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不快語?

校正者というプロの手当を経て、ゲラ(校正紙)が届く。このところ、奇異に感じるのが「不快語」というカテゴリー。

校正者(フリーランスよりも特に大出版社の校正者=校閲部)は、いわゆる「差別語」のチェックが大きな仕事になる。本末転倒な感じもするが、「トラブルを避ける」という防護策を、笑ってしまう一方、事情は理解できる。むかしカタカナ語辞典をつくっているとき、「エスキモー」やら「ジプシー」という語で、校閲部長さんの見解を聴くやら、最後は局長さん判断やらで、もう、おおわらわ。現に言葉はある。それを説明するのが辞書である。「こういう意味だけど、差別的なニュアンスもあるから、使用は避けられている」という内容を、あまり突出せずに語の説明に溶け込ませるという芸当が必要になった。

それはそれとして、このところ新しく登場しているのが「不快語」という奇妙な範疇だ。「農夫」にチェックが入り、「これ、使っちゃっていい? 農民にする?」といった打診がメモされている。農業をやっている人が「農夫」の2文字を読んだとき、不快に感じてはいけない、という配慮なのだろう。すごい配慮をするもんだ。出版業界。

「農民」ではなく「農夫」だから、「農夫」と使う。「農夫としてのヴァイキング」という語句での出来事だ。ヴァイキングは海で乱暴ばかりやっていたんではなくて、陸では農作もやってた。ふうん、意外。興味深い。これを「農民としてのヴァイキング」というふうに書き換えられるわけはない。「農夫」は「農夫」である。

ATOKやMS-IMEといった日本語変換ソフトで出てこない語句は、この「不快語」にまで範囲が広がっている。「農夫」は一発で変換できるが、「にんぷ」は「妊婦」しか出てこず、「人夫」は出てこない。「人夫」にももちろんチェックが入ってくる。

だが、このへんなら、まだマシで、この前は、(校正者にもよるのだろうが)「本屋」にチェックが入り、「書店にする?」と訊いてきた。もちろん笑って無視した。書店の主人や店員さんは、「本屋」と呼ばれると、不快に感じるのだろうか? そんなことはないと思う。

「俳人」でも「俳句作家」でもなく、「俳句屋」を遠い目標にしている私としては、「~屋」は大いにアリなのだが、まあ、自称と他称は違うのだろう。「ブンヤ」を自称している新聞記者が、「新聞屋」と呼ばれれば、それはやはり気分を害するかもしれない。

というようなわけで、他人(といいながら特定の集団)の気を遣いながら、日本語はどんどん貧相になっていくのかもしれないですね、という話。
by tenki00 | 2005-11-08 19:09 | pastime

人名俳句房 はやくも引っ越し

googleのblogはコメント記入がめんどうだそうなので。
こちら↓です。
http://blog.goo.ne.jp/tenkisaibara/
by tenki00 | 2005-11-08 09:49 | haiku

鉱脈

Lounge Lizards を聞きながら書く。記事とは無関係。

「恒信風・第13号」がおもしろい。四童さん関係のサイト各所で、購読のお知らせがある。誰が読んでもおもしろいというわけではないので、要注意。じゃあ、どんな人が読めばおもしろいんだ?と訊かれても答えられない。

この句誌には、いわゆる俳句らしい俳句はあまりない。「どんな句が俳句らしい俳句なんだ?」と訊かれても困る。そこはそれ、あれとあれなんかがそう。

四童さんとお話しているうちに(といってもお会いしてではない。星空を介しての交信である)、思い至ったことなのだが、いま俳句を形作っている場のようなもの、その中心には、もうおもしろいものはないのかもしれないということ。四童さんは「鉱脈」という言葉を使った。

中心に近い場所では、鉱脈はもう掘り尽くされている。もうありはしない鉱石を求めて、勤勉に掘り続ける人は、しかし多い。それって、どうなの?

鉱脈はないんじゃないの?と思うのは、単なる勘というか思いに過ぎない。また、「なんだ? いまごろ、そんなこと言ってるのか?」と揶揄されるかもしれない。目先の利いた人は、そんなこと、とっくにわかっていて、ある人たちは中心にはそっぽを向いて、周縁を掘り進む。ある人たちは、そうとはわかっていながら、中心で遊ぶ。

ま、このことは、また別の機会にでも。

さて、「恒信風・第13号」で特に惹かれたのは、長嶋有(肩甲)さんの俳句である。これから読む人のために、句を挙げたりなんぞはしない。この号は、長島肩甲さんと北野勇作(西瓜頭)さんの特集だから、たっぷり読める。

