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実年齢って問題になるんでしょうか? こういう場合

猫髭さんの『俳句』2008年7月号を読む(週刊俳句第63号)

座談会「女性が担う俳句の将来」の読み方が、私とずいぶん違う。参照↓
http://weekly-haiku.blogspot.com/2008/06/20087_29.html

(…)酸いも甘いも噛み分けた小手先の技など歯牙にもかけないスピリチュアルなベテランを筆頭に貫禄十分だから、まだテクニックに走りたがる青年が技術論並べても歯が立つわけはない。と猫髭さん。

これを読むと、司会の高柳克弘が全般に「技術」に偏重した論を展開しているように思う人がいるかもしれないが、「技術」うんぬんはもっぱら、星野立子にまつわる箇所。

高柳氏は、立子に、いわば「技術を感じさせない高度な技術」を見て取るが、宇多氏・西村氏は、それを技術とは見ず、議論は噛み合わないまま終わる。両氏は、技術ではなく資質・天与のものと捉え、それゆえ立子の「技術」という視点に賛同できぬように見える。

しかしながら、資質のある人(天才と言ってもいい)とは、凡人にない技術をかるがると駆使してしまう人のことではないのか?

ともあれ、司会者(ホスト)とゲスト(女性3人)という立場で参加した4名の俳人間で「歯が立つか」どうか、という問題ではなく、高柳氏がホスト役をどう果たしたかという問題だと思う。

テーマ(女性と俳句)の下、批評/分析の作業へと持っていこうとする高柳氏は、オバチャンの井戸端会議へと傾きつづけるゲストを前にして、「健闘」と言える。「井戸端会議化」の善し悪しをいうのではない。これはなかなか御しきれるものではない。

(すべてを井戸端会議化してしまう「オバチャン性」を、猫髭さんは「スピリチュアル」と呼んだのだろうか?)

まあ、そのへんは読み方の違いだからいいとして、猫髭さんが「高柳克弘は28歳なので、まだ朝の9時台」と実年齢を問題にする点、どうなのだ?

実年齢を、言論/言説にからませるこのやり方、筆の上のサービスだとしても、看過できない。

何かについてモノを言う、とりわけ「意見」などではなく批評・分析的なモノを言うとき、実年齢など、関係があるのか? 

誰が言うのか、ではなく、何を言っているのかが問題なのだ。

その「誰」という部分には、年齢や性別や諸々の生物学的/社会的条件がくっつく。それらは、言説を聞くときのバイアスにはなっても、決定的要因にはならない。

後期高齢者(悪名高いですね)保険証を「葵の御紋」のように振りかざしながら議論するような議論の場? 出かけたくないなあ。

逆に、若い人と何かをしゃべるとき、タカをくくってしゃべることはしないようにしている。節操からではない。年齢や所属や社会的位置づけ(生物学的/社会的条件)がアテにならないことを経験上知っているからだ(例えば、見た目オトナがバカを言う;私だ。意外な人が、ピピっと焦点の合ったことを言う。一流大学の人のオツムがとっても弱い。等等。世の中、そんなことだらけ)。

この手の座談は、人がまじわるのではない。批評的言語が交叉するのだ。そうでなくてはおもしろくない。

まあ、俳句世間というのは、実年齢がやたら幅を利かすようですね。

  *

ちなみに、実年齢28歳の高柳氏は、俳句年齢82歳くらいだと、私は思っている。その意味でも、猫髭さんのおっしゃる「まだ9時台」という設定にはまったく首肯できない。
by tenki00 | 2008-07-06 08:52 | haiku
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