ちょっと思うところがあって、
「俳句 自己表現」でググったら、このブログの過去記事が出てきて、びっくりしたり、「またぞろ同じことを書こうとしているのか? 自分。進歩がないなあ」と落ち込んだり。
けれども、いまだに俳句にまつわる「自己表現」という語を目にすることがあるのは事実。
なぜ?
「自己」とか「自分」とか「私」って、なかなか一筋縄では行きませんよ。
それってひとつには「監獄」のようなものでしょう? そこから自由になるための、かなり有効な手段・方策が、俳句だと思いますが。
ちなみに、俳句で自分を描くな、材料にするな、と言ってるわけではないです。俳句的に自分を扱えばいいわけです。それは「自己表現」とは違う。俳句は、一種、「ズラす」ことですから、「自分」をズラさないと、それはもう露出趣味というだけになってしまうのですが、どうなんでしょうね。
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