信治さんの「団地」50句

ハイクマシーンさんの御三方の句をまとめて読むシリーズの第3弾は信治さんの「団地」。
シリーズっつても間があきすぎ? はい。どうもすみません。

過去記事はこちら↓
http://tenki00.exblog.jp/2993415/
http://tenki00.exblog.jp/3086855/

で、信治さんの「団地」50句はこちら↓で読める。1年あまり前の作ということだろう。
http://members2.tsukaeru.net/haikumachine/dannchi-sinnji.htm

読んだ?

で、どうでした?

良かったー!という人もいれば、ピンと来ないという人もいると思う。俳句って、そんなものだもの。どちらの人も、もう1回、読んでみてほしい。何日か経ってからでもいい。私は、間隔を置いて、拝読し、読み返すたびに良くなってくる。むかし、おっさんとかがよく言ってた「だんだんよくなる法華の太鼓」。

つまり、不思議な味があるんですね。なかなかに多面体で、手強い。

ひとつ、私が強く思うようになったのは、この50句の1名の作者(つまり信治さん)に確固としたアンデンティーがあるということだ。当たり前のようでいて、そうではない。1人で50句つくっても、結果的に、50人(とまで行かなくても数人)の作者がつくったみたいになるのが俳句だ。いくつかの俳句的見方、俳句的技巧、いわゆる抽斗で、(まずまずの評価を得られる)句はつくれる。ところが、「団地」50句は、そうした抽斗が、いわゆる「面の割れた」格好では出てこない。

ひとりの人間(男だな)が、歩いたり寝そべったりして、自分の周りにあるものと、「俳句的関係」を持とうとしている。もちろん、その「俳句的関係」が全部成功するわけではない。けれども、その姿勢は一定で、事物へのまなざしがたしかに一定なのだ。

だから、冒頭の句で魚屋の前に立っていた男と、50句目の他人の裸を見ている男とは、たしかにたしかに同じ男なのだ。

  そのうへに雨後の月あり鮮魚店  上田信治(以下同)
  夏の月ひとの裸は頬笑まし

最初の一句から最後まで、いわゆる同じテンションで、滔々と流れていく。私にはそれほど傑出した句は見当たらない。けれども、それを疵と感じない。幾度か読み返すうちに、全体で深まっていく。

めまといの句を2句続けたり、「永き日の団地の果てのパン工場」と「西日吸ひきつて団地のうまさうな」の2句を季を離して呼応させたりと、なかなかに考えられた構成。といっても、そうした「工夫」のあざとさは微妙に回避されている。

信治さんは、作句歴はまだ浅く、3年かそこら、しかし読句歴(妙な造語)は長いらしい(帝国データバンク調べ)。こういう場合、俳歴は短いというのだろうか、長いというのだろうか。

俳句というのは「とりあえず作ってみなさい」から入る。作句の初期にじっくりと、過去の俳句アーカイヴを渉猟するような人は少ないだろう。信治さんは、一般的な俳句愛好者像からすると、よく言えば「モンスター」的なところがあるのかもしれない。

過去の作家がそれぞれどのように、作家個性と周囲(事物・自然・コスモスetc)との「俳句的関係」を結んできたかを、意識的無意識的に深くご存じなのかもしれない。

以上、何かを書けた気はしないが、そんなところか。個々の句について、あまり書く気がしない。50句の向こう側にいるらしい信治さんという作者のほうが、実際にかたちとなった50句よりも興味深い。というと、逃げに聞こえるか。

ともかく、まとめて数十句でなんらかのニュアンスを醸し出す、稀有な俳句作者なのだということを、何度か読むうちに強く感じたのだった。
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by tenki00 | 2006-06-14 20:03 | haiku
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