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俳句漫遊記94 山本勝之

山本★人、界隈復帰記念!*****
          ※『百句会報100号記念特別号』(2006年9月16日)より転載。

街角に薔薇色の狼の金玉揺れる  勝之

俳句、この「たかだか二十数文字」(勝之談)の容れ物で、この人は何を言おうというのだろう。ここで「街角」とは、彼の歩いた、見た、駆けた、嗅いだ、女に追われた、女を追った、立ちすくんだ街角。「薔薇色の狼」とはまたなんと豪勢なイメージだ。おまけに「金玉」である。さらには「揺れる」のである。しかし、それで、この人はいったい何を言おうというのか。

それはきっと「すべて」である。しばしば彼は「すべて」を籠めようとする。ひとかたまりの言葉に、彼が手にするものの「すべて」をぶちこもうとする。

俳句をつくるとは、糸屑のごとき無用なものを針穴に通すような作業である。「すべて」など、俳句という微細な針穴に通るはずがない。だが、彼は、知ったことかと言わんばかりに、剛毅に、言葉の豊かさに向かってぐいぐいと突き進む。これでもかと突き進む。そして字が余る。言っておくが、俳句は基本的に十七文字である。

そんな彼も、近年は、おとなしく五七五に収めたりもする。巧い定型句を作って、皆を驚かせたりもする。しかし、私はいまも、彼の長ったらしい俳句を愛してしまう。市民に紛れ込み市井に身を隠すような真似はせず、豪快に詠みきっていただきたいと願うのだ。

掲句は『百句会報』第38号(2000年10月21日)所収。史実も押さえておこう。山本勝之氏の百句会初参加は1998年8月22日。会報第19号に、「エビセン二つ三つ鼻につめてみる子規忌」ほかの掲載がある。
by tenki00 | 2006-11-03 00:29 | haiku-manyuuki

「大衆性と文学性」シンポを聞いて(3) 「大衆」?

第3回です。

「遅えよ」って? あはははは、ごめんごめん。
「笑ってる場合か」って? はい、すんません。んんと、まあ、やりますわ。

で、まずもって「大衆」という語のこと。

それでは、信治さん、どうぞ。と、いきなり人に振る。
「大衆」という語は、言った瞬間その人を「エリート」にしてしまう魔法の言葉なわけですが。http://uedas.blog38.fc2.com/blog-entry-87.html より

「魔法の言葉」を使うときは、かなりの注意がいる。このシンポジウムで、企画者・演者に注意深さがあったか?という問題がある。

およそ1年半も前に、雄鬼さんやたじまさんとこの話題になったときに、信治さんみたいな言い方ができていたら、当時の展開は違っていたかもしれない。大いに反省。ただ、「エリート」なんて有り体な語を使いたくなかったということは、やはりある。だから繰り返し繰り返し、「大衆なんて言葉を使っちゃっていいの? やっやこしいよー、手強いよー」と進言申し上だった。

参考のため、その頃のエントリのアドレスをまとめて別室に挙げておくざんす。
http://sky.ap.teacup.com/tenki/407.html
暇な人はリンクもたどって順次読んでいけば、あの頃のやりとりがわかる。雄鬼さんは、このシンポジウムのパネリストのひとりだった。当日お話しされたことは、私が去年、雄鬼さんの記事で読んでいたこととほぼ同じだった。

なつかしかったですよー、雄鬼さん(なつかしがらせて、どーする?)。

※したがって、雄鬼さんのシンポジウムでの発言についての報告はかなり省略可能。上記過去記事のリンク先をたどれば、雄鬼さんのお考えがわかる。

さて、もうひとつ、信治さんの指摘。
俳句をやってない人にむけてどうこう、っていうのも口にしたとたん、本人を、へんなものにしてしまう言葉な気がして、むずかしいです。(…略…)人間、自分じゃないものを代表しちゃいけない、という。
これもみごとにシンポジウム当日の話題に直結する。信治さん、当日、来てなかったのに、勘のいい人ですねえ。感心。

語る人と語られる対象の関係は、しばしば微妙です。その微妙さを無視して、野蛮にモノを語ることもできるわけですが、やはり気になってしまう。簡単にいえば自省的でなければいけないたぐいのことはあるんですね。これも追い追いしゃべることになるかもしれない。

再開したとたんにとっちらかってしまったが、要は、「大衆性」と「文学性」などというテーマを立て、それについて必要なエクスキューズとはいわないが、但し書きやが論点整理もなく、ただ、話を始めても不毛。

いや、不毛というより、むしろ、みんな引いてしまうわけだ。「大衆性と文学性の接点」なんて聞けば。よく言うところの「どんびき」。しかしまあ、それを言ったらオシマイになる。シンポジウムはゴーズ・オン。なにかすこしはお話ししようと思う。

次回は、パネリスト(大石雄鬼、大畑 等、小野裕三、柳生正名、吉川真実各氏)の「大衆」観・「文学」観、論旨をざっと。ちなみに、おおかたのパネリストは「どんびき」とまで行かなくとも、さすがに慎重さも持ち合わせ、大衆性や文学性といったややこしいものとは距離をとる感じもあった。しかしながら、それだけに、皆で何を語っているのかわからないようなシンポジウムでもあったのだ。

(つづく)

過去記事
第1回 http://tenki00.exblog.jp/3978596/
第2回 http://tenki00.exblog.jp/3982304/
by tenki00 | 2006-11-01 22:03 | haiku