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冬の虹

松戸の職場から帰ってきたyuki氏が今日の昼間にケータイのカメラで撮った写真を見せてくれた。見事な虹だった。千葉のあたりにお住まいの方はご覧になっただろうか?
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by tenki00 | 2005-12-06 23:50 | pastime

室津

素晴らしい写真とトポフィリ(場所愛)に満ちた東人さんのブログで、室津の風景を見て、びっくりした。室津は、私の生地のすぐ隣りの漁村。また、記事の真ん中あたりに2枚写真の置かれた網干(あぼし)駅は、中学高校の6年間、乗降に利用していた。写真右手の位置には自転車預かり屋があって、毎日毎日そこに自転車を預けていた。ホームから見える看板にも見覚えのあるものがあった。

懐かしいというのと、ちょっと違う。これらの写真の中にある時間と空間は、それらと親しいはずの私にとっても、遠い、というか、ある種独特の距離感が存在する。なんなんだろうなあ、この不思議な感触は。

生きられた時間・生きられた空間(lived time/lived space)という捉え方がある。時間や空間は、無味無色透明ではなく、固有の味や色合いや肌理をもった存在なのだなと思う。

東人さんの撮った写真を大きく拡大し、目を思いきり近づけて、ずっと見続けていた。そして、そのとき東人さんがその場所に立ち、カメラを通して、その風景を見ていたことを想像すると、また別の不思議さがこみあげてきたのだった。
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by tenki00 | 2005-12-06 18:21 | pastime

ネット句会ふたつ

【勝手に告知】
恒信風句会の EW&F句会はきょうが〆切。
景気づけに、75年ライブから、Sun Goddess をどうぞ。この頃は、骨太のバンドだったなあ。当時、この曲のイントロのギターの刻み、コピーして、友だちといっしょに、ああでもない、こうでもない。音は合ってるはずなのに、若干響きが違うのだ。その友だちも死んじゃった。

オクンチ句会は、あっしが当番。皆様、お気軽にご参加くださいませ。
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by tenki00 | 2005-12-06 17:56 | haiku

「鉱脈」という考え方

すこし前、恒信風を読んでから書いた「鉱脈」という記事に、上田信治さんからトラックバックをいただいた。議論を展開していただいている。興味深い。ふつうなら、そのまま展開を待てばいいのだが、この「鉱脈」という記事、自分でちょっと引っかかるところがある。なので、そのへんを説明しておかねばと、早速のレスポンスになった。あわただしいことで。そのへんは御容赦。

さて、引っかかってきたもの、つまりちょっと自分で「これは違うな」と思ったこと。それは「鉱脈」という言葉に含まれる戦略的な意味合いである。

「どういうこと?」って? うん、今から説明する。全体に長くなりそうなので、お茶でもいれて、くつろいで、お読みいただきたい。

長島肩甲さんが元来は使われたその語が登場した文章(対談?)を残念ながら読めていない(これにはちょっとした行き違いもあって。この経緯は話にはひとまず無関係なので省略 12/6訂正・補記:これは私の勘違いで、WE ARE! 第5号掲載の座談会でのコメントが当該。これなら読んでいた。ただし、以下論旨変わらず)。なのに、この語だけ引っ張って、何か言うのは不適切かもしれないが、それを承知で言う。きっと、「鉱脈」といった発想のできる人は、(広い意味で)マーケティングができているのだと思う。そのうえで作句の方向を戦略的(これも広い意味だが)に捉えることができるのだ。

簡単に言ってしまえば、膨大な数の俳句愛好家が、寄ってたかって掘り尽くしてしまった、そのあたりに、もう、鉱脈(おもしろいこと)なんて、あるはずないじゃないか?ということ。

まあ、むかしは生産性の高い鉱山だったわけ。でも、今じゃ違う。

でもって、いわゆる結社では、その涸れた「元・鉱山」の掘り返し方しか身に付かない。

そんなかんじ。

だが、それって、どお?

確かに当たってるとは思うけど、自分が俳句で遊ぶとき、どうなのか?

