<   2005年 12月 ( 52 )   > この月の画像一覧

a day in the life

あめをの一日
インターネットの掲示板に吟行句会のお知らせがあって「誰でも参加できます」と書いてあるし、クルマでそんなに時間もかからない場所だったから、出かける。これって、かなりヘンかもしれない。お会いしたこともない人ばかりのところに、いきなり、だもの。「句会に参加できますか?」と訊いて、「ダメ」って言われたら、どーする? でも、ダメだったら散歩して帰ってくればいい。そのときのためにカメラと予備のフィルムを持った。行ってしまう。掲示板に書いてあった集合時間には間に合いそうにない。朝の用事がいろいろあったからね。しかし、いい天気。道はわりあい混んでいるが、12月だとこんなもんだろう。深大寺に到着して、1日700円の駐車場(良心的だね)に停め、歩く。小さなスケッチブックを持った人たちがたくさんいる。紅葉はこの時期になってもまだまだだが、境内は気持ちがいい。小さなメモを持った人もいる。これが吟行句会の御一行か。でも、「あのー、句会に参加できますか?」と声をかけるのは存外気骨が折れる。恥ずかしい。それに、顔も知らない人に、メモ帳を持っているだけで「俳人ですか?」と声をかけていいものかどうか。やっぱり帰ろうかなと思いながら、ぶらぶら散歩を続けていると、山門の南から、見覚えのある和服のおじさんが歩いてきた。狂流さんだ! え? 狂流さんもこの句会に出てるの? 知らなかった。むこうもこっちに気がついた。「あれ? なんであんたがここにいるのよ?」。不審尋問だ。「あの、句会に出ようかなと……」「ふうん」。ひとことふたこと事情を説明してから、狂流さんといっしょにいた人たちに御挨拶。「12時半にここに集まるんだって。ボクは先に句会場に行くから。じゃあ」と狂流さんが説明してくれる。それからまたひとりぶらぶら。深大寺って言ったら蕎麦でしょ?というわけで蕎麦屋に入るが、実はこのへんの蕎麦屋、どこも旨くはないことを知っている。でもやっぱり、深大寺って言ったら蕎麦でしょ?というわけだ。イベントみたいなもの。蕎麦食って、それからまたぶらぶら。12時半になったので山門に行くと、すでに皆さん、お集まりだ。掲示板で見た「句会のお知らせ」の主に、さっき御挨拶したメンバーの方が、ボクを、句会初参加者として紹介してくださる。「はじめまして。あめをです」と御挨拶。すると龍吉さんは驚いて、すぐさま笑顔を返してくださる。「よく来てくれた」みたいな感じ。ああ、よかったと、ほっとする。インターネットの掲示板で何度かお邪魔しただけで、いきなり「まぜてください」というのもヘンだよなあと思っていたが、まぜてもらえた。温かく受け入れてもらえた。投句して、選句して、いろいろ感想とかがあって、句会が終わる。なるほど。句会は楽しい。俳人はみな、いい人なんだねえ。てんきが、シノギで死にそうになりながらも句会に出かけていく理由がわかったような気がする。「俳句=句会=句座」とどこかに書いていたが、なるほどね。4時過ぎに皆さんとお別れして、駐車場に戻る途中、遠く薔薇園の冬薔薇がぽつぽつ咲いているのが見える。この、夕暮れに見た冬薔薇がなんとも良くて、この景色が今日一番かも、などと思いつつ、人がもうまばらの植物園を歩く。これって、なんか俳句っぽい。あ、句会の途中で、てんきとの関係を聞かれたから「不肖の兄」と答えといた。あと、よろしく!

