先般の半歌仙「梅月夜」について、ちょっとした解説。野暮なことを!という向きもありましょうが、少々長い。関心のある方しかお読みにならないと思い、記事にいたします。
国立やをちこち匂ふ梅月夜 猫髭 谷保天満宮で梅のちらほら咲きを見たあと、谷保村とそのはずれの野原や田んぼを散策したあとの発句。国立(くにたち)という地名(市名)は新しく、「国分寺と立川の間だから国立」という命名の由来はよく知られるところ。鉄道(中央線?このあたりの事実関係は祐天寺大将に聞いてくだされ)が敷かれた頃は、国立駅のあたりはまだ草ぼうぼうの土地で、国立を代表する酒屋であるところの「関屋」のキャッチフレーズ「国立の草分け」は文字通りの草分けだったわけだ。さて、国立という街は、あろうことか、猫髭さんにとって、若き日を過ごした思い出の街ということで、まず口を衝いて出た「国立や」はまさに実感というところ。私も国立の近くに住んで長い。訪れた土地、御自分の思い出、客を迎えた私、それぞれへの挨拶句ともなり、誠に宜しい発句。 春の闇より出でし銀猫 あめを 脇は、同時同場所で付ける。梅月夜から春の闇とは、芸のないこと甚だしく、ここはなんとかしたかったが、客6人が歌仙のスタートを待っている。いつまでもうんうん唸っているわけにはいかない(と時間のせいにする)。博覧強記かつ一流のIT仕事人かつ風狂の人と存じ上げる猫髭さんには「銀」のイメージで、とりあえず付けた。心残りだが、「脇」は「発句」より見劣りするほうがよいという自分勝手な決まり事(笑)もあることだし、脇がやたら自己主張するのは野暮でしょ?と、これまた自分に都合のいい解釈で、ともかく第三句へ。 卒業のこころは既に野に在りて うさぎ 発句と脇の挨拶の交換が終わり、第三句はそこから離れるほうがいいという流儀に則る。これは脇からは程よき距離。「これから(歌仙の)旅に出るぜ」という空気も漲っている。ただ、気になるのは打越(前前句)の「国立」が「学校の多い文教地区」であるだけに、そこにやや障る。これは連衆(うさぎさん)の責任ではない。全面的に捌きの私の責任。だって歌仙本番はアガってたんだもん。あ、先に言っておきますが、付筋や打越への障りがあるとしたら、全部、捌きの無能・非力のせいです。大事な局面で気が回らず固まってしまうタイガーズ岡田監督の心境がわかった。勝つときは選手のプライズ、負けたときは監督が悪い(別の監督の文言か?)。さて、この句、「て」止めという決まりも守り、歌仙に勢いを付ける(スプリングボードの役割)には充分。 ロールシャッハの唐草模様 双葉 前句の心からロールシャッハというのが外形的な付筋だが、卒業の空気ともうまく呼応している。唐草模様はやりすぎの感はあるが、これくらいの勢いは必要。 満月の印度更紗を透きとほる 龍吉 唐草(異国)から印度に飛んだ。こうしてみると、前句(ロールシャッハ)は、なかなか送りバント。海外への展開が開けるしかない状況をつくりだした。月の座からは秋があと二句続く。 いつまでぐさの奥へ奥へと 祥 「透きとほる」の三次元感からの展開。打越・前句と素敵に暴れ気味なので、ここで植物はいいタイミング。かつあっさりした後半も宜しい。「いつまでぐさ」は「忍ぶ草」「軒しのぶ」で三秋。 運慶作風呂の手桶にちちろ鳴く 遊起 草が出で「ちちろ」。「いつまでぐさ」は「山家などの古屋根に生えることから『軒しのぶ』と呼ばれ」(講談社・日本大歳時記)とあるので、風呂への展開はきわめてオツ。また常緑の葉から手桶の木肌へ、清々しい空気感。「運慶作」は俳諧(連句)的かつバロック(過剰装飾)で悦ばしい。 片膝たてて袖を掴みぬ 吉 恋の座。風呂のあとの恋は存外むずかしいが、「片膝たてて」で巧みに付けた。 昼下がり背中で聞いてゐるチャイム ぎ 袖を掴まれて「じゃ泊まるか」。泊まって朝が来て、さすがに帰るのかと思ったら、昼を過ぎても同衾。「背中で聞く」は、泣かせる(かつ笑わせる)。 懺悔の済んで上がる血圧 祥 恋から離れてもいいところだが、気分を引きずった。懺悔と聞いて、話は逸れるが、昔、神父と教会は膨大な「性」のデータベースだった。懺悔を聞くことであらゆる不徳(もっぱらセクシャルな不徳)の具体例が集まった(フーコーの「性の歴史」だったかにあった。そんなことしか憶えてないようじゃしようがない、まったく)。閑話休題。懺悔するほうも血圧が下がるどころか上がるはずだ。ちなみに祥さんはリアルではお医者様稼業だそう。 冬の田に唸つてをりぬポンプ小屋 を 恋・恋・恋(雑)ときたので、季を入れた。秋に戻らぬよう。また次の次は「夏(あるいは冬)の月」なので、春も避ける(春が出たら少なくともあと二句春が続くので)。血圧⇒ポンプと単純な付筋で景を変えた(屋内から戸外へ出た)。 番犬けふは少し眠さう ぎ 唸る⇒番犬。「眠さう」とは、なんともいえず宜しき安穏。かつ背景のドラマ(ちょっと大袈裟?)も感じさせる。 はつなつの月の漂ふカビラ湾 葉 「眠さう」から、その感触を生かした「夏・月の座」。秋以外の月は「夏の月」「冬の月」等と詠まれることが多いが、「はつなつの」は意外に新鮮。カビラ(川平)湾は石垣島。