肩甲さんは、誰もいない場所から、俳句を見ているかんじだ。私たちは、いくつかの場所から俳句を見ているが、立っているその場所には、膨大な数の人がいる。ユニークな場所から俳句を見ること(ということはすなわち「ユニークな俳句的視点」からモノを見るということだが)は、たいへんに難しい。それが軽々とできている感じである。

余談だが、肩甲さんが育った家は、むかし、しょっちゅうその前を通り、幾度か覗いたことも、買ったこともある店だった。奇遇。

というわけで、俳句らしい俳句? ううむ、という疑問を抱きながら俳句と付き合っている人には、「恒信風・第13号」は大のオススメ。そうじゃない人は、読んでも、「こういうのもおもしろい」くらいで済んでしまうだろう。そういう人にはもったいない。って、読者を限定するようなことを勝手に書いてしまい、四童さんや恒信風の人たちに叱られそうだ。

つまり、えらくおもしろかったってことです。Lounge Lizards はやはり1枚目が聞きたくなった。
by tenki00 | 2005-11-07 01:53 | haiku

たじまさんところで「俳句な毎日」が復活

http://www.est.hi-ho.ne.jp/cgi-bin/user/tajima/touku.cgi


ついでの【勝手に告知】
恒信風句会の〆切が月曜日に延びています。
http://otd5.jbbs.livedoor.jp/520830/bbs_plain

オクンチは11/9(水)〆切。偶数回の今回は題詠です。
http://www3.ezbbs.net/03/0123/
by tenki00 | 2005-11-05 11:12 | haiku

人名俳句房

オープンしました。
http://jinmeihaikubo.blogspot.com/

人名俳句をコレクションします。
ちょっとずつ気ままに増やしていきます。
「こんなん、ある」というご意見・アドバイスもコメント欄にご随意に(ただし、ラインナップに加えさせていただくかどうかは、こちらのマターということで)。
by tenki00 | 2005-11-05 00:48 | haiku

えっとね

タイトルくらい考えろよ、という声もあるのだけれど、そうもいかないときがある。

ブログというのは、その日にあったことについて、その日に考えてその日に書く、というのが理想なのだろうが、そうもいかないのと同じだ。だから、すこし前の句会のことを思い出して、急にここに書き始めたりするのだが、3クール、つまり兼題8題⇒作句⇒投句⇒清記⇒選句⇒選評という手順を3回、午後ひとつを使ってやっつける。あたふたあたふた、というのかというと、そうでもない。選評など、想像以上にじっくりである。終わって、ゴミとかを片づけて、さあ、飲みに行こうかと、小綺麗な飲み屋さんに腰を落ち着ける。「お疲れ様でしたー」と、くつろぐのかと思ったら、おひとりが、短冊を机に置く。

マイ短冊らしい。

ひぇっ、まだやるの? まだ、やるらしい。漢字が四つ書き並べられて、それがお題である。しゃあないなあ、もう、と、全員しゃかしゃか句をつくる。出来上がった句がひとところに集まる。読み上げて終わりかと思ったら、選句だ。ひぇっ、選句もやるの? やるのだ。短冊を回し、気に入った句なら、短冊の裏に名前を書く。

なるほど、この方式なら清記なんて要らない。清記の誤記なんて、起こりようがない。この方式、気に入った。何句選なんて決めない。もう酒が入り、すでに回り始めた私などは、あやうく全部の句に選を入れそうになる。

すべてが俳句につながる。ローマじゃなくって、俳句につながる。っつうか、俳句につなげようとする俳句マニアが存在する。句会が好き、なんて当たり前。それ以上に、私などが想像もつかない方法で、俳句と自分を合体させようとする。

俳句マニア、俳句マシーン。否、以前、私が命名した「俳句獣」という呼称こそがやはりふさわしい。

そして、そのなかでも突出して、俳句獣の名にしおう、「俳句獣の王(はいくじゅうのおう)」を、私はその晩、目にしているのかもしれなかった。

そんなこんな句会の翌日から、私は労働に戻り、文化の日の今日も労働である。だが、これも私なりの「俳句的生活」だ。何年たっても、いや生まれ変わっても「俳句獣」にはなれそうにないが、それもよし。すごく、よし。

