という晩があるらしい。
そりゃあるだろう。そういうときは「私が作ろう!」となれば、なんだか好ましい夫婦像かもしれないが、うちにはそんな微笑ましい趣味はない。そういうときは外で食べればいい。そこまでは普通の晩だが、今夜はご近所3軒の気分が一致した。そういう晩もあるのだな。で、一緒に近くに食べに行く。 食べている途中、お向かいの娘、めぐちゃんが駆けつける。小学生のとき、うちにピアノを習いに来ていたのがつい昨日のことようで、いまは目の前で焼酎のお湯割りを飲んでいる。大学3年生になったのだ。10年かそこら昔が昨日のようで、時間が経つのがなんとも早いなどと、普通すぎる感慨を抱きながら、めぐちゃんとiPodの話などをする。違法ダウンロードですでに600曲貯め込んだという。それを言うとき、すこし悪びれた表情をする。いい子に育ったなあ。 もうひとつのお向かいの娘、麻衣ちゃんには、3日前、赤ん坊が生まれた。ついこのあいだ、中学生だったりしたのに!と、これまた普通すぎる感慨である。知人のなかにお爺ちゃん、お婆ちゃんになる人々がちらほらあらわれはじめた。 ふうむ。そういう年齢になったのだなあ。 年取って疲れているわけには、まだいかないが、最近、すこしだけ気持ちがくたりとなる時間帯がある。だがしかし、まだ疲れているわけにはいかないのだった。 ▲
by tenki00
| 2005-04-21 23:22
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というのは、バシュラール『空間の詩学 Poétique de l'espace 』にあった言葉。たしか「場所への愛」と訳されていたが、「場所愛」とでもいいたいところだ。
って、そんな、バシュラールだなんてカッコつける必要はないんだった。要は、東人さんのブログが始まったということをお伝えしたかったのだ。トポフィリに満ちた記事あり、またべつの記事あり、いろんな記事あり。深く広い。 またTB(トラックバック)でも絡みますので、東人さん、よろしくお願いいたしますです。 ▲
by tenki00
| 2005-04-18 18:12
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の話が、なむさんのブログにあって、ちあきなおみの「星影の小径」というアルバムを思い出した。奇跡的に素晴らしいアルバムである。特に冒頭の「星影のワルツ」。日本の古い歌謡曲ばかりをカバーしていて、ほかに「港の見える丘」などもなかなか素敵な歌唱となっている。
アナログ盤で持っていたが、すでに手元になく、あってもターンテーブルがない。それでCDで購入。懐かしく聞いた。 しかしながら、当時ほど「よい!」とは思わない音である。むかしアナログ盤で持っていたアルバムをCDで買って聞いたとき、音質に関して「んん? これでいいのか?」と思うことが多い。当時持っていたスピーカーより良質なスピーカーで鳴らしているはずなのだが、そう感じる。CDプレーヤーの問題は大きいが、それにしても、である。 単なる錯覚や思い込みか。それとも、CD化の際の音づくりというのに、なにか特徴とか欠点・問題点があるのか。高音域・低音域のカットということはあるが、そんなに微妙なところでなく、なにかありそうな気がする。 どうなんだ? CDというのは? 数十年前に発しておくべきだった疑問ではあるが。 ▲
by tenki00
| 2005-04-17 16:07
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だかどこだか忘れたが、あのへんの玉突屋に、むかし弟が出かけたときの話である。
その頃の東京は今のようにポケットビリヤードではなく四つ玉が盛んだった。玉突屋にはひとりで出かけてもお相手はいた。弟はその玉突屋は初めてで、常連らしきおじさんがお相手となった。 四つ玉は、対戦相手の点数を声を出して数えるのが慣わしだ。おじさんが突いているあいだは弟が数え、弟が突いているあいだはおじさんが数える。どこかで聞いた声だなあと思いながら玉を突いていたが、そのうちおじさんのキューケースに名前が書いてあるのに気づいた。高田。 「高田渡だ」 むかし中央線沿線は、そういう場所だった。どういう場所って、うまく言えないが、そういう感じ。私は高校生のとき、ラジオを聞きながら、中央線という言葉を知った。いわゆるフォークソングという脈絡だ。フォークは大嫌いだったけれど、なぜか中央線沿線という場所は気になった。それで、大学というものをなんとなく考えなくてはいけなくなったとき(周りのみんなが行くから行くという、ずぶずぶのマジョリティでありました)、行くならあのへんかなあと漠然と考え、そのへんにどんな学校があるのか調べた。 高田渡の音楽を愛したことがあるわけではないが、弟の話は興味深く聞いた。そして、「中央線だなあ」と思った。そのとき私自身も、えらくはじっこではあるが、中央線沿線に住んでいたのだけれど。 高田渡が亡くなった。 16日午前1時22分、心不全のため入院先の北海道釧路市の病院で死去。56歳。 高田渡といえば、現在は、みうらじゅんの存在が欠かせないように思う。高田渡リバイバルにみうらじゅんは重要な役割を果たしたのではなかったか。あと1時間もすると、FMラジオ(J-WAVE)で、みうらじゅんと安斎肇の番組が始まる。今夜は夜更かしして、ラジオを聞いてみようかと考えている。 ▲
by tenki00
| 2005-04-17 00:54
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来ることの嬉しき燕きたりけり 石田郷子