てんきの一日
ふうん。あめを、吟行句会デビューか。そうそう、俳句は、ぐだぐだ言うより、句会に出て、句を作り、句を読む。それが一番なんだな。こっちはどうだったかって? ううん。すごくいい一日だった。それを話すから、BGMは、ちょっと軽薄に Swing Out Sister とか、どお? じゃ、話す。
6時、くにたち駅前の西友地下のイタリア料理店へ。むかしのバイト君たち、若いもんが集まる。裁判所事務官の試験に合格して配属も決まり、そこでの仕事も2カ月過ぎたI君の門出を祝う会である。昼間にIT系広告代理店勤務のT君から携帯に電話。泣きそうな声で「年内、土日も含め休み、ありませ~ん。残念ですけど、皆さんによろしく~」。5時過ぎになって、別の編集プロダクション勤務のN君から電話。「急な仕事ですー。遅くなっても合流できそうにありませ~ん」。おお!泊まりかな? 素敵な週末だなあ。出席予定者のうち2名欠席。出席は主役のI君のほか、強力婦人誌有する出版社勤務のNさん、大手広告代理店勤務のK君、フリー編集者Aさん、それにyuki氏、それに私。改めて思うが、うちはバイト君・バイトさん、若いもんが優秀で、倍率何百倍かの難関就職先を次々に獲得する。凡庸で非力無能な雇用者(私)だけがここに残り、みな、前途洋々の広い世界に旅立っていく。これは悲哀といえば悲哀だが、実はたいへん嬉しいことで、つまらない私のシノギに少しの間付き合ってくれたことに絶大なる感謝の気持ちでいっぱいなのだ。集まった若いもんは、若いもんと言うだけに、26歳から31歳と、実際に若い。ふだん私はシノギ関係では年代に大きな開きのない人たちと、俳句関係では大先輩とお付き合いさせていただくことが多いので、目の前に若い人間が並ぶのは新鮮だ。いろいろ楽しい情報やネタも手に入れた。裁判所の実務なんて、なかなか知る機会がない。中で働いている人の話は面白い。ほかにも話題がいっぱいだが、書ききれない。美味しいところを選りすぐって、明日の句会の話のネタにでもしよう。同窓会みたいな集まりでもあるから、懐かしい話も出る。山本★人は、若いもんたちのアイドルでもあり、当時、★人と仕事をしたときの様子を懐かしく話してくれ、私は、★人と若いもんたちの絶妙の取り合わせ(俳句で言えば二物衝撃)を頭に描き、格別の興趣を味わった。そして、お開き。また、機会を見つけて会いましょう。今度は、土日なしの多忙で泣いていたT君や、いきなり仕事の入って残念がっていたN君も込みで。私もまだ適当にがんばらねばならないが、若いもんは、それ以上にがんばらねばいけない。がんばれ! 何を?って、なにもかもである。可愛くて素直で優秀な若いもんは、幸せにならなくてはならない。だから、がんばれ!なのだ。


あめを:あのさー。
てんき:え?
あめを:このエントリーのタイトル、ジョン・レノン忌の流れ?
てんき:そ。
あめを:ふうん。
てんき:それはそうと、俳句漫才。そろそろネタを考えんとなあ。
あめを:年末だし、特番っぽいのがいいぞ。
てんき:なるほど。考えとく。
あめを:じゃな、また。
てんき:え? オチは?
あめを:オチ? ううん、ないな。じゃ。
[PR]
by tenki00 | 2005-12-11 02:25 | pastime

「大好きなアメリカ」との戦争

古川ロッパの開戦日当日の日記を引き写したエントリーに、「尻別川の畔より」さんからTBをいただいた。「開戦前から海外に傾向した東京暮らしもあったのだ!」とその記事にある。海外、さらに言えばアメリカに傾斜した生活が日本社会に浸透したのは戦後という先入観をお持ちだから、驚かれるのかもしれないが、実はそうではない。戦前にも、アメリカ文化は日本社会に浸透していた。現に戦前に生きておられた方ももちろん多数おられるなか、私がこんなことを言うのも変な話なのだが。