そんなことできる?(自問) そういう思考でコントロールした作句なんてできる?(自問) つまり、気ままにやってるわけだから、鉱脈の在処なんて、どうでもいんじゃない?(と自分が自分に囁く)

こう言ってしまうとミもフタもないが、まあ、ざっくり言ってしまえば、肩甲さんの句は、かなりクレバーなのだ。あがいて失敗すると無様となるような路線を、巧妙に避けている。悪く言えば、ずるい。勝負しそうになっちゃった句は、いわゆる「緩い」。でも、私は、どうにもこうにも肩甲句のファンなんだけどね。

さて、そこで自分の俳句との付き合い方を考えた場合、「鉱脈」がどこにあるか、考えをめぐらすよりも、先にスコップを手に入れるのが先決という感じもあるし、方向性なんてものは、自分でも笑ってしまうくらいに、何がやりたいのかわからん(わはははは)。

そのうえで、上田さんの記事にレスするというのも、変な話だが、私の思う「鉱脈」とは別の、有意義な展開も見せるかもしれない。だから、レスしようと思う。例によって、いい加減な筆致だから、誤解を招く部分もあるかもしれないが、ぜんぶ、本気のレスである。また、「鉱脈」という語の本来の肩甲さん的脈絡からは逸れるかもしれない。現時点で私が感じ取った「鉱脈」である。

以下、青い文字が上田さんの列挙された論点。黒字が私のレス。

1.「鉱脈」という言葉をばらしていうと、新しい作品のうまれる可能性ということか。
さっき言ったように、おもしろいもの、美味しいところといった感じで捉えている。作る作品が、そこにぶち当たるという意味では作品だけれど、新しさは無関係。古典的な肌合いの俳句が美味しいなら、それも鉱脈だろう。事実、擬古的ともいうべき「古そうで、なんか不思議。これまでにない味」のする句群(作家ら)があるように思う。

2.いま中心に近い場所で書くことは、打率が悪い。
打率の意味はむずかしいが、ある意味、打率は良いかもしれない。中心というのは、ざっくりメインストリーム(そんなもん、ほんとにあるのか?というのは置いておいて)と定義しておけば。でも、打率は高いけど、ホームランも効果的一打も少ないという感じかもしれない。

3.あるいは、掘っても掘っても、残るようなものができない。歩留まりが悪い。
「残る」ということにほとんど興味がないので、むずかしいが、いくら巧く作っても「既存」というように捉えれば、「残らない」とも言える。

4.かもしれない。
はい。かもしれない。

5.中心、、、とりあえず「文脈的蓄積の濃い場所」としておく。
ううん、これは含蓄ですね。メインストリームだなんて、俗っぽく、またバカっぽく捉えるより100倍鋭い。文脈(コンテキストとあえて明言しておきますね)の(「的」ではなく、あえて「の」にしたい)蓄積だけでなく、テキスト(俳句)の蓄積も濃い。一般用語でいえば、集積度が高い。

6.蓄積が濃いあたりには、なにがないのか。あるいは、ありすぎるのか。
「鉱脈」の段でいえば、鉱脈、すなわち鉱物がない。

7.酸素?
鉱物。

8.スペース?
鉱物。

9.ごみ?
鉱物。ゴミはある。つまり、かつては豊かな鉱脈だったけれど、掘り尽くされたということか(私の把握ではなく、鉱脈という語を使う場合の把握)

0.ある「場所」で書く、ということは、その場所の「読み」の「文脈」で書くということだろう。
それは言える。「読み」が反映される。「読み」が動因ともなる。ただ、これは、表現一般に言える。

1.「文脈」は、新しい作品が加わることで、更新されなければならない。
なければならない、とは思わない。変われ!と告げて変わるものではないから。「読み」というコンテキストに変更を与えるようなテキストは、そうとうに強力なテキストであると言える(やや思念的だが)。

2.余談・虚子の伝説的選句眼というのは、とにもかくにも新傾向の作品に「印可」を与えて、無節操に「文脈」を拡張していった、ということなんでしょ? 突然とんでもない破調の作品を認めて、自分も書いてみたり。何のために。虚子=俳句でありつづけるために。
虚子の選句というのを知らないのだが、それでも「慧眼かも!」と思わせる把握。

3.「文脈」が更新されない場所で書く。
むしろ、文脈はなかなか更新(変化)していかない。

4.「このごみの山に、また一句ごみを入れてどうすんだってのはあります(笑)」恒信風創刊号('95 6)での小林恭二の発言。
わははははは。実に。あした俳句をやめようと思う。ある俳句サイトのトップページに「いわゆるネット句会はやりません。俳句はすでに多すぎます」とあった。この毅然! すがすがしく思った。

5.(この発言につけくわえることは、何もないな)
ない。

6.あとは、そこは、ここは、どういう「場所」なのか、だ。
自分のいる位置? それはなんとなくはわかる。でも、それが現代俳句・伝統俳句というどうしようもない二極のあいだの「どこか」だったりもする。

