猿丸さんと信治さんのサバービア俳句の第2回。バイパスの水銀灯やら公団の上空を飛ぶ旅客機やらファミリーレストランといった風景に話題が展開し、ちょっと泣けます。
http://weekly-haiku.blogspot.com/2007/09/2.html
ひとつ細かいところをつついておきたい。
信治さんの問い、
「俳句のライバルになるジャンルがあるとしたら、なんだと思います?」という部分。
ここは、こう言い換えたくなる。「俳句がライバルになれるジャンルがあるとしたら、何か」
センテンスの構造が違えば、事象も違ってくる。写真もロックも、ある意味、俳句
のライバルかもしれない。でも、俳句
は、写真やロックのライバルになれるのだろうか?
猿丸さんは、俳句はかっこいい、と宣言する。そうなら、俳句は、それらのライバルたりうる。でも、実際は、どーだろ?
あえて、話題をそちらにもっていくなら、俳句が「かっこいい」か、そうじゃないか。「かっこいい」という語感の軽さとは裏腹に(しかし同時に、その軽さゆえに)、俳句存亡の鍵がそこにあると見る人も多いかもしれない。私もすこし、そう。
そこで、だ。サバービア俳句と「かっこよさ」の関係である。公団やファミレスや旅客機といった「題材」に還元されるのであれば、つまらない。サバービアな「空気」をたたえた句、ということになるのだろう。
「サバービア俳句」という記事を読んでいると、俳句以外のものにアタマや気持ちが行く。すごく行く。それだけでも、この概念は、私にとって重要だ。俳句の「中」のことは、どんどん、どーでもよくなっていくのだ。