人気ブログランキング |

表記は表記に過ぎないという基本的なこと

あめを:よお!
てんき:わっわっ、びっくりした。久しぶりだなー。
あめを:前回は1月15日だから、ほぼ4カ月ぶり。
てんき:相変わらず、暇人しているわけか?
あめを:暇人はないだろう。格差拡大社会のボロ負け組。
てんき:ほっとけ。って、なつかしいなあ、この導入!
あめを:ところで連休は?
てんき:家の近くでのんびり散歩したり、ちょこちょこシノギの作業があったり。
あめを:ふうん。まあ、連休の恩恵にあずかる階層ではないわな。
てんき:そのネタ、もういいって。あ、そうそう麦の会の収穫祭の句稿をまとめてたりもした。かったるかったなあ。
あめを:そんなもの、引き受けたのか。バカ。
てんき:うん、自分でもバカだと思う。
あめを:編集部からの命令か。弱者を攻めたてるのが巧い。
てんき:南志編集長は、大企業のエラい人だったから、人を虫けら扱いするのが巧い巧い。さすがだな。
あめを:感心してる場合か。しかし、暇人はどっちだ?
てんき:それを言われるとツラい。句稿の入力は人に頼んだが、最後にまとめるのは、自分でやるしかない。他人様の句も1000句近く眺めてると、俳句が嫌いになる。もう1句も見たくないという気になってくる。
あめを:ご愁傷様。
てんき:ルビを振るのは、自分でやったんだが、腹立ってくるなあ。MSワードのルビ処理はめんどうだし。そのうち、「なんでこんなものにルビを振る?」と句稿が腹立たしくなってくる。
あめを:あはは。
てんき:ルビ禁止にしたい。
あめを:言い訳みたいなルビもあるな。よくあるのが「亡父」と書いて「ちち」、「亡母」と書いて「はは」。
てんき:それとね、最近、気になってるのが、漢字とひらがなの書き分け。同じ句のなかで例えば「朧」と「おぼろ」と書き分ける。今回の句稿だけじゃなくて、俳句でときどき見かける。散文じゃ有り得ない書き分けだ。
あめを:「一人ひとり」という表記はずいぶん定着した。
てんき:散文でもよくやる。「人々」じゃなくて「人びと」と書いたりもする。そういう慣習が俳句にも広がったのかな? ちょっと不思議。
あめを:その場合の表記は、畳語だから、というわけだろう?
てんき:そう。俳句の場合、離れていても、書き分けたりする。例えば「朧からおぼろ」という調子。
あめを:なんでわざわざそんなことするんだろ? 流行なのか?
てんき:うん、不思議だね。でも、俳句で表記に凝る人は多い。
あめを:表記にも工夫してますって言いたいんじゃないの? 自己満足。
てんき:よくわからんが、歴史的仮名遣いか新仮名かが大きなテーマになるのも、俳句の特徴だ。
あめを:仮名遣いの新旧、キミはこだわらない?
てんき:どっちでもいい。自分がどっちを使うか、決めておけばいい程度。いい句は、仮名遣いの新旧にかかわらず、いい句だと思うけど?
あめを:逆に言えば、新仮名で書いたダメ句が、旧仮名になったとたんに良くなるってことは有り得ない。
てんき:そう。表記は表記に過ぎない。新旧仮名遣いにしても、さっきの「朧とおぼろ」にしても。
あめを:表記軽視派というわけか?
てんき:軽視、でもない。表記というのは、無頓着ではいけない、というか、もったいない。気を遣うべきだとは思うが、あくまで表記は表記に過ぎない。言葉には、かたちがない。それをたまたま文字として書き留めたのが表記。
あめを:うん。たしかに、言葉そのものはブツではないし、目には見えない。
てんき:声は、空気の振動だけど、それに意味を持たせるシステムは、目に見えない。
あめを:そりゃ、そうだけど、えらく根源的なところに行くなあ。
てんき:当たり前のことを言っているだけだけど、それを忘れると、妙に不毛な議論が出てきたりする。
あめを:例えば?
てんき:例えば、インターネットは、横書き俳句が蔓延するから、害になるという把握。
あめを:それで思い出した。「インターネットと俳句」というテーマで連載するとか言ってたな。それが第0回を書いて、それきりだ
てんき:あはは。思い出した?