あ、話を始める前に言っとく。このエントリー、俳味は、ない。

敗戦によって、アメリカ文化が日本に押し寄せたと考える向きは多い。もちろん、それも間違いではないが、すでに戦前から、欧米(ことにアメリカ)文化はさかんに移入され、東京をはじめとする都会だけでなく、またハイカラを気取る上層階級だけでなく、日本社会の全体に浸透していた。あえて言えば、日本人は「大好きなアメリカ」と戦争をするハメになったのだ。このあたりのことがよくわかり、おもしろく読めるものとして、小林信彦『ぼくたちの好きな戦争』(新潮社)がある。参考資料ね。

私の祖母の妹は、空襲で飛来するアメリカの爆撃機を、「クラーク・ゲーブルみたいな人が乗っとるんやろか」(関西弁だ)と憧れのまなざしで見つめたという。もちろん、こんな暢気な日本人ばかりではなかっただろう。「あきれた妹」という脈絡での逸話だから、少々風変わりな反応かもしれないが、戦前から戦中のアメリカ文化の浸透度がわかる。

一方、「鬼畜米英」の語とともに伝えられる米英人憎悪については、どうだろう? これについては、ジョン・ダウアー『人種偏見』(TBSブリタニカ・原題 War without Mercy)に詳しい。日米両国間で人種主義的ネガティブキャンペーンが繰り広げられた結果、人間と人間の戦争ではなく、サル(米国民にとっての日本人)vs鬼(日本人にとっての米英人)の戦争となり、人類史上稀に見る「情け容赦のない殺し合い」となった経過が詳細に描かれている。つまり、たぶんに人為的に短期間に特定の目的(戦争)をもって醸成された憎悪であり、歴史的なものではない。

話を中心話題に戻す。日本にとっての欧米(文化)という話題だ。以前、調べものをしていて、ひとつ興味深いことがわかった。欧米からの輸入映画の本数構成比(欧州とアメリカ)が、関東大震災を境に急激に変化するのだ。震災以前は欧州からが多く、震災後はアメリカ映画が急増する。これって? 他の事柄を考え合わせて把握できたことを、ざっくり言えば、移入文化における欧米の「欧」から「米」へのシフトである。

日本の近代史の大きな区切りをどこに置くか。敗戦の1945年とすることは、まずできるだろう。しかし、文化史、サブカルチャー史としては、関東大震災(1923年)を区切りにしたほうが、ものごとがすっきりする(その手の分析は多数あるはずだが、ここに挙げることはできない。調べてらんない)。

関東大震災はローカル被害なのに、日本社会全体の変化に結びつけるのはおかしいという意見も出そうだ。しかし、そうでもないのだ。なにせ首都である。また、これを期に東京・横浜から地方都市へ拠点を移した人やビジネスも多い。大震災がもたらす変化は、ローカルにとどまらず日本全国に及んだ。震災後(だったか前後だったか)のサブカルチャーに興味がある人は、川端康成『浅草紅団』がオススメ。「あの川端康成がこれ?」と驚くほどの冒険活劇小説だ。トンネル抜けたり伊豆で踊ってたりは読んでられないが、この『浅草紅団』はほんと面白い。

1923年を文化史の区切りとしたうえで、アメリカ文化との関係をいえば、日米戦争は「区切り」ではない。1923年(1920年代とも言い換えられる)から現在までの連続した(文化的)日米関係(≒Americanization)の約80年間のなかの、特異な4年間(1941~1945年)と捉えるのが妥当だ。だから、鬼畜米英からギブミーチョコレートへ、今から思うとえらく断絶があるようにも思うが、そうではない。敗戦(終戦)によって「親密で大好きなアメリカ」への心理的回帰がもたらされたのだ。私はそう捉えている。私の祖母の妹は、占領軍の兵隊さんたちのなかにクラーク・ゲーブル(似)を探したかもしれない(見つかったろうか?どうでもいいけど)。