夏・冬は春秋と違って一句だけ置き去りに雑あるいは別の季に行ってもよいが、そこに月が入った場合は、あと一句、同じ季を付ける(次の波布が夏)。これを説明すると、うさぎさんが「あっ、わかった。歌仙はルールじゃないのネ」と宣う。誠にカンの鋭いことで。めでたい月を一句置き去りにしない。他にも多々ある「ルールかのように見える決まり」は、じつはルールではなく、礼というか気遣いというかコミュニケーションというか「みんなで楽しもうぜ」という気持ちというか、そういうもので成り立っている(と、へなちょこ捌きの私は解している)。そうそう、技術じゃなくて、気持ちだ、と、またもや三流野球監督のような心持ちを味わいながら、次の付句へ。 波布を連れゆく宇宙遊泳 吉 石垣から波布(ハブ)。ただし漂ふ⇒遊泳と二つの付筋ができてしまったのが、難といえば難。これは繰り返すが捌きのミス。また、このあたりの付筋、また付句の微調整・ブラッシュアップに、猫髭さんが(発句を出して以来、悠々と日本酒をあけながら)大活躍と付言しておく。 ベロ出すもアインシュタイン式であり を 宇宙からアインシュタインとはあまりに安易だが、まあ良し。 実験室に廻る音盤 ぎ すっきり付けた。アインシュタインが思考実験(実証のための観測装置・実験装置が当時まだなかったので、頭の中で実験)を重ねたことを思えば、音盤も頭の中? ちょっと違った興趣が湧く。 声已まぬマックス・ローチ花吹雪 祥 楽器を弾きながら声を出す人は多い。花吹雪というのだから華やかなドラムソロだろう。ちょっと異色の「春・花の座」で、これも風趣たっぷり。ローチ氏が声をどう出すか、出すか出さぬか。ジャズ通の祥さんと猫髭さんとでひとしきり論議。私はそのへん詳しくなくて、国分寺にあったジャズ喫茶「モダン」のことやらを思い出しながら、協議の終わるのを待った。 菜の花飯を食ひ散らかして 吉 前句の映像から「散」が付いた。また私たちの目の前には、ちょうどほぼ食べ終わった菜の花飯があった。客の礼儀として「食ひ散らかし」はどうか?という意見も第一客の猫髭さんから出たが、主としては「「食ひ散らかし」を悦ばしく戴くことにした。さて、半歌仙とするなら、ここが挙句。挙句であれば、「て」止めはない。こりゃ、どういうこと?と歌仙をすこしでも囓った人は訝るはず。ここだけは言わしてもらうが、捌きのミスではない。とりあえず「半歌仙」とはしたが、「またいつか続きを巻ましょう!」というメッセージに解していただきたい。ライブの歌仙(それも急ぎで)捌きの破綻は多い。付句のうんぬんは置くとしても、連衆それぞれの付句の数もバランス良くとはいかなかった。捌きとして深く悔やまれる。だからね。We'll meet again.ということである。 ---------------------------------------------------------------- 付記:猫髭さんがコメント欄で見事に「梅月夜の巻」を振り返っておられる。それも併せてお読みいただければ幸甚。そのなかでひとつ補記。yuki氏のピアノとあるのは、皆さんに弾いてお聞かせしたのではない。もしそう解されるとyuki氏が照れると思うので。これは、歌仙の始まる頃、まだ先客(yuki氏の昔の生徒さん)がいて、ふたりで遊んでいたのだ。話せば長くなるが、こいつがおもしろいやつで、高校までピアノを習っていたのに、ある日、トンヅラ(自主退学)した。しばらくして、yuki氏と私の前に金髪・眉毛ナシで現れた。「ロックをやる!」のだと言う。笑うしかなかったが、それがもう十年近く前。いまだに忘れた頃に突然遊びにやってくる。この少し前、「土曜日に行く」という電話があったので、私は「絶対ダメ!」とyuki氏の持っていた受話器に向かって叫んだ。俳人さんたちに、こいつを会わせるわけにはいかない。でも、ダメと言ったのに来ちゃったのだから、しかたない。そういうわけなのだ。 もうひとつ、その夜、お向かいの鈴木さん家では、ご近所の一月二月の誕生日数名をまとめて誕生日会が催されていた。yuki氏もその生まれ月。花菜飯(美味しくできていた)は、お向かいのヨっちゃんのお手製である(多謝!)。「持っていきなさい」と言われて、yuki氏が持ってきた。花菜飯だけでなく、お向かいで盛り上がっていたお嬢さん二人も、わが家に持ってきた。遊起さん、双葉さんが先にお帰りになった後の出来事である。誰とは言わぬが、オジサン三名、目の色が変わったことを、客観写生を旨とする私は見逃さなかった。そしてyuki氏は、歌仙とお向かいのお誕生日会を足繁く往復しながら、どちらの酒もがんがん飲んだようだ。誠に忙しい夜だったわけだ。ごくろうさん! というわけで、「梅月夜の巻」の解説で終わらせればよいものを、附録が長くなった。ここまでちょうど45分。まだタイピングのスピードはそれほど衰えていない。yuki氏は今夜、教え子の卒業生数名と飲み会(そういうしきたりができあがっているらしい。こっちもごくろうさん!)なので、ひとり、飯を食って、まだシノギに戻る。皆様、ご自愛を! (あめを記)
by tenki00
| 2006-02-18 20:34
| kasen
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