7.肩甲さんはどこにいる。
うん。最初に戻りますが、クレバーにマーケティングできているんだと思う。当たり前だけど。文芸でシノギができている人なんだから当然といえば当然。
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by tenki00 | 2005-12-05 21:12 | haiku

ハイクマシーン

恒信風句会ほかで何度かご一緒させていただいている上田信治さんが若いお仲間と「ハイクマシーン」というサイトを開設された。
http://members2.tsukaeru.net/haikumachine/

トップページ冒頭一発、「俳句に未来はない」との宣言には強く惹かれた。ぴしっと敬礼してくれる蛸の五兄弟にも強く惹かれる。その左側にはさらに強く惹かれるが、それは言うまい。

メンバーの方々のブログも含め、ざっと拝見したが、本腰を入れて俳句を遊ぼうという気概が伝わる(ような気がする)。つねづねレッスルしない俳句は退屈だと言っている。言葉を甘く見ている人にレッスルはない。「ハイクマシーン」には、悦ばしくレッスルする姿勢が見える(ような気がする)。

ぜんぶ「ような気がする」というのは、ハイクマシーンさん(「さん」を付けると、くつろぎますね)側の問題ではなくて、私の自信のなさに相違ない。でもね、「ような気がする」という、曖昧でふわふわした感じは存外大事で、断定できるものはだいたいがタカが知れているということもあるわけ。

ところで、「ハイクマシーン」と聞くと、私は、物凄い手練れを連想する。御本人たちにそんな意図があるのかないのかは存じ上げないが、1時間かそこらで30題くらいの兼題を涼しい顔でこなし、どの句も一定レベル以上、バリエーションも豊か。ハイクマシーンとはそんな感じ(豆の木さんのメンバーを表した「俳句獣」は、それをもっとぎらぎらさせた感じ)。あ、こんなことを言うと、変なプレシャーを与えるようで、感じが悪いかもしれない。御容赦。だが、気概は大事である。「おら!どうだ?」とかまして、あとは融通無碍、それも俳味である。

ぐだぐだ長くなったが、要は、ハイクマシーンさんの前途を祈念させていただくとともに、全俳人、一度は必見のサイトであると、力一杯推奨しておく。
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by tenki00 | 2005-12-05 00:59 | haiku

12月の浮御堂くにたち句会 いまのところこんな感じ

12月は変則的に11日(日)開催というプランが持ち上がりました。
17日(土)は百句会だし、あまり押し詰まってのクリスマス近辺は他のスケジュールもあるでしょうから、前倒しに、という案です。

食べるのは鮟鱇鍋かなと……(河豚は去年やったしね)。とりあえずさきほど注文しました。2人分。試食です(いいでしょ?)。それで旨かったら、そこから取り寄せます。

なお、浮御堂句会の詳細は、決まり次第、このブログやら俳諧俳句掲示板でお知らせいたします。つまり、浮御堂くにたち句会に関するインフォメーションは、浮御堂WEBサイトでの告知・連絡に、原則、限定いたしますので、参加ご希望の方は、この記事やら俳諧俳句掲示板に書き込んでいただくほか、メールにてご連絡ください。あ、会費はあります。飲み食いの分。

浮御堂くにたち句会については、過去記事でも、すこし説明しました。

お近くの方、また全国の方、気が向いたらご参加ください。さらには、いつの日か、敬愚さんやぽぽなさんが海を超えて参加されることも夢見つつ……。

鮟鱇鍋、楽しみです。にこにこ。
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by tenki00 | 2005-12-04 02:27 | haiku

やったー×2

チーム対抗で優勝! メンバーは十四郎キャプテン率いる貴宇、柚女、篠、天気。他3チームには、強豪・古豪・曲者がひしめくなか、われわれのチームはヴィジュアル系(ここ強調)でひ弱。それだけに優勝は嬉しい。参加者全員にお疲れ様でしたを申し上げたい。句会後、下谷のお店へ。八寸からお造り、鍋、天ぷら(河豚の白子の湯葉包みほか)、デザートの果物まで美味しくいただく。

