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その手前に形づくられる読むことのたわむれ~表面主義俳句宣言・断章02

どんなタブローも、たとえ一個のリンゴ、現実の一断片を描いても、つねに全体性(作品)を自負し、また自負しえた。しかし、たとえば一枚の写真はつねに断片であり、パッセージでしかないだろう。いいかえれば、それは《引用》なのだ。しかし、一枚の写真が《語る》ことができるのはまさしくこの事実によってなのだ。いいかえれば、その背後にあるなにものかによってではなく、その手前に形づくられる読むことのたわむれ、あるいは《見る》ことの厚みによってである。宮川淳「《想像の美術館》の余白に」(『紙片と眼差とのあいだに』小沢書店1974所収)

写真を俳句に置き換える。

もちろんのこと、俳句を写真とのアナロジーで語る言説はすでに多い。だが、語りようが違えば、アナロジーによって明らかになるものも違ってくるはず。

私の叙述へとパラフレーズすることは、いまはまだせずに、引用を放置するざんす。
by tenki00 | 2007-02-27 00:52 | haiku
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