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句を捻るというパフォーマンス(実行)

句を捻る。どんな句を捻るのか。今日はこんな句を捻る。昔は違った句を捻っていたはずだし、この先は、また別の句を捻る。

例えば、ブログを始めるようになって、ずいぶんと俳句「について」書くようになった(註*)。別に誰のためでもなく、喰うためでもなく(喰うための時間の合間に)。俳句について書く一方で、私は、俳句を捻っている。私は 俳句について書く人であると同時に、俳句を捻る人間である。

俳句について書くのなら、どんな句を捻っているのか、それを衆目に晒し過ぎないほうがいい。「いい」というのは「安全」という意味。「いろいろと俳句について考えているようだが、そして、なんやかやと好き放題書いているが、ところで、どんな句を捻っているのだい?」という、ある種、意地の悪い問いかけに反応しなくてすむ。

(どんな句を作っているのか)言わぬが花。っつうやつ。

しかしながら、それでおもしろいか? 私の俳句に関するパフォーマンス(実行)の主たる部分は、その「句を捻る」という部分である。だから、他人様に句を晒すという、カッコの悪いことを、あえてする。「ゴミの山にゴミを加えるようなもの」という誹りを前にしても、あえてするのだ。

なぜだろう? よくわからん。簡単に言えば、「俳句について語るだけ」には、なりたくないからだろう。「グラウンドへ降りて来いよ、リングへ上がれよ、客席でヤジ飛ばしているばかりじゃなくて」という声(私の声でも、誰かの声でもある)に、俳句は、幸いにも答えることができる。うまく行かなくとも、精いっぱい句を捻ることは、誰にでもできる。

「今日の10句」を記事に添え、また前エントリでは「100題100句」サイトに書き込んだ句を40句掲載した、このタイミングで、自分の句を他人様の目に晒すということについて、あらためて自省してみたいと考えていたところ、きわめてナイスなタイミングで、たじまさんの記事があった。

「俳句という現実についての覚書」↓
http://moon.ap.teacup.com/tajima/253.html
どんなに思想が膨らんで、袋小路に迷ったとしても、俳句を作るという行為によって、現実に戻ることができる。
それは、ラーメン屋がラーメンを作るのと同じことだ。


捻る以上、他人様に読まれるような策を講じる。それは、ラーメンを作った以上、他人様に食べさせようとすることと同じだ。そういうバカで無邪気な心持ちと考えれば、私の気持ちは楽になる。

一方で、先の話題にも戻ることになる。ラーメンについてグダグダ言ってるくせに、お湯を沸かすことも、ロクに出汁をとることもできない。そういう遊び方をしたくないのだと思う。幸か不幸か、俳句という、なんだかわけのわからない遊びにハマってしまった以上は。

ま、そういうことざんす。


(註*)「俳句について語る」というテーマについては、次のようなブログでこのところ話題になり、緩やかに、あるいは密接に相関している。
峠谷さんのブログのこの記事 http://green.ap.teacup.com/touge/594.html
峠谷さんの記事に反応した、たじまさんの以下の2記事。
http://moon.ap.teacup.com/tajima/247.html
http://moon.ap.teacup.com/tajima/248.html
橋本直さんのブログ たじまさんへのレスポンスとして
http://haiku-souken.txt-nifty.com/01/2006/08/post_6ead.html ほか
上田信治さんのブログのこの記事 http://uedas.blog38.fc2.com/blog-entry-76.html
by tenki00 | 2006-08-08 23:55 | haiku
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