もうひとつの「やったー!」は、峠谷賞の「作品賞タイプB:まああんまり好きでもないが、冷静に読むと良い句だと思う句」を受賞。で、受賞作は…

  こめかみに鵙鳴く玉突屋の婆ア   天気

…………ううむ(冷汗。この句を「冷静に読むと良い句」と言っていただくのは、私としては、ひじょうに嬉しく、身に余る光栄ではある(「あんまり好きでもない」とはいっても、目にとまったわけだし)。だが、しかし、峠谷さんのこれからの地位(豆の木での地位、海程での地位)を心配してしまう。峠谷さんがあとになって後悔されるのはないかと心配してしまいもする。アーメン。あらためて、峠谷さん、ありがとうございます。
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by tenki00 | 2005-12-04 00:17 | haiku

チーム対抗句会

午後は月天句会。チーム対抗戦という趣向で、そのための句を用意せねばならず、なおかつ月曜日〆切のシノギ(最後の最後のひと踏ん張り)のうち明日にどのくらい積み残せるのかも見ながらだから、なんとも中途半端なアタマで過ごす土曜の午前。

このチーム対抗戦というのは存外むずかしくて、個人戦(句会)なら結果がどう出ようと自分のことなので、それはそれで済むのだが、チームとなると別の奇妙なプレシャーがかかる。「ウケそうな句」を用意したいが、「ウケそうな句」と思った句が大コケするパターンも極めて多いから困る。

でもまあ、コケるというのも、俳句の愉しみ、句会の愉しみのひとつである。って、私と同じチームとなる方々に、今から言い訳してどーする。

ところで句会というのは、よくある普通の句会とは別のスタイルがもっとあってもいいのかもしれない。チーム対抗戦もそのひとつだが、まだまだ遊び方のバリエーションがありそうだ。
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by tenki00 | 2005-12-03 11:17 | haiku

リトル・フィートつうバンド

聞いたことのない人には何のことだかわからん話題だが、リトル・フィートというバンド。看板のロウウェル・ジョージが亡くなってからも続いている(or いた?)が、聞きたいのはどうしても存命中の音だから、大将の抜けたリトル・フィートはほとんど聞いたことがなかった。再編集CDを買うにも、ロウウェル・ジョージ在りか抜きかを確かめてからという感じだったが、先般、間違って、「抜き」のライブ盤を買ってしまった。

ところが良い!

Down Upon the Suwannee River という2枚組。フレッド・タケットがギターで助っ人(マンドリンも弾いて、このソロが大盛り上がり。蒲田でやっても大盛り上がり。あ、ここ笑うところ)で参加、女性ボーカルがジョージ氏存命中のおなじみの曲を歌ったりして、これまた良い(ティナ・ターナーかと思った。てっきり、そう思ってたーなー。あ、ここは引くところ)。

つまり、××ならきっとダメでしょう、という先入見は、よくないということが、よくわかった。

リトル・フィートは Waiting for Columbus というライブ盤が素晴らしい。ライブバンドとしての骨格は、ロウウェル・ジョージ亡きあとも、きっちり残るということか。歴史である。

余談;
矢野顕子という歌手のデビュー盤、これ、わりといいんだけど(矢野氏のピアノがいい。変な歌唱はやはり変)、海外レコディング(!…当時は凄かったのだ)で、バックを誰に頼むかということで、矢野氏は、ザ・バンドをご所望。ところが、億かかる、というので断念。リトル・フィートになった。むかしむかしそんな話を聞いた。リトル・フィートは当時まだ、安かったのだ。くだんの矢野氏のアルバムでのリトル・フィートは?というと、別にリトル・フィートでなくてもよかったんじゃあない?という気がすこしした記憶がある。
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by tenki00 | 2005-12-02 14:02 | pastime

車海老 2005年11月 10句

いつまで続くかわからないが、月ごとに俳句を自選でまとめようと思い立った。

「バーカ!」などの感想、また添削など、なんでも、気が向いたらコメント欄に。

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車 海 老

短冊の裏にひやりと金閣寺

親戚が複雑ポメラニアン跳ねる

四谷區の葱たちあがるまで連呼

鶏が目を剥いてゐる金屏風

伊予柑のやうな書店のおねいさん

枯菊に隣るる猫といふ景色

天井が暮れてゆくたび捕鯨船

大火事を南南東にして踊る

氷山ががうがうと割れ結婚す

わが友の思想の底の車海老


in; 百句会・俳句な毎日(thanks to Tajima)・オクンチ句会(thanks to Shino&Goro)・Satin Doll(thanks to Furiko)
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ううむ、なんか俳句ブログっぽい。
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by tenki00 | 2005-12-01 23:41 | tenki-ku