家に帰り、チャーハン(今日の晩御飯)を食べながら、夫婦(めおと)の会話。yuki氏は、日常の雑事に追われながらも、王子ホールに向けて練習を続けている。ピアノ獣か? そうじゃないようだ。きょう、弦が切れたという。月曜日に張り替え。それまで別のピアノで練習だ。私は「がんばってね」と(心の中で)告げるのみ。食後は四童珈琲店にでかけ、コーヒーも飲めず、歌仙を付ける。ふと、浮御堂でのネット句会でも、またやるかとか考えながら、明日のシノギのスケジュールを頭の中で確認。昼はこれこれ、それから雑誌「丸」というユニークな雑誌の編集部にでかけ、うまく行けば、その足で有楽町の東京研究会(麦の会でおそらく唯一、句会の途中ですでに酔っぱらう集まり)に顔を出せるなあなどと考える。

そんなこんなの俳句的生活である。だから、この記事は「俳句的生活」としてもいいのだが、そういうわけにもいかない。やっぱり、タイトルなんてつけようがないのだ。
by tenki00 | 2005-11-03 22:48 | haiku

んとね

タイトルとかは要らないときもあるし。

何を書くかを考えないで書くことさえあって、そういえば、急に言い訳を思いつくんだけど、あのね、シノギのときの私って、こうじゃないから。つまりね、こうゆうとこに書くとゆうことは、シノギとはまったく別でね、シノギもこんなふうにシノいでいる、なんて思う人はいないだろうけど、いちおう言っておかねばね。「~とゆう」なんて使わない。「~という」なのである。

シノギはシノギなり。俳句のちゃんらんぽらんはちゃらんぽらんなり。さすがに使い分けているので、ご心配なく。米櫃の底が見えない程度には働く決意。

で、突然だが、勝手にお知らせすると、恒信風句会の〆切が4日(金)。小麦句会の〆切がちょっと延びて今夜の8時。あと40分くらい? 出す人は急がなきゃ。

でね、昼休み、食べようと思って出かけたフランス料理屋が休みだったんで、その近くに新しくできた蕎麦屋に入った。最近、蕎麦を打つスペースをガラス越しに客に見せる店が多いが、そこもそう。主人は「蕎麦の魅力に魅せられて(大笑)脱サラ。修業ののち独立開店」というパターンも想像される、昔の蕎麦屋とはちょっと違った、いかにもこだわった風の蕎麦屋が最近増えまくっていると思うんだけど、どう?

その店、メニューを見ると、せいろが850円。わ!高! でも、そこで店を出るわけにいかずない。気が弱いし、また、アルバイトさんも一緒だから、昼ご飯くらいはおたおたせずに、毅然としていなければならない。あまりに情けないと、労働者が不安になるからね。結局、かき揚げせいろを頼む。味は普通だ。まずくない。好みによっては美味な蕎麦かもしれない。量は例によって少ない。でも、カロリーコントロール中だから、それでいい。

店を出ると、よく晴れているが、もう、これは冬晴れのような感じの晴れ方だ。そんな感じの昼休み。

って、何の話か、わからなくなった。タイトルは、先にも後にも付けようがない。
by tenki00 | 2005-11-02 19:21 | haiku

人生ゲーム

箱の右のほうで踊ってる人たちが、とってもヘン

タカラはタカラのテイスト。

  タカラ人生ゲームに桃のひとしずく  天気

1句置くと、なんか、俳句ブログっぽい。
by tenki00 | 2005-11-02 00:52 | pastime

香山リカ『いまどきの「常識」』

昨今の主流論調に疑義を唱えた本。「いまどきの常識」…章タイトル:「自分の周りはバカばかり」「お金は万能」「男女平等は国を滅ぼす」「痛い目にあうのは『自己責任』」「テレビで言っていたから正しい」「国を愛さなければ国民にあらず」…に、そうじゃないだろうが!と言っているわけで、スタンスは真っ当、論理もまずまず。ところが、なんか腰が退けている。「~ではないだろうか」といった文末が多いせいばかりではないだろう。

いわゆる「右寄り」の言説は声がでかい。それが一過性の風潮ではなく、かなり長いこと続いている。中庸は、右から見れば左、左から見れば右に見える。右やら左やら、端っこに針の振れた歪やら下品を受け入れることのできない「真っ当な中庸」は、どうしても声が小さくなるのかもしれない。とは、善意に解釈しすぎか。

この人はテレビで見たことがあったが、本を読むのは初めて。テレビではテキトーにコメントしていればいいが、「著者」ともなれば、1冊分、主役である。もうすこし啖呵を切ってくれるのかと思ったが、その点では期待はずれ。ケンカ売れないなら、こんな本、出すべきでないとも言える。さらっと読める薄さだが、半面、「時流としての常識」をもっとじっくりしっかり切り崩す叙述も欲しい。

(岩波新書2005年9月)
by tenki00 | 2005-11-01 00:08 | pastime