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一段落して、ほっとしたの巻

風呂からあがったyuki氏、顎の下にTシャツのタックが見える。

???

それって、後ろ前が逆で、なおかつ裏表が逆、ってこった。
やるなあ! 器用に大ボケかますやっちゃなあ!

って、そんな話じゃなかった。田沼さん(麦の会の前会長)の『ちょっと帽子を』という本が出来上がった話である。これがどんな本かというと、俳句について書いた文章(昔から最近までの麦誌に掲載された短文)を集めたもの。なぜ作ったかというと、句集『即自』で寄付をもらった人への「お返し」ということだ。田沼さんの発案。アイデアがしゃれている。

この企画のことを、田沼さんからの電話で聞き、編集やってくれと言われ、はいと返事して、それから始まった。装丁は『即自』と同じく六番町姐さん。電話して、かくかくしかじか、まあ、成り行きでがんばりましょうと申し上げ、できあがった装丁は良好。サッカー観てるだけじゃないな、さすがである。新書サイズは、「軽い感じにしたい」という田沼さんの要望。しゃれたたたずまいの本に仕上がった。

先週の金曜日に品が届き、土曜日の麦の例会に持っていき、30冊を手渡して、月曜日に送り先全員に発送。水曜日に、田沼さんから電話があり、麦以外の人(田沼さんからの贈呈先)から、早くも反響があったという。よかった、よかった。

田沼さんには、恩義がある。といっても何か特別に世話になったということではない。私は「仁義」をなにより重んじる。生まれてはじめて経験した吟行に田沼さんがいたことが、麦に入会した理由だ。吟行句会のあとの飲み屋で、盃を受けた(日本酒をついでもらい、おつぎしたというだけだが)からには、誌代1年分くらいは喜んで払わせていただきますと入会。で、現在に至っている。だから、田沼さんの句集で骨を折るのは本望である。散文を集めた『ちょっと帽子を』で骨を折るのも本望である。

ところで、俳句の集まりにいると、なにかをお手伝いするということが多々ある。俳句の集まりは高齢化している。私はその集団のなかでは少しは若い部類なので、作業を依頼されるのかもしれない。このとき、お引き受けする理由は、「縁」である。田沼さんの場合のように恩義は感じなくても、「これも縁だから」と引き受ける。六番町姐さんもそうだが、私たち、つまり「比較的、年とってない」私たちは、毎日、食べていくために労働している。暇にはしていない。それでも引き受ける。でも、ふと思う。

お年寄りのみなさん、もう退職した人たちでしょう? 暇はたっぷりあるんじゃないの?

愚痴は言いたくないが(と言いながら言うわけだが)、年寄りたちは、私たち若輩者に何かをさせて当然と思っているフシがある。

ここからはすこし思い出話に迂回する。お笑いネタで何度か使ったものをひとつ。

数年前、「麦の会の全国大会の手伝いをせよ」という依頼があり、打ち合わせに出かけた。その頃の私は、土日もなく、それどころか2日間起きっぱなしで労働ということもたびたびの状態だった。打ち合わせに入り、「お手伝いはいたしますが、なにぶん忙しいので、どのくらいお役に立てるか、わかりません」と申し上げた。すると、おひとりがおっしゃった。

「忙しいのは、みんないっしょ」

え? いっしょ? あはは、それ、絶対に違うと思う。私の目の前に座っていらしゃるのはすべて大先輩。みなさん、俳句の集まりやら、町内会の集まりやら、ご旅行やらで、たしかにお忙しいのでしょう。でも、ちょっと種類が違うと思う。私の忙しさとは。

東京で開催されたその全国大会、準備で何をお手伝いしたか忘れたが(まあ、刷り物を作ったりしたかなあ)、当日、参加しないのもなんだから、1泊を申し込んだ。ところが、結局、急な作業が発生して、カミさんに電話、差し入れの酒を携えて会場にクルマで来てもらい、幹部の皆さんにご挨拶(よくできたカミさんだ)、皆さん、酔いがまわった頃に、ふたりで仕事場に戻り、私は朝まで労働して、そのまま、全国大会の会場に戻り、吟行に参加した。いや、もう、ふらふら。暑いなか、ご老人たちの引率もせねばならなかったし。

それで終わりではない。後日、大会運営を手伝ったメンバーで慰労会を持つという。平日の夕方からだった。当然、私は欠席とさせていただいた。労働してますがな。それでもなんとか参加するよう、かなりひつこく言われたが、無理なものは無理。慰労だから、強く誘っていただいたのだろうが、無理なものは無理。(話は違いますが、仕事の打ち上げって、打ち上げている暇があるんだったら、次の仕事しようぜ、あるいは休もうぜって思うとき、ありません?)

慰労会の費用は、きっと大会運営費の余剰でまかなわれるのだろう。それは正当な使途かもしれないが、私は、そういうお金の使い方、つまり「会議費」と称して幹事さんやその周囲で飲み食いに使うのが、大嫌いなのだ。

そういうわけで慰労会はお断りしたが、当日になって、なんたることか、慰労会の会場から、私の仕事場に電話が掛かってきた。ちょっと酔っ払っていらっしゃる。「やっぱりダメ? 出てこられない?」 顔ぐらい出せ、ということらしい。はあ? 労働の最中です。だから欠席と申し上げたわけです。キレそうになったが、私は温厚な人間である。そうは言わずに、「申し訳ありません。無理です」とだけ言って電話を切った。

人は、きっと他人の暮らしのことは想像できないのだと思う。私もそうだろう。誰だって、そうかもしれない。だから、「忙しいのは、みんないっしょ。私たち年寄りも忙しい。労働者のあなただけが忙しいんじゃない」という言葉が、私に向けられても不思議ではないのだ。

忙しそうに言うのは恥ずかしいし、好きではない。ネタとして、多忙を言うときはあるが、ネタになるよう工夫と腐心をしている。だが、麦の会という俳句の会で、私は、もう十分、いろいろなことをお手伝いしてきたと思う。大先輩方は、それでも足りないとおっしゃるかもしれない。私が若輩だから当然だとお思いにちがいない。だから、ねぎらいの言葉を聞くこともほとんどない(欲しそうに聞こえるな、まずい。そんなものは要らない。だが、相手の心根を知る参考にはなる)。

つまり、もういいかなという感じ。

田沼さんの本のことは、私が関わると覚悟していたが(当たり前だ。言いだしっぺなんだから)、その作業もそれに付随する作業もほぼ終わった。

つまり、いま、ほっとしている。

麦の会を知らない人には、用のない記事だったかもしれないが、実はそんなことはない。高齢化した俳句世間では、食べていくのにまだ忙しい世代に、なにかと雑用が集まったりする。俳句世間一般に敷衍できそうな笑い話なのだ。



付記:この記事だと、麦の会は、ヒドい年寄りばかりの集まりのように聞こえるかもしれませんが、そうではありません。ぜんぶではないです。心優しい方もいらしゃいますので、そこのところ、よろしく、ざんす。
by tenki00 | 2006-07-13 12:09 | haiku
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