てなわけで、古川ロッパや徳川夢声が、開戦日当日、なんだかハイカラで欧米っぽい暮らしをしていたからといって、それが日本の中で特異だったわけではないということだ。もちろん、都会と田舎、貧富、階層によって、欧米文化の現れ方(現象面)は異なる。だが、ひと握りの人々にとってのみの、あるいは東京においてのみの「アメリカ文化」ではなかった。

以上が、ざっと把握している開戦日関係の事情。そこ、おかしんじゃねえの?といったツッコミはご遠慮なく。ただし、資料・データは現在それほど手元に整理されていない。ごそごそかき集める暇もない。だから、間違いや誤認、無理解については、すぐに「ゴメン!」と謝る。

ね? 俳味なかったでしょ? 御容赦。
[PR]
by tenki00 | 2005-12-10 02:47 | pastime

好き句69 夏目漱石

安々と海鼠の如き子を産めり  夏目漱石

今日は漱石忌。

誕生した長女を「海鼠」と言える。漱石はやはり、おもしろい人だ。

熊本時代の句らしい。熊本第五高等学校で英語教師をしていたときの生徒のひとりが寺田寅彦。ふたりの付き合いが面白い。寅彦は漱石に俳句の教えを乞い、漱石は寅彦に理科のさまざまなことをさかんに訊いた。小説のネタとして取材したのだろうが、好奇心もあったろう。ふたりの付き合いは、漱石が東京に転任に、寅彦が東京帝大に入学してからも続いた。
[PR]
by tenki00 | 2005-12-09 21:44 | haiku-manyuuki

普遍と不易

すこし前に紹介したハイクマシーンのユースケさんのブログで「芭蕉と普遍性について」というエントリーを読んで、コメント欄に書き込んだのだが、ちょっと補足の必要を感じて、ここでのエントリにしようと思う。コメント欄は(ここもそうだが)字数制限があってすぐに字数オーバー。「面倒だから手短に」などと思うと、いろいろ齟齬も出る。そういうわけでエントリーにするのだが、まずはご一読。

記事はこれ↓
http://forhaiku.exblog.jp/64371/

コメント欄にずらーと並ぶコメントの流れがおもしろい。メンバーの信治さん、某S藤さんの反応がなかなかのもので、おお!盛り上がってるなと思うところに、「みんなのプロフィール」さんのノーテンキな「ブログ開設おめでとうございます!!」が割って入るところなど、信治さんのコメントのとおり「絶妙のタイミング」で、笑える。シャボン玉ホリデー(古いな、もう)なら、ステテコ姿の植木等、吉本新喜劇なら、間寛平爺さんの「出」のタイミングだ。ま、それはさておき、そこへ私が、ちょっと無粋かとも思ったが、「普遍? それ、違うでしょ?」とコメントさせていただいた。

※本旨に入る前にひとつ。例句として挙げた「目を閉じてくしゃみの用意してをりぬ」(朝比古)は「閉じて」じゃなくて「閉ぢて」なんだけど(ゴメン)、「用意」だった? 「準備」じゃなかったか? この句が載っている本が出てこん。記憶違いかもしれん。朝比古さん、いい加減な引用でゴメン!

本旨に戻る。「普遍」という語が奇妙な使われ方をしているというのが私のコメントの要旨だが、二点、補足がある。

1)普遍という語が、どこで使われたのか、私は確認できていない。ユースケさんの次の指摘を前提に、以降の私のコメントが成り立っている。

俳句を作る人の中ではわりと「普遍」という言葉が天気さんの言うところの「不易」のニュアンスで使われていることが多いように思います(『俳句』の合評鼎談などを御覧になるとよくお分かりになると思うのですが)。

