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彼等

雪女郎のエントリで、コメント欄が充実。なるほどなあ、という感じ。

コメントに書き込んでもいいが、記事に。

人間は、人間そのものを内在的に定義できない。なーんて言うと、いかにもわかりにくいが、つまり、「人間でないもの」との対照でしか、人間を定義できない。「人間でないもの」ではないから人間である。もっとややこしくなったか。

人間というのは、まあ、いまでこそ地球上に暮らしているホモサピエンスとイコールだけれど、それは最近の話。アフリカに「テソ(族)」と呼ばれる人たちがいる。テソはテソ語で「人間」の意味。こういう例は多い。「人間」の範囲は、「人間」を名乗る者たちによって、遠近法的に限定されていた。コメント欄の東人さんの言及でいえば、里人にとって「人間」は里人であって、山人は、里人が「人間」たるがための「対照」なわけだ。

「人間でないもの」は、鯨や昆虫ではダメ。人間に近いものでないと、人間同定のための「対照」の役割を果たさない。

ここまで来て、「人間」は「われわれ」と言い換えてもいい。「われわれ」概念が、「わたし」を中心とする同心円構造をもつようになるのは、ひょっとすると最近のことかもしれない。「われわれ=里人」というひとつの集合で事足りたのかもしれない。こういうふうになると、かえってややこしいから、「人間」に戻そう。

人間を人間として定義・確定するために、人間でないものが召還される。雪女もそうだろう。海坊主もそうか。このへんは、生態の要素もからむ(暮らしの場所とその外にある世界)。ヨーロッパの妖精もこれにあたるだろう。

私が小さな頃、母親に脅されていた「子とり」や「サーカス」も、雪女に近いといえば近いのかもしれない。「言うことを聞かないと、子とりに攫われる。サーカスに売られる(売るなよ!)」。ひどい母親だな。

こうなると、定住(我々)と漂泊(彼等)の対照の層にも話は広がる。

日常のなかに、人間と人間でないもの、その境界面のしっぽのようなものを見せてくれるのが、彼等。そうであれば、俳句に雪女郎が登場したとき、そこから受ける感興も変わってくる。ただ、雪女というアイデア(観念)を持ち得ていない私が句を作るときは、それに変わる「彼等」を見いだすしかない。それは保険勧誘員かもしれないし、わけのわからない格好をした婆アかもしれない。明日から、いろいろな人をよーく眺めてみる気になってきた。
by tenki00 | 2005-12-29 02:13 | haiku
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