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まだコドモな「語」たち

新しい「語」というものがある。俳句にも比較的使われる新語としては、携帯電話、電子メール、パソコン、電子辞書といった、いわゆるIT関連用語(電子辞書をITと言うか?というツッコミは横に置いといて)もその代表的な語群だろう。文字が化けたり、着信音が鳴ったりといったモチーフもそうだろう。

昨日の句会のときにふと思ったことなのだが、これらの新語からは、どうにもこうにも、おもしろい俳句が出てこない。新語を詠み込んではいけないというのではない。ただ、たとえ器用に詠み込めたとしても、句としておもしろくなりようがないような気がする。なぜなんだろう?

きっと「語」が「語」として成熟していくには、「使用」の積み重ねということが不可欠なのだ。「使用」にはもっと適切な用語があるかもしれないが、つまり、人の口にのぼり、表現の中で使われることである。使用が長い期間続いて、語はオトナになっていく。

たとえば林檎(りんご・リンゴ)という語は、それを作る林檎農家の人の口にのぼり、食べる人が「りんご」と発音し、たくさんの文章の中で使用される。その文章は文芸だけではない。八百屋さんの発注書やレストランのメニューも含まれる。そうした使用が長い時間、継続したうえで、林檎という言葉がある。

携帯電話は、使用頻度は高いものの、時間の積み重ねがない。まだまだ、コドモなのだ。コドモを俳句に入れて、面白くするのはむずかしい。「もうすこしオトナになってからおいで」という感じになってしまう。

もちろん果敢に「携帯電話」や「電子メール」を詠もうとする姿勢はあっていいと思う。以前、たじまさんが中央特快高尾行きの中で「たとえば携帯電話とか、俳句にならないですかね?」と口にされたことを、このエントリーを書こうとしたとき、思い出した。そのときのじまさんの目は、好奇心や野心できらきらしていたことを思い出す。新しいいたずらを思いついた少年のようでもあった。

新語を取り込んだ、つまらない句は五万とある。例えば、これはお年寄りに多いような気がするのだが、「電子辞書」という語を使った句はよく目にする。作者にとっては新鮮な物体、新鮮な体験なのかもしれない。まさかそれで「新しい俳句!」と思うわけはないだろうが、ともかく、少なからず目にする。ところがおもしろくない。巧くできてもいない。

上に私が挙げた新語(ケータイやら電子メールやら)をおもしろく詠むことについて「それは無理」と言っているのではない。「むずかしいだろうなあ」ということ。その困難の理由を私なりに考えた。繰り返せば、新語は世の中にすっかり定着したかに見えても、内容はコドモ、語としての成熟がまだない。そうした語を句の中でハンドリングしていくのは、なかなかに骨の折れることだろう。困難。でも、ひょっとしたら、たじまさんなら成功するかもしれない。これを、あのときのたじまさんへの答えにしたい。だいぶ遅くなっちゃったけど。


※なお、言葉という用語は、それが「語(ワード)」を示したり「文(センテンス)」を示したり、さらにはコノテーションまで含めたメッセージの全部を示したりと、きわめて多義的なので、「語」という用語を使った。タイトルも、「まだコドモな言葉たち」のほうが感じがいいが、あえて「語」とした。
by tenki00 | 2005-12-12 22:57 | haiku
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