?

1年に1回出る「豆の木」誌に、参加全員、同テーマで短文(80字くらい)を書くコーナーがある。今年のテーマは「俳句で不思議に思うこと」。むずかしいテーマだったが、なんとか書いてメールした(こしのさん、編集作業、お疲れさまです)。このテーマ、このブログで連載形式にしてみようと思い立った。書き残したことがあるというわけではないのだが、なんとなく。

で、第1回は、句集に付いた「帯」。


「腰巻」とも言う。本のカバーの外側、下方に巻き付けられた「帯」。ほとんどの句集に付いてます。

帯は、広告のスペースです。「この本はこんなにおもしろい、だから、めくってみて! 買って!」というメッセージを、この部分に詰め込みます。カバーではなく、わざわざ別に帯を付けるのは、直接的な広告メッセージをカバーに刷るのは、ちょっと気が引けるから。少々下品にもなります。

すぐにサシカエがきくというメリットもあります。例えばセールスが伸びたら、急遽、帯に「何十万部突破!」の字を刷る。文学賞を穫ったら、同じく急遽、帯に「ナントカ賞受賞!」と刷って、刷り増しに新しい帯を付けて、出荷する。帯はコストも安いのでフットワークがよい。

帯というもの、役割を考えると、それは著者よりも、出版社のマターです。帯の惹句は、著者が書いたりしない。そのことからも、それは明らか。書籍本体と読者(消費者)とをつなぐ役割をになっているのが「帯」ともいえます。

ところが、自費出版の句集にも、帯が付いています。書店で売られることのない自費出版本に、帯が付くというのは、たいへん不思議です。

きっと、帯が付いているほうが「ふつうの本」ぽく見える、という視覚の問題が大きいのでしょうが、やはり不思議です。「ふつうの本」のフリをすることに何か意味があるんでしょうか?

句集の帯には、自選(主宰選)10句とかが刷ってあることもあります。これも不思議です。例えば300句を収めた句集を出版して、そのなかから10句を自分(主宰)が選ぶ。

じゃあ、10句だけ出版すれば、よかったのでは? と思ってしまいます。あとの290句は、いったい何なんでしょう?(*1)

自(他)選10句ならまだしも、帯に、惹句が刷ってあるのを目にすることもあります。

「待望の~!」なんて言われても、数百部を刷る句集を、誰が待っていたのか、それを考えると、数百人以内の世界なわけで、それはちょっと痛々しい。

「ナントカの宇宙!」なんていう、トンデモ惹句を見たこともあります。不思議を通り越して、ウルトラQやトゥワイライト・ゾーンの世界に突入させられてしまいました。

ともかく、句集の帯というのは、不思議な世界です。

どうせコストは全額負担するんだから、著者の目がすみずみまで行き届いた本に仕上げてもいいと思うのですが、どうなんでしょう。私家版でも、出版社経由でも、いずれにしても、みながみな「ふつうの本」のフリをすることはないでしょう。



なお、書店で売らないのに、バーコードが刷ってあることを不思議に思う人もいるようですが、あれは、1冊でも本屋で売れることがあれば必要なので、299冊には不要でも、やはり必要なのです。

(*1)
自(他)選10句は、実は、句集を雑誌などで紹介するとき、そこから何句かピックアップするという便利な使用に供するため、という側面もあるようです。全ページを読むことなく紹介記事を作るという横着者には、帯の10句がたいへん便利というわけです。贈呈の礼状を書くのに、これを使ってはいけません。それはとっても不埒なことです。
by tenki00 | 2008-02-11 00:44 | haiku no fushigi

名句認定

勲章をありがたがる人と、まったく興味のない人と、世の中には二通りの人間がいる。

名句にまつわる事情も、それと似ていないこともない。『俳句』2月号の特集「本当に名句? 評価の分かれる有名句」について、秀彦さんが「疑問は疑問として良いとしても、それを何人かの俳人に語らせたものを読んでそこから何を得るのか」と、問いそのものに疑義を呈していらっしゃるが(「週刊俳句」第42号)、ある句が名句か名句でないかを、重大事と捉える人と、まったく関心のない人と、世の中には二通りの人間がいる。

どっちでもいんじゃね?

後者は、そのひとことで終わる。「名句だから(あるいは、名句じゃないから)、それがどうしたと言うの?」というのが率直な感想だろう。

そういうタイプの人にとって、名句か名句でないかの議論は不毛に近い。そうでなくても、よほどうまい具合に議論が展開しないことには(というのはつまりよほど刺激的な切り口や論理構築がないかぎりは)、「結局好き嫌いでしかないようだ」(前出・五十嵐)に終わってしまう。そこから、何かが生まれることはない。

名句であるという肯定意見は、過去の称揚をなぞりがち。一方、否定の意見は、「~でないこと」の証明という労の多い作業を逃れるために、奇をてらいがちにもなろう(正面から否定する気になれないその気持ちは理解できる気がする)。

なお、この「名句か否か」企画、定期的に繰り返されているようだ。一昨年の2月号の同特集については、ブログ「かわうそ亭」に記事がある。
草田男って「ちょい悪オヤジ」という俳人(2006/02/11)


ひとつ思うのは、多くの人から「名句」と呼ばれる句のなかには、名句になりたくて生まれてきたんじゃないやい!と言いたい句も少なからずあるのではないか、ということ。

また、「名句か名句でないか」などと論じる姿を、笑っている句もあるにちがいない。ほお、みなさん、いろいろおっしゃっていただいておりますな、恐縮恐縮、ってな感じで。
by tenki00 | 2008-02-10 01:10 | haiku

かぶった

週刊俳句の haiku mp2(トップページのいちばん下の動画)は、信治さんと私で、その号をアップするほうが担当ということでやってきている。私としては、自分の週でないときは、信治さんがどんな動画をあげるのか、興味深く見ているのだが、今週第42号を見て、おっと!

http://weekly-haiku.blogspot.com/2007/06/web-20-machine-is-using-us.html


軽くかぶった。次週、鉄道特集にしようと考えていたのだ。でも、同じ鉄道でも、まったく別の感じになるに違いない。来週は、train music 2 で、かぶせてみるざんす。
by tenki00 | 2008-02-10 00:26 | pastime