まあ、そういうこともあるだろうなと思うから、俳句雑誌の合評や鼎談に「普遍の誤用」が出現していると思ったのだが、ひょっとしたら、それはユースケさんの思い違いで、俳句のセンセ方は、そうじゃないかもしれない。これはユースケさんの責任とかを言っているのではなくて、そのへん誤解なきよう。私がこの目で俳句総合誌を確認したわけではないというエクスキューズです。

例えば「芭蕉の普遍性」という言い方は当然ながら成り立つ。ところが、「芭蕉の感得したもの」が2005年の俳人の「感得するもの」と通じるものがあるとき、そこに「普遍」という語を持ってくると事はおかしくなる。そしてさらに言えば、「芭蕉の普遍性」という言い方が成り立つのと同様に、「攝津幸彦の普遍性」という把握もあり得る。

2)普遍と同時代性は無関係
ユースケさんのコメント「となると、「普遍」という言葉はある程度同時代性を背景としているということが言えるみたいですね。」にお答えするのを忘れていた(これが気になっていた)。

これは違います。普遍と時代性は無関係。汎時代性と普遍はちょいと近い部分もあるが、ともかく、時代性とは別のこととして考えないとややこしいことになる。地理的・空間的とざっくり言ってしまったから、こういうふうになるのかもしれないが(ゴメン御容赦)、「あまねく」に同時代の要素はなく、通時・共時はまた別問題。

例えば、2000年前の社会ABCD、および現代の社会EFGHに、同じような忌避(死体冒涜とか近親相姦とか、なんか知らんけど、あくまで例えばネ)の観念があるなら、それは普遍的と言える。時代が違っているか、同じかは関係がない。

一方、ついでに例を挙げれば、シェークスピアの恋愛観と2005年ロンドンのパンクあんちゃん(そんなのいるか? これも例えばネ)の恋愛観に、通じ合う共通のものがあると言って、これが「普遍」だと言われたら、どうだろう? 誰だって「あれれ?」と思うはずだ。「それは普遍じゃなくて『イギリス人の心性ん中の不易なる部分』じゃあないの?」と思ってしまう。芭蕉と2005年の俳句を何百年かの時間の隔たりのなかで捉え、そこに「普遍」という語をあてるのは、それと同じ気がする。そりゃ「普遍」とは呼ばんぞ、ということになる。

以上が補足したかったこと。コメントと重複する部分もあるし、妙に理屈っぽくて退屈だけど、放置しておいて、あとでややこしくなったりするといけないので。

ところで、芭蕉って、おもしろい? そんなにたくさん読んではないけど、ピンと来ない。芭蕉は芭蕉でまた、機会があったら、話題にすることにしよう。
[PR]
by tenki00 | 2005-12-09 21:13 | haiku

十二月八日 Ⅲ

『古川ロッパ昭和日記・戦中篇』(晶文社1987年)より

十二月八日(月曜)
 日米開戦 米英両軍と戦闘 宣戦布告。
 昨夜十二時に床に入ったが寝られない、朝起きつゞきで悪いくせがついた。今日がゆっくり故、薬はのまぬことにして、ガンばったが二時すぎ迄知ってゐた。十一時起される。起しに来た女房が「いよいよ始まりましたよ。」と言ふ。日米つひに開戦。風呂へ入る、ラヂオが盛に軍歌を放送してゐる。食事、ラヂオは、我軍が既に空襲や海戦で大いに勝ってると告げる。一時開始といふことで十二時半迎への車で出る。砧へ行く迄の道、ラヂオ屋の前は人だかりだ。切っぱつまってたのが、開戦ときいてホッとしたかたちだ。砧へ行くと、今日は大衆でエキストラの汚い爺婆がうようよしてる。平野・斉藤・堀井・上山と出張して来て、相談--然し、正月興行も、日米開戦となっては色々考へねばならないし、今日の気分では中々考へがまとまらず。所前のしるこ屋でくず餅を食ひ、ラムネのみて話し、それから三時迄待たされ、三時から支度して、芝居小屋のセットへ入ったら、暫くして中止となる。ナンだい全く。昨日の大衆撮影で、二階のセットが落ちて、怪我人を出した。エキストラが怪我したので、今日はコールしても恐がって来ないさうで、大入満員の芝居小屋が、エキストラ不足のため、一杯にならないため、中止となったのであるが、何もそれが分っていれば、僕までカツラつけさしたり、衣裳つけさせたりしなくてもよさゝうなものだ。こゝらが撮影所のわけの分らぬところである。此うなると、たゞ自動車賃貰ひに来たやうなもの。開戦の当日だ、飲みにも出られないから、山野・渡辺を誘って家へ帰る、途中新宿で銀杏その他買ふ。燈火管制でまっくら。家で、アドミラルを抜き、僕はブラック・ホワイトを抜いて、いろいろ食ふ。ラヂオは叫びつゞけてゐる。我軍の勝利を盛に告げる。十時頃皆帰り、床へもぐり込む。