あめを:いま、ここで、その続きをやるつもりか?
てんき:まあ、無関係ではない。俳句の横書き問題は、インターネットの絡みでよく出てくるんだけど。
あめを:縦書きでも横書きでもどっちでもいいという意見か?
てんき:いや。縦書きのほうがいいに決まっている。おそらく俳句が存在するうちは、縦書きのままだろう。また縦書きであるべき。
あめを:じゃあ、インターネットの横書きを非難する人と同じだ。
てんき:いや。ぜんぜん違う。表記に縦書きの歴史があるから、それはそのまま行くべき。インターネットは、ブラウザーが横書きだから、俳句が「横になっている」。ただそれだけの話。
あめを:なるほど。ブラウザーね。
てんき:インターネットと俳句のことをうんぬんする人は、インターネット=横書きと思っている人が多い。大間違い。情報にはタテもヨコもない。表記にタテとヨコがある。ブラウザーが、文字を横に並べる形というだけの話。ま、縦書きのブラウザーが世界中に広まっていれば、「俳句は縦書きでなくっちゃ派」の人は、そこを問題視しなかったかもしれない。
あめを:そんなブラウザー、広まるはずない。
てんき:そりゃそうだ。まあ、それは置いておいて、最初の話に戻る。言葉は物質ではないように、俳句も物質ではない。
あめを:言葉がインクの滲みではなく、インクの染みは言葉の表記に過ぎないのと同様に、という意味だな。
てんき:そう、俳句一句は、文字とセットにはなっているが、文字よりも先にあるものだ。目が見えない人にだって、いい句は瞬時に伝えられる。
あめを:声が先か表記が先かは、むずかしいところがあるが?
てんき:いや、目が見えない人の例は、表記されたものだけが句ではないという単なる一例。声(音)か表記(文字)かというより、むしろ、なにもかたちをもたない言葉として、一句がある。だから、いい句は、一瞬で気持ちよく飲み込める。目で見て読んで気持ちよかったか、誰かの声で聞いて気持ちよかったか。そんなことはたいして問題じゃない。言葉として魅力があるかどうかという問題。
あめを:なるほど、まあ、わからんでもない。しかし、俳句を作ったり読んだりの現実とは、ちょっと関わりの持ちにくいテーマではある。
てんき:そうかな。俳句を遊ぶとき、もし文字がなくても、俳句はあったんだろうか? とか思わない?
あめを:思わんなあ。
てんき:ボクは思うんだ。地球の歴史で文字のない文化はたくさんある。そういう文化にも、俳句的なものはあると思う。それは文字ではなく残っていたりするんじゃないかと考えたりするんだ。
あめを:俳人の多くは、そんなこと思わんね。日本には文字があった。そこに俳句が生まれた。だから、俳句は文字で表される。そう思うだけだろう。
てんき:それでもかまわないし、ボクが言っていることには飛躍があるが、言葉をたかだか千数百年で考えても、つまらない。
あめを:俳句くらいで大袈裟なやっちゃ。
てんき:あはは。それはそうなんだけど、実際に俳句に関わるときは、卑近に一週間単位くらいなんだけど、ね。でも、その背景として、広大な場所、長大な時間を考えるほうが、ボクにはおもしろい。
あめを:まあ、わかるところはある。表記は表記に過ぎない。言葉の歴史に比べれば、表記の歴史は浅い。言葉の人類的普遍性に比べれば、表記の存在はローカルだ。
てんき:ちょっとややこしいところもある話題だけどね。
あめを:そういうことは、この俳句漫才向き。キミがひとりで書いているより、ボクがフォローしてあげたほうが、よほどいい。不毛を避けられるというものだ。
てんき:そうかなあ。疑わしいが、まあ、いいか。
あめを:じゃ、またな。次のテーマ、考えとくわ。
てんき:うん、また。

収穫祭 参考記事(旧ブログ) 
http://sky.ap.teacup.com/tenki/272.html
http://sky.ap.teacup.com/tenki/289.html
by tenki00 | 2006-05-06 23:20 | ameo & tenki
<< Kids Are Alright 俳句漫遊記76 八田木枯 >>