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句集という儀礼

いただいた句集を拝読するときのこと。

本というのは、句集に限らず、導入のリズムのようなものがある。本題に入る前に、トビラや、トビラの裏の白いページ、また目次が、まず私たちを迎えてくれる。加えて、まえがきが備わる本もある。私たちはこうした書物のスタイルに慣れ親しみ、気持ちよく繰り返している。

さて句集。表紙を開け、トビラなどの導入部を経て、最初の1句が目に飛び込む。ページをめくり、数句を拝読。またページをめくり読み進む。これが、気持ちのよい本のスタイル。

ところが、こうした自然な流ればかりではない。多くの句集は、とても奇異なスタイルをとる。どこが奇異なのか。これは私だけが持つ印象かもしれないが、まず、本の帯だ。

一般に、この帯は書店に置かれたときに、客の目を引くためというのが目的のひとつ。他にも、急の広告文句(ナントカ賞受賞etc)を迅速・安価に纏わせるのに最適といった目的もあるが、ともかく書店に並ぶときに効果を発揮する(と私は信じている)。だから、書店に並ぶことのない自費出版の句集に帯があること自体、すこしばかり奇妙な心持ちになる(*1)。だが、奇異というのは、そのことではない。

帯に「自選十句」なんてものが刷られていることがある(*2)。これである。

ページをめくりながら、はじめて読む句に、読者として反応しながら読む。というか、他人様の句と、そのように出会いたい。ところが、自選十句。

……。
じゃあ、他の句は、なに?

それにまた、なぜに、同じ句を二度、読ませる?

まあ、それはいい。帯の十句には目をくれないようにしながら、ページをめくる。すると、どなたかの推薦文のようなページが、まず続く。多くは、所属結社の主宰の一文。そのなかに、また、数句から十数句が抜粋してあったりする。「自選」と重複したりすると、同じ句を三度も読まされることになる(だから、序文はけっして読まないのだが)。

この句集のなかで、どの句が素敵か。それくらいは、読者に、白紙の状態で選ばせてくれないのだろうか? こういう句集は、手に取って読んでくれる読者のことを、どのような存在と考えているのだろう?

とはいえ、事情は理解している。エラい先生の「序」が入るのは、俳句世間に広く定着した「第一句集の決まりごと」のようなものだ。「第一句集は主宰の選」と決められている結社もあると聞く。自選など、もってのほかなのだ。

この理由もわからないでもない。自費出版には、品質の検査もハードルもない。オカネさえ出せば、どんなものでも出てしまう。そこで、一人前の俳人が「内容を保証します」というそのしるしが、あの序文なのだろう。これこれこういうふうに俳句を始め、研鑽を積み、ようやくこうやって句集を皆さんに読んでもらえるところまで来ました、というわけだ。

結婚式の仲人の挨拶に似ている。新郎新婦は若輩で、まだ挨拶などできない。着飾って、神妙な顔をして、おとなしく坐っている。代わりに仲人が、新郎新婦の学歴職歴を紹介したうえで「人生の第一歩をまだ踏み出したばかりです。これからも皆さん、よろしくご鞭撻のほどを」うんぬん。

第一句集を俳句世間へのお披露目と考えれば、読者には奇異に思えるいろいろなことも納得が行く。

儀礼にはコストもかかる。先生あるいは主宰に、200句ないし300句を選句してもらい、なおかつ「序」を書いてもらうと、選句+「序」の執筆の御礼の相場が20万ペソ、高いケースだと50万ペソにものぼると聞いた(*3)。ただでさえ、自費出版はオカネがかかる。そのうえに礼金である。

句集は、ことほどさように儀礼である。こう言い切って悪いなら、儀礼的側面をもつ。第一句集は、文化人類学的にいえば、イニシエーション(入社儀礼)。しかしながら、どこに入っていこうというのだろう?


(*1)句集の帯に、やたらハイテンションな惹句が刷られていることもある。惹句とは、もちろんのこと、本屋で目に止まり、手にとってもらうためのものだ。寄贈がもっぱらの句集の場合、いったい誰に向かって提示される惹句なのだろう?
(*2)帯に自選十句を刷るのは、紹介文を書いてくれる人への心配りでもあろう。何句か抜粋して、俳句雑誌に句集を紹介するとき、帯の十句から抜くという方法がとれる。もちろんすべてのページに目を通すはずだが、作者が「粗選り」をしてくれたなかから選ぶほうが、いろいろな意味でシュアだろう。
(*3)結社「麦」で、「一律5万ペソ」という取り決めをしたこともあると仄聞した。相場がわからず困惑するのが「礼金」の常である。だから「一律いくら」と決めるという方法もあるが、いかんせん設定が安すぎたようだ。田沼さん、いまさら言っても詮無いですが、ご愁傷様です。
by tenki00 | 2006-11-29 23:02 | haiku
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