俳句抱擁説

「たじま屋のぶろぐ」に、こうある。

「愛」は、その恩恵に関わらず、未来を先取りするかたちで到来する。

俳句も、それと同じだという。

「「愛」って呼んぢゃえばいいじゃん~相対性俳句論(断片)」
http://moon.ap.teacup.com/tajima/491.html


さて、記事の終わりのほう。

俳句の価値は、言葉を伝えることではないし、その言葉の文脈的意味を伝えることでもない。


ここまでは、よく言われることだし、当然のこと。

その「意味の意味」が読み手に「響く」ことこそが、俳句が僕たちに求めていることなのではないだろうか。

このあたりは、わかりにくい。「意味の意味」とは、意味がなぜ意味であるのか、意味の根元を問うたとき見えてくること、といったようなことだろうか。

「意味」という概念にこだわりはじめると、ややこしいかもしれない。意味に機能(最初に引いた一文にある「恩恵」)を見て、それとの決別を宣言するというだけが、たじまさんの意図ではないだろう。その地点は、すでにはるか後方にあるはず。

人を抱きしめるような俳句。すてきです。
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by tenki00 | 2008-03-16 02:51 | haiku
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