たじまさんが、私の記事に反応してくださってます。トラックバックにもあるんですが、作法~相対性俳句論(断片)という記事。
私自身かなり浅薄にしゃべってしまったことを掘り下げていただいています。というか、たじまさんの「俳句原論」へと引き寄せられた展開で、もう、こうなったら、私の論から遠ざかったほうが実りが多いのではないか、と。 念のために申し上げておくと(たじまさんには誤解が生じているはずはないが、為念)、俳句が「しょーもないことのメモ」というとき、俳句そのものがしょーもないわけではない。 ひとつトピックを付加すれば、「しょーもないことなんですが」という前置きは、俳句という器のなかにあらかじめ埋め込まれている。それゆえ、「しょーもないこと」を詠んだ句を、「これって、しょーもないでしょ」という身振りで提示することは、「これはためになる話で」と前置きをしてから、ありがたそうな話をしたり、「すげー、笑える話なんだけど」と言いながら笑い話をしたりするのと同じくらい野暮なわけで。(たじまさん) 併せて、その贈り物の価値は、贈る側の人間(つまり「私」)の制御不可能なところで決定されている、ということに同意するための署名(たじまさん)という部分には、同意するわけです。 ● もうひとつ、たじまさんがみずから参照する過去記事から。 「つまらないものですが」という否定のメッセージを正しく受け止めた者だけが、「無限のサービス」を受けることができるのだ。 つまり、俳句は「作者」から「読者」への、「つまらないものですが」という「取り消し記号」付きの「無限のサービス」なのである。 俳句の「読者」は、「作者」からの「つまらないものですが」というメッセージを受け入れる形で、その作品のもつ「無限のサービス」を受け止めるのである。 つまり、俳句における「不可能性」とは、そうした「つまらないものですが」という「取り消し記号」によってしか言い表すことのできない「なにものか」なのであり、その「なにものか」こそが俳句における、「無限のサービス」なのである。 引用が長くなったが、とても示唆深い。私が浅薄にしか語れなかったことは、こういうことかもしれない。
by tenki00
| 2008-10-31 20:06
| haiku
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