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原爆忌のチーズ

「麦の会」で仲良ししている朋子姐さんの句が『俳句』(角川書店)06年8月号で紹介されていると聞いて、ページをめくった。

  原爆忌たらりとチーズよく伸びる  朋子

221頁。俳句月評(山崎十生)という、最近刊の俳句雑誌や句集から1名1句を取り上げて寸評をつける記事。(余談だが、この句のあとに、うまきいつこさんの『帆を張れり』からの1句があった。小さな偶然は楽しい)

朋子姐さんの句集『ぶりっ子』(すごいタイトルだなあ、いまさらながら)は拝読済みだが、この句には覚えがなかった。さて、この句、季語とそれ以外の部分の関係をどう読むかで、2通りがある。

1) 原爆忌と中下は、意味的にはほとんど無関係。その間の距離は遠く、離れる。
2) 原爆忌と中下に、ある種の相同を読む。言い換えれば連想でつながる。これ以上具体的に書くのもはばかるが、つまり、原爆の熱で溶ける建造物やら人間の身体→「とろけるチーズ」。この読みでは、原爆忌という季語と中下が、よく即(つ)く。即きすぎといってもいいくらいだ。

私は疑いなく、2)で読んだ。だから、これはエグい句、「いくらなんでも」な句と思った。試しに、カミさん(俳句をやらない)に読ませると、私と同じ読み方をした。

そこで、この句を取り上げた記事にはどうあるか。「原爆忌や終戦日の作品の焦点を絞るには、一句一章よりも二句一章の方法が適している。ごてごてと物を言わないほうが得策である。中七以下の措辞が秀抜である」(山崎十生)。この人が1)で読んだか2)で読んだか。ほぼ1)と思ってよい。二句一章の成功例として、この句を挙げたのだから、季語と中七以下は「離れている」ということだろう。

この句で、迷わず1)で読む人もいるのだろう。「原爆忌」と「よく伸びるチーズ」に形態上の相同や連想をいっさい排除して読む。つまり、私が読んだようには読まないという人。これはどちらが多いかという話ではない。ただ、この句の季語と中七以下を、何の躊躇もなく、離して読むことができる人は、かなりの「俳句まみれ」である。俳句の、いわゆる二句一章の読み方のルールに慣れすぎているのだと思う。「俳句まみれ」でないフツーの人が読めば、ほぼ間違いなく相同・連想を感じる。

これは、残酷で酷薄な句である。ただ、残酷で酷薄な句をつくってはいけないというのではない。それもアリかもしれない。少なくとも私は、去年の夏にこのブログで書いたように、原爆忌や敗戦日という「季語」を気楽に使うというスタンスは絶対にとらないが、他人は違うだろう。夏が来れば、多くの俳人が、原爆忌、敗戦忌という季語を、二句一章の「取り合わせ」に使用する。

だが、繰り返す。掲句は、残酷、というか、グロテスクな句だ。

記事執筆の山崎氏の「ごてごてと物を言わない」という把握と、私の把握とはまったく異なる。

もちろん朋子姐さんには、グロテスクな句をつくろうといった意図はなく、二句一章の「取り合わせ」として、原爆忌という季語と、日常の食卓のチーズを組み合わせたのだろう。

で、先日、朋子姐さんに会ったとき、「あの句は、こんなふうに読めますよ、それだとあまりにエグくないですか?」とお話しした。すると、朋子姐さん、にこやかに、「うーん、その狙いもあったかもしれない」。

たはーーー! 狙ったんかい! まいりました。



追記:8月が近づいてきた。「原爆忌」「敗戦日」「終戦日」俳句については、上記で少し触れたように昨年の夏、数回にわたって記事にした。例えば、こんな感じ↓
http://tenki00.exblog.jp/1439742/
http://tenki00.exblog.jp/1499336/
http://tenki00.exblog.jp/1537858/
http://tenki00.exblog.jp/1544596/

かいつまんでいえば、意図が平和(大笑)であろうと、戦争反対(大笑)であろうと、俳句遊びのなかに「戦争」や「この手の他者の死」を気楽に持ち込む俳人には劣悪なグロテスクを感じるということ。このことは、また近いうちに記事にするざんす。
by tenki00 | 2006-07-11 01:13 | haiku
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