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戦争と俳句(3) 結局は個人の問題か。退屈なとこに落ちるなあ

あめを:おかえり!
てんき:な、な、なんで、出迎える? ああ、びっくりした。
あめを:句会、どうだった? 戦争の句はいっぱい出たかね?
てんき:「八月十五日」1句、敗戦日だったか終戦日だったかが2句、「原爆忌」1句。上手な句もあり、そうでもない句もあり。上手な句には点数が入り、それなりに句評も盛り上がってた。
あめを:盛り上がるって?
てんき:巧くできていても、よくあるスタイル…といった意見も出て、結局、「八月十五日」という季語は難しい。そんな話だったかな。
あめを:ふうむ、難しい? ツキスギを避けて、距離を出して、あっさりした素材を持ってくれば、それなりにかたちになる。
てんき:そう気楽に考える人もいれば、そう考えない人もいるということだろう。それより、俳句をどう作るかという議論に終始したのが、ボクには興味深かった。きっと、昭和20年8月15日という日を、個人的な事象に還元できるのだろう。作った人はきっとそうだろう。自分の体験の中の一日という感じだ。だとすると、ボクが考えていたような「平和」や「反戦」という意味合いは背後にフェイドアウトする。
あめを:なるほど。自分自身の「その一日」ね。それだと、「死者」もフェイドアウトする。
てんき:ボクらは、その日、まだこの世に生まれていない。だから、戦争と死者とを結びつけて考えすぎるのかもしれない。
あめを:なるほどね。
てんき:また、その死についても、あまりにも漠然かもしれない。
あめを:その点では、東人さんの記事が興味深い。
てんき:ああ、読んだ。「死はいつも他人事」にしても、それが経験の中で、くっきりと実像や質感をもつことがある。
あめを:そうした瞬間が、句になる可能性もあるのか?
てんき:それはよくわからない。もしも、ボクの中で、ある経験が実感をともなって像をむすんだとしても、とりあえず、そうしたものを俳句にしようとは思わない。「なんでも俳句になる」というふうには考えない。なんでも俳句にする必要もない。下世話にいえば、俳句に不向きのことを俳句にしようとしてもがくまえに、俳句向きの素材で充分、自由に遊べるという感じが、このところ強い。
あめを:キミにとって、戦争というテーマは、俳句向きではないという、きわめて個人的な問題に落ちちゃった。
てんき:落ちたねえ。まあ、いたしかたがない。議論のテンションは保てなかったということか。
あめを:まあ、そんなに悲しい結論にするな。では、このへんで、「八月十五日」で一句!
てんき:「阪神の移動日八月十五日」。字余りのお粗末。
あめを:ほんと、お粗末。
てんき:じゃ、そろそろ、例のあれ。人気blogランキング クリック、クリックゥ~。
あめを:そればっかりだなあ。
by tenki00 | 2005-08-14 22:33 | ameo & tenki
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