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「鉱脈」という考え方

すこし前、恒信風を読んでから書いた「鉱脈」という記事に、上田信治さんからトラックバックをいただいた。議論を展開していただいている。興味深い。ふつうなら、そのまま展開を待てばいいのだが、この「鉱脈」という記事、自分でちょっと引っかかるところがある。なので、そのへんを説明しておかねばと、早速のレスポンスになった。あわただしいことで。そのへんは御容赦。

さて、引っかかってきたもの、つまりちょっと自分で「これは違うな」と思ったこと。それは「鉱脈」という言葉に含まれる戦略的な意味合いである。

「どういうこと?」って? うん、今から説明する。全体に長くなりそうなので、お茶でもいれて、くつろいで、お読みいただきたい。

長島肩甲さんが元来は使われたその語が登場した文章(対談?)を残念ながら読めていない(これにはちょっとした行き違いもあって。この経緯は話にはひとまず無関係なので省略 12/6訂正・補記:これは私の勘違いで、WE ARE! 第5号掲載の座談会でのコメントが当該。これなら読んでいた。ただし、以下論旨変わらず)。なのに、この語だけ引っ張って、何か言うのは不適切かもしれないが、それを承知で言う。きっと、「鉱脈」といった発想のできる人は、(広い意味で)マーケティングができているのだと思う。そのうえで作句の方向を戦略的(これも広い意味だが)に捉えることができるのだ。

簡単に言ってしまえば、膨大な数の俳句愛好家が、寄ってたかって掘り尽くしてしまった、そのあたりに、もう、鉱脈(おもしろいこと)なんて、あるはずないじゃないか?ということ。

まあ、むかしは生産性の高い鉱山だったわけ。でも、今じゃ違う。

でもって、いわゆる結社では、その涸れた「元・鉱山」の掘り返し方しか身に付かない。

そんなかんじ。

だが、それって、どお?

確かに当たってるとは思うけど、自分が俳句で遊ぶとき、どうなのか?

そんなことできる?(自問) そういう思考でコントロールした作句なんてできる?(自問) つまり、気ままにやってるわけだから、鉱脈の在処なんて、どうでもいんじゃない?(と自分が自分に囁く)

こう言ってしまうとミもフタもないが、まあ、ざっくり言ってしまえば、肩甲さんの句は、かなりクレバーなのだ。あがいて失敗すると無様となるような路線を、巧妙に避けている。悪く言えば、ずるい。勝負しそうになっちゃった句は、いわゆる「緩い」。でも、私は、どうにもこうにも肩甲句のファンなんだけどね。

さて、そこで自分の俳句との付き合い方を考えた場合、「鉱脈」がどこにあるか、考えをめぐらすよりも、先にスコップを手に入れるのが先決という感じもあるし、方向性なんてものは、自分でも笑ってしまうくらいに、何がやりたいのかわからん(わはははは)。

そのうえで、上田さんの記事にレスするというのも、変な話だが、私の思う「鉱脈」とは別の、有意義な展開も見せるかもしれない。だから、レスしようと思う。例によって、いい加減な筆致だから、誤解を招く部分もあるかもしれないが、ぜんぶ、本気のレスである。また、「鉱脈」という語の本来の肩甲さん的脈絡からは逸れるかもしれない。現時点で私が感じ取った「鉱脈」である。

以下、青い文字が上田さんの列挙された論点。黒字が私のレス。

1.「鉱脈」という言葉をばらしていうと、新しい作品のうまれる可能性ということか。
さっき言ったように、おもしろいもの、美味しいところといった感じで捉えている。作る作品が、そこにぶち当たるという意味では作品だけれど、新しさは無関係。古典的な肌合いの俳句が美味しいなら、それも鉱脈だろう。事実、擬古的ともいうべき「古そうで、なんか不思議。これまでにない味」のする句群(作家ら)があるように思う。

2.いま中心に近い場所で書くことは、打率が悪い。
打率の意味はむずかしいが、ある意味、打率は良いかもしれない。中心というのは、ざっくりメインストリーム(そんなもん、ほんとにあるのか?というのは置いておいて)と定義しておけば。でも、打率は高いけど、ホームランも効果的一打も少ないという感じかもしれない。

3.あるいは、掘っても掘っても、残るようなものができない。歩留まりが悪い。
「残る」ということにほとんど興味がないので、むずかしいが、いくら巧く作っても「既存」というように捉えれば、「残らない」とも言える。

4.かもしれない。
はい。かもしれない。

5.中心、、、とりあえず「文脈的蓄積の濃い場所」としておく。
ううん、これは含蓄ですね。メインストリームだなんて、俗っぽく、またバカっぽく捉えるより100倍鋭い。文脈(コンテキストとあえて明言しておきますね)の(「的」ではなく、あえて「の」にしたい)蓄積だけでなく、テキスト(俳句)の蓄積も濃い。一般用語でいえば、集積度が高い。

6.蓄積が濃いあたりには、なにがないのか。あるいは、ありすぎるのか。
「鉱脈」の段でいえば、鉱脈、すなわち鉱物がない。

7.酸素?
鉱物。

8.スペース?
鉱物。

9.ごみ?
鉱物。ゴミはある。つまり、かつては豊かな鉱脈だったけれど、掘り尽くされたということか(私の把握ではなく、鉱脈という語を使う場合の把握)

0.ある「場所」で書く、ということは、その場所の「読み」の「文脈」で書くということだろう。
それは言える。「読み」が反映される。「読み」が動因ともなる。ただ、これは、表現一般に言える。

1.「文脈」は、新しい作品が加わることで、更新されなければならない。
なければならない、とは思わない。変われ!と告げて変わるものではないから。「読み」というコンテキストに変更を与えるようなテキストは、そうとうに強力なテキストであると言える(やや思念的だが)。

2.余談・虚子の伝説的選句眼というのは、とにもかくにも新傾向の作品に「印可」を与えて、無節操に「文脈」を拡張していった、ということなんでしょ? 突然とんでもない破調の作品を認めて、自分も書いてみたり。何のために。虚子=俳句でありつづけるために。
虚子の選句というのを知らないのだが、それでも「慧眼かも!」と思わせる把握。

3.「文脈」が更新されない場所で書く。
むしろ、文脈はなかなか更新(変化)していかない。

4.「このごみの山に、また一句ごみを入れてどうすんだってのはあります(笑)」恒信風創刊号('95 6)での小林恭二の発言。
わははははは。実に。あした俳句をやめようと思う。ある俳句サイトのトップページに「いわゆるネット句会はやりません。俳句はすでに多すぎます」とあった。この毅然! すがすがしく思った。

5.(この発言につけくわえることは、何もないな)
ない。

6.あとは、そこは、ここは、どういう「場所」なのか、だ。
自分のいる位置? それはなんとなくはわかる。でも、それが現代俳句・伝統俳句というどうしようもない二極のあいだの「どこか」だったりもする。

7.肩甲さんはどこにいる。
うん。最初に戻りますが、クレバーにマーケティングできているんだと思う。当たり前だけど。文芸でシノギができている人なんだから当然といえば当然。
by tenki00 | 2005-12-05 21:12 | haiku
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