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俳句と作者(2) 句離れのできない作者

むかしむかし、インターネットの掲示板(BBS)を使った句会でのこと。選句が終わり、選句結果と作者の名が開く。その後、「ご挨拶」のやりとりとなるわけだが、そのとき、「私の句を選んでいただき、ありがとう」といった挨拶がさかんに交わされた。それを見ていて、なんだか大きな違和感があった。

ん? なんかヘン。どこがヘンなのか、うまく言えないが、ヘン。そして、なんかすごく気色悪い。

そう思ったから、「ありがとう、って、それ、いったい何?」と書いたら、「どこがいけない? 素直に感謝の気持ちを表しているだけだ」という反応が複数から返ってきた。そう言われても、気色悪いものは気色悪い。

「つまり『選んでくれてありがとう』というのは、自分の句を選ばなかった人には感謝しないということでしょ。それって失礼な話だよね」
「ありがとうを言うなら、参加者全員に『ありがとう、お疲れ様でした』でしょ? 礼儀を知らん奴らだなあ」
「選句は、決まりごとだから、やること。ありがとう、ありがとう、って、選は中元か歳暮か?」
(以上ちょっと誇張してます)
掲示板にそんなようなことを書いたら、場の雰囲気がひえびえしてきちゃって(わっはっはっは)、すごく困ってしまった。

すると、なむさんが掲示板に登場して、みごとにまとめてくれた。
「選句してくれた人に『ありがとう』を言う必要はありません。なぜなら、褒められたのは、あなたではなく、句だからです」

私は、なるほどと納得した。違和感はそこにあったのだ。自分でつくった句は、たしかに自分の句ではあるが、他人様の目に触れたとたん、自分だけのものではなくなる。ある人に愛される句も、誰からも見向きもされない句も、すでに自分から離れている。句と自分は一体ではないし、自分の一部でもない。句は、自立(自律と言ったほうがいいか)を始める。

「いい句ですね」と言われたら、作者は嬉しい、嬉しがってよい。でも、それは句への賛辞だということを忘れてはならない。ついつい「選んでいただいて、ありがとうございます」と告げることもあっても、それは、私が言っているのではない。句は口がきけない。だから、私が句になりかわって「ありがとうございます」と告げているのだ。

このへんのことを、信治さんなどは、さすがによくわかっていらっしゃって、礼を言うにも、「句になりかわりまして、御礼をもうしあげます。」と結んでいる。

いつまでも子離れのできない親のように、いつまでも句離れのできないようでは、いかにも鈍重である。軽やかではない。「俳」ではないのだ。このへんのところは、自戒を込めて。

しかし、まあ、そうは言っても、句離れというのは、実際にはなかなか難しいところもある。ところが、見事に句が作者を離れていく契機がある。句集を出したときだ。句集を出したことのある人なら、思い当たるかもしれない。私は、人名句集『チャーリーさん』をつくったあと、それを感じた。自分のつくった句たちだが、他人様に読まれることによって、私から離れていった。いろいろと温かい御言葉をいただいたが、それを喜んでいるのは、私(天気)ではなく、「チャーリーさん」であることがよくわかった。

これは、うまく説明できないのだが、実際の実感なのだ。句が私から離れていくことに気づいて以降は、私は、御礼の手紙やメールに、こう記した。「温かい御言葉、ありがとうございます。チャーリーさんもたいへん喜んでおります」
by tenki00 | 2006-07-08 22:44 | haiku
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