[PR]
by tenki00 | 2005-12-08 22:30 | pastime

ジョン・レノン追記

Sometime in New York City のライブ(フランク・ザッパやらエレファンツ・メモリーという微妙なバンドやらと共演、いやエレファンツ~はスタジオ録音のバックか? 忘れちゃったい!)の映像を、山本星人が例によって怪しいところから拾ってきて、えらく面白かったという話は、先週くらいに聞いた。Scumbag (辞書を引くと「げす野郎」とある)という曲では、オノ・ヨーコが袋をかぶって、ひょえ~、きょえ~と、いつもの奇声を発するという。う~ん、ちょっと見てみたい。

これはいたって真面目な話なのだが、イギリスのある年代の男性の多くは、後期ジョン・レノンを見て、「日本人に関わるとロクなことはない」という思いを強くしながら育ったのではないか。私からしてみれば、「んだ、んだ。日本の女を甘く見ちゃダメよ」なのだが。
[PR]
by tenki00 | 2005-12-08 20:46 | pastime

12月8日 Ⅱ

12月8日と聞いて、太平洋戦争開戦日を思うのか、ジョン・レノンが射殺された日を思うのかは、世代によって異なるのだろう。一般日本社会でそうなのだが、俳句は「12月8日」が季語のように扱われることから、その違いがいっそう際だつ。今日は、「12月8日」の句がたくさん作られる一方、「ジョン・レノンの忌」の句も膨大に作られるはずだ(現に私もすでに「俳句な毎日」で1句つくった)。

余談:力道山が赤坂のキャバレーで暴力団員に刺されたのもこの日ということを今日知った。だが、こちらはあまり話題にのぼらない(死亡は12月15日)。当時、ニュースの衝撃という点ではレノン射殺さるの報にそう引けをとるものではなかったように思うのだが。

で、ジョン・レノンの話。ビートルズは、私が子供というか若い頃は通過儀礼のようなもので(大袈裟ではなく)、聞くか聞かないか、関心か無関心か、ハマるかハマらないか、そうした違いはあるにせよ、誰もがビートルズの存在を自分の中に定めていく作業というものを経験した。それは音楽を超えて、ビートルズ的なものとの付き合い方といってもいい。

私はというと、聞いた、関心はきわめてあった(惹かれた)、ある時期までハマった。だが、世代的には「遅れてしまった世代」で、リアルタイムは映画「レット・イット・ビー」という中途半端さ。それでも解散後のレコードリリースはかなり敏感に追いかけた。私は、なんとなく「ジョン派」だったので、ポールのソロアルバムはまったく買わず、ジョンのソロ・アルバムはある時期まで全部、ほぼ出ると同時に買った。

ジョン・レノンというアルバム(ジョンの魂、略して「ジョンたま」という凄い邦題)の冒頭、鐘の音がゴーンゴーンと鳴り続けるのを、ほんとうに衝撃をもって聴き、ビートルズとは別の時代が始まったのだなあという感じはやはりした。

