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句集という儀礼 (2)

2006-11-29 の記事への猫髭さんのコメントがおもしろい(いつもながらなのだけれど)。

俳句とその読者については、去年の春先、雄鬼さんや田島さんとさかんにトラックバックをかわしていた話題。別室のページ内検索(左にある窓)に「俳句村」と入力して検索すると、そのあたりの記事が出てくる。何度も何度も、この問題(生産物=句が村=俳句世間の内部でだけ消費されること。おまけに、おおかたの俳句愛好者は自分の句にしか興味がない)に戻ってしまう。

猫髭さんはおっしゃる。
作者は売れる内容の句集を作る。出版社は売れる俳句の編集をし、売る努力をする。読者は自費で買って言いたい事を言う。
だが、売れる内容の句集(言い換えれば売るに値する句集)をものすることのできる俳句作者は、いったいどのくらい存在するのか。また、この要求は、出版社にはあまりにも過酷。さらには、そんな天使のような読者は存在するのか?…とまあ、現実論はたやすい。

広く読者を獲得するような句集。それを理念的に想像することは重要だけれど、もっとカジュアルに俳句世間で毎日のように自費出版される句集。その儀礼的側面を言っただけのことだったのだ、あの記事は。

で、さて。私は、自費出版の句集にも敬意をはらう。これは先般、連句掲示板でも話題になったのだが(11月11日の書き込み)、私が句集を出すとしたら、やはり、句友への挨拶としての側面が大きいと思う。作ってしまってからは、その句集がどんな読者にめぐりあうか、それは作者である自分にも予測がつかない。このことは拙句集『チャーリーさん』で実際に味わったことだ。ちなみに、『チャーリーさん』には値段がない。1冊も売れていない。すべて贈呈だ。

猫髭さんのおっしゃる「買う読者を俳人に限定することなく、普通の人々にもターゲットを置く事」のうち「買う」を除いて賛同する。俳句の外にいる「読者」を、いつも頭に置いている。だが、買ってもらうことと、それとを同じには考えない。別の層にある事象と思う。読者と購買者は微妙に違うのだ。

俳句の現状において、購買者のことをテーマに挙げるのは、野心的ではあるが、空想的とも言えよう。それにまた本来的に作者が想定すべきは「読者」だろう。もちろん、猫髭さんが示す「購買者」とは、自腹を切っても読む積極的な読者をさすことは承知のうえで。

「一般にも売れる句集」のことを口にする俳人はいる。だが、そのまえに考えることがある。俳句の外にいる人に読んでもらえる句、愉しんでもらえる句。そのことのほうが先だろう。といっても、これはわかりやすい俳句という意味ではけっしてない。

話があっちこっちと飛んでしまったが、句集ひとつ取り上げても、いろいろ話題が広がるざんす。
by tenki00 | 2006-12-04 22:20 | haiku
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