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インターネットと俳句 第0回

ここ、つまり、私がこう書いているところはインターネットなのだし、俳句という遊びに占めるインターネットの存在が私にとってはかなり大きなものになってしまった。インターネットと俳句について、何か考えてみる気になった背景には、こうした個人的な事情がある。「インターネットと俳句」とタイトルは大仰だが、内容は、例によって気ままなおしゃべり程度のことになる。

今回は、第0回。ご挨拶、あるいは私の助走のための回となる。イントロとして、きれいに整備したものにする必要もなかろう。いきなり話題から入る。

■インターネットが俳句の風景が変える?

『俳句』2006年2月号で福永法弘「現代俳句時評:インターネットの功罪①」を読んだ。この記事のことをユースケさんのブログで知り、ふだん買ったことのない俳句総合誌というものを買ってみたわけなのだ。

福永氏の記事は、連載の第1回ということで、導入およびトピックの一部で終わり、あとは第2回以降。3月号も買うはめになるのかと、いま書きながら思っている。ま、それはともかく、この記事の導入をかいつまむ。

インターネットは現在は、(特に若い層への)俳句浸透に一役買っているが、世の中全体へのインターネット普及がさらに進めば、「『俳句に世界』にパラダイムシフトを惹起させ、俳句の風景を変えてしまうだろう」……というのが福永氏の把握と見通し。

パラダイムシフト(@トーマス・クーン)とはずいぶん大袈裟にも聞こえるが、それはよいとして、インターネットによって引き起こされる変化として、福永氏は4つを挙げる。
①横書き俳句 ②季語体験の希薄化 ③俳句の希薄化 ④座の変質

このうち第1回で扱われるのは①横書き俳句。なかなか手強い話題だ。これは、私、あらためて扱うことにする。ちょっと言っておくと、横書きが慣習として広がっても、俳句がそれで決定的な影響を受けることはないと思う。ここは福永氏と意見を異にする。ま、次回を読んでいただくということで。

■俳句のリアルとヴァーチャル

ひとつ、「インターネットの功罪」のうち、福永氏が「功」として挙げる「俳句の浸透」について、すこし。福永氏の記述には、「若い層を中心に」という箇所があるが、それってはたしてほんと?と思った。実感レベルで、インターネットで俳句を遊ぶ人たちの年齢構成について、若い層への偏りは感じられない。つまり、リアルで俳句愛好者にお年寄りが多いのと同様に(同じ年齢比率とまでは言わないまでも)、インターネット俳句の世界もまた高齢者の多い世界のような気がする。

(少しだけ話は飛ぶが)インターネットの世界で、何か、俳句に関する新しい、そして重大な事柄が生起しているわけではない。インターネットは、冷静に捉えればツールである。現実の俳句愛好者の一部(私やこれを読んでいる貴方も含まれる)が、俳句とインターネットを結びつけているわけで、インターネットというヴァーチャル(懐かしいですね、この用語)な空間にも、現実という参照(reference)が存在する。

インターネットの俳句関係の掲示板やブログで、ハンドルネームを記名して句や文章を書き込む人々のことを、はじめて見た人は、「インターネットの世界に俳句愛好者が住んでいる」ように錯覚するかもしれないが、すぐに、気づくはずだ。現実世界に住む俳句愛好者がインターネットをツールとして、場として利用しているだけなのだ。

インターネットの網の目の中に、俳人や俳句がふわふわと漂っているわけではない(もし、そうなら興味深い)。現実世界の俳句の「一部」が、インターネッ上で展開されているにすぎない。このことは当たり前のようでいて、重要だ。つまり、インターネットを過度に信じることも、脅威と感じることも愚かである。俳句に関する限り、インターネットが与える衝撃は、まだ小さい。このさきもそれほど大きくはならないだろう。私は、そう思いながら、気軽に、ただツールとして、インターネットを、シノギに、また俳句遊びに利用している。
by tenki00 | 2006-02-08 23:56 | haiku
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