子どものときに暮らしていた家は父が建てた家で、そこに燕が巣をつくることはなかったが、向かいが祖父祖母の家で、その軒先には毎年、燕がやってきた。来ることそのものが嬉しいとしか言いようがない。それが燕だった。この句は、どきどきするほど嬉しくすがすがしい。 昨年、石田郷子の第2句集『木の名前』を買い、読んだ。それなりに気持ちのよい句集だったが、掲句や「背泳ぎの空のだんだんおそろしく」のようなどきどきする句は見つからなかった。洗練味を増した、といえばそうなのかもしれないが、「ちょっと物足りない」というのがこの第2句集への今のところの感想で、第1句集は複写でいいから手に入れて読みたいと思っている。 ▲
by tenki00
| 2005-04-16 12:20
| haiku-manyuuki
と思った。
格闘技系ヘヴィー級俳人・吾郎さんが、由季氏の背中の筋肉が注目だとおっしゃる。それを聞いて、私の意識も身体的な部分に行く。すると、演奏前の由季氏が、レース直前の水泳選手、ゴング前のボクサー、試技前の体操選手のように見える。 曲が始まる。ジャストミートの連続である。40年以上、そのために使っている筋肉というのは、やはりなかなかのものだ。私は楽しめた。とくに「巴里のアメリカ人」。それとアンコールのバーバー「スーベニール」。 本人たちはいろいろ心残りやらあるようだが、お疲れ様。 音楽は、身体の仕業であることが、いまさらながらよーくわかった。 4/16 10:00 追記 由季氏より、「お越しいただいた皆様、誠にありがとうございました」とのことです。 追記の追記、由季氏、「スポーツだ!」と言われても嬉しくない、そうだ。ま、そうか。 ▲
by tenki00
| 2005-04-16 00:22
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をプリントアウト中である。
由季氏らのコンサートの前夜、つまり昨晩、プログラム解説のパンフレットを完成させた。イラストレーターやクォークなどいう洒落たものは使えないから、MS-Word。そんでもって、いま印刷中ってこった。 チラシには誤植があり、それに気づいてから数日は生きた心地がしなかった。パンフレットにも誤植があるかもしれないが、許せ。 いまさら言うまでもないが、由季氏と私は夫婦ということで、なにか手伝うことがあれば手伝う。それが夫婦の仁義である。それで、パンフレットをつくり印刷しているというわけだ。 雄鬼さんが、奥方の件で、「のろけてない」「喜んでない」と抗議していらっしゃるが、喜ぶべきことなんじゃないか、お弁当をつくってもらえるなんて。あるいは、相棒がいることは。だから素直に喜べばいいと思う。のろけていいかどうかは知らないけれど。 夫婦は相棒であり戦友である。世の中ぜんぶがそっぽを向いても、そばにいてくれる、そばにいてやるのが夫婦だろうと思う。これは私のような気弱で意思が弱く不安定な人間には、大きな安心だ。 由季氏にはふだんずっと世話になりっぱなしである。だからというのではないが、なにか手伝うことがあれば手伝う。というと、いかにもいつもなにかと手伝っているように聞こえてまずい。それはまったく違う。だが、まあ、たまにはやる。ひつこいが、それが夫婦の仁義ということだ。 ▲
by tenki00
| 2005-04-15 13:27
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の練習が続いている。
由季氏とその相棒の真理ちゃんが、あさって金曜日にやるピアノデュオコンサートに向けて最後の追い込みである。私の目はシノギの残りの作業、耳はピアノ。本番が近いので、当日と同じ曲順で練習が続く。 私はまったく弾けないけれど、練習の音が耳に届くのが好きになった。由季氏が弾くのでなくともかまわない。生徒さんの音でもよい。ふだん昼間は家にいないので、あまり聞くことはないが、たとえば、仕事場で徹夜で作業して昼近くに帰宅、ソファーで横になって、ピアノの練習を聞きながらふわっと寝入る。これほど幸せな時間はない。音楽というものは、基本的にピースフルなものだからね。 さて、デュオの練習が続く。「ロシア狂詩曲」が終わった。ラフマニノフが18歳のときに書いた曲。聞かせどころ満載の華麗な曲だ。若造、やるなあ。 あ、そのコンサートは府中の森芸術劇場ウィーンホール、あさっての7時開演。お近くの方はお立ち寄りを。 ▲
by tenki00
| 2005-04-13 23:09
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エリーゼの為に煩き花御堂 佐々木六戈
くにたちの桜ははんぶん散って、ちょうど「花は葉に」の時季。今朝、ドトールコーヒーの2階、大学通りに面した窓から「花は葉に」状態の大木を味わった。そういえば、この手の施設(コーヒー屋さんとか)の奇妙なBGMがずいぶん減った気がする。 ▲
by tenki00
| 2005-04-13 12:53
| haiku-manyuuki
というタイトルのトラックバックが到来した。
紫野さんのテストの標的となった模様だが、このところはどこにも絡むところが見つからない。雄鬼さんはただいま「ふたりの世界」のまっただなかで、さすがにそこに割って入るわけにはいかない。ところで、俳句の壁、俳句マイナー論は、いつか再開されるのだろうな。焦らせるわけじゃないけど。 峠谷さんところは、私みたいなシロウトの理解を超えた、サイコで、ソーファーラウェイな世界だし。 檀さんところのお嬢ちゃんとお坊ちゃんには、ご入学おめでとう!ご入園おめでとう!と、ここから叫んでおくが、私は、育ちが卑しく悲惨だったせいか、家庭的な話題がじつに苦手であるから、幸福なご夫婦、幸福なご家族からは身を遠ざけるという習性が染みついている。 AQさんとこはずいぶん長らく更新がない。ちょっと心配。 むりやり絡むこともないが、映画評を読んで、その映画を観たくなるというのは、映画評として一級だな。って、これはむりやりではない。 ▲
by tenki00
| 2005-04-13 03:03
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