まちがってもシルク・ド・ソレイユみたいなんじゃないです、サーカスとは。
サーカスを観て暗がりの海鼠の背 啞々砂
経緯がわかるという句ではありません。不思議な感触、不思議な時間がしっかりと定位している句。海鼠に背も腹もあったもんだじゃないというのは正確ではなく、背はちゃんとあります。
湿気のある、すこし匂いのするような観客席のひとつに腰かけ、ふと見遣ると海鼠の背があったのか、あるいはテントから出て、海鼠の背に出会うのか。サーカスも海鼠も、それぞれ大きな存在感をもって(詩的な、あるいは俳句的なイメージ喚起力をもって)存在するものですが、二つ合わさると、また違った妙味が生まれる。ドラマへとなだれ込んでしまうちょっと手前に踏みとどまった故の妙味とも言えそうです。
サーカスと海鼠、どちらが主題(主成分)なのか、なんて野暮はナシで、この二つが見事にバランスしていると読みました。
『塵風』第4号より。
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