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コンテンツの供給量という問題

『俳句研究』12月号を買う。目次をめくり、まずは朝比古さんの受賞第1作「をこがましき」のページへ。

  八王子西八王子高尾秋  朝比古

あはは。やっとるやっとる。

他のページもめくる。俳句を読む。律儀に目を通す。岸本尚毅に、数句、気持ちよい句がある。他は……。ううむ。これだけたくさん載っているのにね(「おっ、今井杏太郎の句もある」と、「枯れながら」10句を期待して読んだが、「枯れ」を通り越して、医学的にもう息も脈もなかった)。

記事も読む。仁平勝「句が『変化』すること」に、五七五という定型が消滅すれば、また、句会という形式が消滅すれば(つまり、誰も句会をしなくなれば)、俳句は詩一般に解消される、とある。定型と座の存在が、俳句を詩と隔てているわけか。なるほど。
※どうでもいいが、この人、1のことを言うのに3~4倍に希釈する。普通の人なら3回しか持たない連載が10回にも15回もなる。ある意味、プロ(良い子はマネしちゃダメ)。
で、他は……。

まえまえから感じることだけれど、この手の雑誌、めまいがするほどつまらない。読むところがほとんどない。これは私のせいか。不勉強? しかし一方、冷静に見て、ちょっと困った状態ともいえる。わざわざたいそうに活字にするような句か?ってな感じだし(かといって遊べているなあと感心する句群もない)、記事はといえば、2、3行読めば、底割れの見えるものがほとんど。もっとも、数百円で、数片のテクストが楽しめれば充分という考え方もある。だが、そんな太っ腹な購買者を相手にできる雑誌はなかなかない。

で、ここから一般論。つまり、(句も含めた)コンテンツの供給量が絶対的に不足しているのだ。こうした「俳句総合誌」のコンテンツの供給源が「俳壇」なわけだが、それが、わずかなメディア(俳句総合誌)を満たすだけのテクストさえ生み出せていないということなのだろう。「俳壇」でも「俳句世間」でもいいけれど、それは実のところ、そうとうに貧相なものなのかもしれない。

「あれ? 俳句って、こんなにつまらないもんだっけ?」とあるときふっと気づくとしたら、きっと悲しい。そうならないために、せいぜい、おもしろいものを探すことにするざんす。
by tenki00 | 2006-11-23 21:35 | haiku
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