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「インターネット俳句協会」のサイトを拝見して (3)

今回も引き続き、理事長挨拶。http://www.play21.jp/bbs/e_haiku/

第1回→http://tenki00.exblog.jp/3736209/
第2回→http://tenki00.exblog.jp/3735703/

すでに2回書いてきたが、この協会の人にも、そうでない人にも、退屈せずに楽しんで読んでもらえる記事になっているだろうか。心許ない。第1回、第2回は、笑いがとれていない(とるつもりがなかったせいもある)。その反省を踏まえ、今回、第3回は、エンターテインメント性を意識して、短くネタをいじるスタイルで。

ところで、設立時の理事長挨拶は大事である。この会がどんな会なのかを、内外に示すものだからだ。これとは別に「定款」と名づけられた文書(会則という意味だろう)があるが(→http://www.suien.ne.jp/haiku/statute.htm)、これを読んでも、この協会が何をしようとしているのかわからない。それだけに、理事長挨拶が大事なのだ。さて、その後半部分。

まず「活動目標」が挙げられている。順に見ていく。

自由な情報交流(原文ママ)の場の確保
情報交流(原文ママ)に自由も不自由もあるのか?と思う人が多いだろう。一般には、こういうケースでの「自由」という語の使用は、いかに自由が確保されにくいかの証拠だったりする。自由のあるところで、わざわざ「自由」なんて言わない。やたらと「自由」を謳う組織・集団あるとしたら、それは自由のない集まりということだ。これは何事にも言える。※生活の知恵。若者たちはココ要メモ。

次世代の俳句界を担う新人の育成
協会に育成された新人というのは、想像するのがとてもむずかしい。後にある俳句教室や添削指導を経て出てくる人たちだろうか。そんな人たちに担われる俳句界って、いったいどんなところなのだろう?

ネット俳句における情報提供と発信の場として中心的な役割を担う
中心的な役割? 中心かどうかは、自分で決めることではないんだが。

次は具体的な活動内容である。

現在のネット俳句の状況を把握して
えっ? これから、それやるんですか? 明らかに順序が逆。まず把握、それから協会設立を検討、ですね。

俳句関連サイトを網羅するリンク集の作成
これは簡単。ただのリンク集なら、Yahoo、Google、リンクのリンクたどりで、仕事の早いアシスタントが若干数いれば、1日か2日で数百かそれ以上のリンク集ができあがるだろう。

ところで、このブログ「俳句的日常」は、「俳句関連サイト」なのだろうか? もしそう認めてもらえるなら、リンク集の「上のほう」に載せてください。お願いです。

各サイトにおける諸問題を解決すべきサポート体制の整備
「各サイト」とは、協会に入った人がやっているサイトだろう。諸問題? 具体的に何をさすのか想像しにくい。ウェブサイト一般が抱える問題(来訪アップ、悪評除去etc)ではないのだろう(もしそれらの問題解決なら違うビジネスになる)。俳句関連サイト特有の「諸問題」ということか。よくわからない。きっと理事長ほか協会メンバーには心当たりがあるのだろう。

インターネット俳句コンテストの主催
はい、次、行こう。

メールマガジンや文書による会報の発行
「文書による会報の発行」?って、まさか、紙とスネイルメール、使うんですか?

次が「中長期的な展望」だ。

NPO法人化
どうぞ。書類の手間だけですね。

ネット句会 
いろんなところでたくさん開かれていますから、参考にされるとよいです。

俳句教室や添削指導
いったい、どなたが?

こう見てくると、いかにも空疎で陳腐。まともに、もの考えてないでしょ? 理事長も事務局も。

だが、そうだから、「もっと考えよ」と言ってはいけない。「インターネット俳句」の「協会」という枠組からは、誰が考えてもこれくらいのものしか出てこないとも言える。そもそもネット上でこうしたかたちで「協会」をつくろうという発想そのものが空疎で陳腐なのだ。

「サイトそれぞれでいいんじゃないの? なんで、くっつくの?」--簡単に言ってしまえば、これが最も一般的で常識的な感想だろう。なおかつ、それがインターネットという「網の目」を最善に活かすことのできるスタンスとも思う。そして、「サイトそれぞれでいい。協会つくりたいなら勝手につくらしておけば?」というのが、「インターネット俳句協会」に対する賢明な態度だろう。記事をすでに3本も使って、協会設立に反応する私はバカである。

そして、挨拶文は、こう締めくくられる。
これからの俳句界を担っていく中心的存在として当協会に課された任務は重大であり、心して万事に取り組むべく意を新たにしているところです。

中心的存在? また出てきた「中心」。この短い挨拶のなかに「中心的」という語が三度出てくる。もう一度言うが、「三度」である。二度言ったから、ついでに三度言う。「三度」である。

「憶面もなく」などと言ってはいけない。「中心」「中心」と叫ぶほど、「周縁」感、「はじっこ」感、マイナー臭が際立つが、それでも、というか、それだからこそ、この人たちは「中心」が大好きなのだ。そして「幼稚な啓蒙主義者」は、いつだって、自分が中心なのだ。

だいじょうぶですか? インターネット俳句協会。


(つづく、みたい?)
by tenki00 | 2006-09-11 19:25 | haiku
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