けれども、ジョン・レノンという人を信奉したわけではない(信奉者って多いんでしょ?)。ファンだったかいうと、ちょっと微妙なところがある。私にとって(キンクスのレイ・デイヴィスのような)絶対的なスターだったかというと、全然そうではない。ジョン・レノンを受け入れられなかった部分について簡単に言ってしまうと、メッセージ性なのだろう。いろいろ聞いたレノンのソロアルバムのうち、好きなのは「ロックンロール」というカバーアルバムだったり、Sometime In New York City というオノ・ヨーコが妙に顔を出しまくるヘンテコリンな2枚組アルバムのなかのフランク・ザッパとの共演ライブだったりする。それからしても、いわゆる「ジョン・レノン」という存在の世間一般に確立された「意味」とは違うところを聞いていたような気がする(今は全般まったく聞かないが)。

違う側面からわかりやすく言えば、「イマジン」という有名な曲、これが私は大の苦手で大嫌い。当時も「おっさん、おっさん、なにを、ぐだぐだ、ふやけたこと言うてんねん?」と(なぜか関西弁。だってまだ関西に住んでいたから)といった感じしか持てなかった(当時この曲は、ある意味「信仰」と言いたいくらいの受け入れられ方をした。音楽ジャーナリズムはほぼ宗教的な陶酔状態でこの曲を崇拝したように思う。だから、よけいに「ああ、気持ち悪!」と年端のゆかぬ私は忌避したのだろう)。この曲(アルバム)は1971年か。30年以上経つんだなあ。いろんなとこでこの曲が流れるのを聞くけれど、今でもやっぱり大嫌い。

すこし甘いことを言えば、ジョン・レノンはR&Bをシャウトやファルセットでやや乱暴に歌うとき独特のスピード感があって、それに魅せられたのだった。後期ジョン・レノン、なんだか気持ちの悪いメッセージ性とセットになったジョン・レノン像とは遠く離れた場所で、しかし「レノン忌」の句は毎年作るんだろうなあ、と、今日、12月8日に思っている。


[PR]
by tenki00 | 2005-12-08 13:50 | pastime

十二月八日

徳川夢声『夢声戦争日記』(中央公論社昭和35年)から昭和十六年十二月八日とその翌日の日記を抜いてみた。

十二月八日
(月曜 晴 温)岸井君が、部屋の扉を半開きにしたまま、対英米宣戦のニュースを知らせてくれる。そら来た。果たして来た。コックリさんの予言と二日違い。
 帳場のところで、東条首相の全国民に告ぐる放送を聴く。言葉が難しすぎてどうかと思うが、とにかく歴史的の放送。身体がキューッとなる感じで、隣りに立つてる若坊が抱きしめたくなる。
 表へ出る。昨日までの神戸と別物のような感じだ。途から見える温室の、シクラメンや西洋館まで違つて見える。
 阪急会館は客席ガラ空き、そこでジャズの音楽など、甚だ妙テケレンだ。花月劇場も昼夜ともいけない。夜は芝居の途中から停電となる。客に演説みたいなことをして賛成を得、蝋燭の火で演り終る。
 街は警戒管制で暗い。ホテルに帰り、今日の戦果を聴き、ただ呆れる。

註 岸井明君は阪急会館に映画「川中島」のアトラクションで、谷口又士の楽団と出演。私は若原春江嬢と共に「隣組鉄条網」という軽喜劇で湊川新開地の花月劇場へ出演。「斯うなると敵性の唄なんか具合が悪いですよ」と岸井君はこぼしていた。コックリさんは十二月十日頃米国と戦争が始まると予言していた、と私は誰かに聴いていた。

