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何かを伝えたいなら、それは俳句じゃないほうがいい

たじまさんの「俳句のかたちについて」という記事が興味深い。
その① http://moon.ap.teacup.com/tajima/169.html
その② http://moon.ap.teacup.com/tajima/170.html
重要なのは「その②」のほう。

●たじまさんは「俳句は表現ではない」とラディカルな捉え方をするが、私は、もっと俗っぽく、具体的に、「俳句は伝達ではない」と捉える。ふたつが同じことがどうかには留保が要るが、遠いことを言っているのではない。●何かを伝えたいなら、俳句ではなく散文のほうがいい。ところが、散文だと長くて面倒だから、短い俳句で、何か(たいていは自分の見たもの、感じたこと、考えること、自分の身に起こったこと)を伝えようとする人がいる。ずぼらにも。●なお、ここで言うのは、いわゆる「報告句」がダメとか、そういう話ではまったくない。●俳句は「何か」を「伝えない」。(おもしろい)俳句は、そこに言葉として在ることによって、何かを生起させる。伝達という機能を拒否する。拒否しないなら、散文で充分だから。●句は、なんらかのコンテンツ(内容)のビークル(乗り物)やメディア(媒介)ではなく、句そのものがコンテンツである。●写真は、(現実のイメージと視線の)媒介ではいられないなくなる(バルトの写真論「明るい部屋」のうろ覚え)。プンクトゥム(突き刺すもの)を持つのは、そういう写真だ(ここもうろ覚え)。●俳句は、(現実の)景、あるいは(現実の)作者と読み手の媒介であることを放棄することで、プンクトゥムを持つ。そして、そうでなければ、読み手にとっての価値はない。伝達であるなら、もっと字数が多いほうが、読者には好都合である。●だから、俳句は伝達ではない。ま、当たり前のことなのだが。●でもね、たいていはね、伝わるように作っちゃうのだ。言い方を変えれば、「伝わってほしい」といった、さもしい心根を引きずったまま「表現」しちゃうのだ。ぶざまにも。●以上、思念的すぎ。わかりにくいなーと思ったら、理解しようとしないよーに。伝える気、ないんだから。散文であるにもかかわらず。●それと、明日になったら違うこと言ってるから、真に受けないよーに。
by tenki00 | 2006-04-18 00:04 | haiku
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