十二月九日
(火曜 雨)いつになく早く床を離れ、新聞を片はしから読む。米国の戦艦二隻撃沈。四隻大破。大型巡洋艦四隻大破。航空母艦一隻撃沈。あんまり物凄い戦果であるのでピッタリ来ない。日本海軍は魔法を使つたとしか思えない。いくら万歳を叫んでも追つかない。万歳なんて言葉では物足りない。(中略)
 風呂に入り、また床に横たわり、窓を眺める。窓一杯に枝を張つて見える樟樹に、細雨が粛々とそそいでいる。私という個人と、日米戦との関係をいろいろと考える。今度のこの大戦果に私という個人が、どういう役目をなしているのか? それとも全然何の役目もなしていないのか?
 閉場後、穴の開いた番傘を借りて、暗い街を石田守衛君に案内され、酒場シルバー・ダラーに行く。ジョン・ヘイグを目の前で抜いてくれた。チーズとサーディンをのせた黒パンの美味いのが出る。但し税共に三十幾円。


古川ロッパのこの日の日記も読みたくなったが、あいにくいま手元にない。
[PR]
by tenki00 | 2005-12-08 12:54 | pastime

鮟鱇~

餡子さ~ん、じゃなくて、鮟鱇さ~ん。

試食完了。

1キロ注文して届いてみると、見るからに多い! 二人では絶対無理。そこで、食べるプロ、現在105キロ、リバウンドをほぼ終えた知り合いを呼び、三人で食す。でも無理。残った。

試食結果。旨い。あるいは旨い。言い換えれば旨い。つまり、凄く旨い。

皆の衆、当日を待て、日本海晴朗を祈れ。以上。
[PR]
by tenki00 | 2005-12-07 23:19 | pastime

「俳」はどこに?

猫髭さんによる「はいく」ヴァリエーションの書き込みを先般拝見。たいへん面白かった。一種の「俳」置転換、ってくだらない駄洒落かましてる場合ではない。以下に紹介する。なお、原典では固有名詞が例示されていたりするが、それは省略させていただいた。オリジナルは、きっこさんのBBSを12月 4日(日)19時32分31秒の書き込みまで遡れば読める。

拝句:いまだに芭蕉を漬物の重石のように頭に乗っけてるゾンビ俳句
吠句:自己主張絶叫型俳句
杯(盃)句:素面で詠めない酒中俳句
肺句:療養俳句とも言えるが、肺腑から詠む俳句ともとれる
背句:自由律無季俳句か
稗句:生活俳句とかミニマリズム俳句
牌句:博打のように出たとこ勝負で詠む俳句
輩句:同窓会俳句、最も多いぬるま湯俳句だな
廃句:温故知新のつもりのウンコ句
胚句:キッチュでポップな新人俳句、見たことねえけど
敗句:理屈先行眼高手低敗句
灰句:燃え尽きたような老人俳句、人間やめますかあ
配句:表現ではなく伝達回覧板俳句
佩句:主張の違う結社を攻撃するのに身も世もない俳句
蝿句:とても人間が詠んでいるとは思えない俳句


ううむ、いろいろ思い当たる。他人様の句に、そして自分の句に。これがしかし、私たちが暮らしている俳句の現在なのだろう。「俳」をまっとうするとは、思う以上に困難なことなのだな。

猫髭さんの造詣・慧眼・洒脱にはとても及ばないが、せっかくだから付け加えると……

這い這い句:子供や孫が何かするたび感動している、いわゆる吾子俳句、孫俳句
high句:作者だけどこかに行っちゃった高テンションの句。アッパー系ストーンド状態
速句(はやく):袋回しに目を輝かせる手練れの題詠即吟20秒句

こんなチンケな追加しか思い浮かばない。上掲の一覧は誠によくできている。

註:上に引いた「蠅句」は、おなじみ robin d. gill(敬愚)さんの著作「Fly-ku! 蠅句」とは、同音異義。為念。かつ好評発売中。

最後に大声で申し上げる。皆様、ご健吟を!
[PR]
by tenki00 | 2005-12-07 18:37 | haiku