田島さんの「ある座談会について」という記事。
http://moon.ap.teacup.com/tajima/1486.html 西日暮里から稲妻みえている健康 田島健一 という句。よく憶えている。むかしむかし、どのネット句会だったか、特選級でいただいた句。 この記事には座談会のことがいろいろと書かれています。 これが、長い! 自句を語る野暮は承知でやってらっしゃるんでしょうけど、ちょっと徒労の感ただよいます。 わかる・わからない、良い・悪いの溝はいくら話したところで埋まらないケース(というか人の組み合わせ)があるものです。 基盤があまりにも違うのです。俳句に関する基盤、というより、言葉に関する基盤(文芸に関する基盤)が大きく違うのです。 たとえば、〈健康〉と言ってしまうと全部が見えてしまう気がする、といった星野氏の弁こそがわけのわからないもので、この句、健康という最後の2文字・4音で、気持ちよく「不明」「未知」の場所へと連れていってくれる。だからこそ、絶品なのです(私にとっては)。 それと、一般論として、一句を目の前にして、それが俳句(と呼べるか)かどうかといった思考や議論に、どれほどの価値があるでしょう。 私たちはジャンル判定のために何かを「読む」わけではありません。気持ちよくなるために「読む」のです(この快感はもちろん広義・多義)。 仕事じゃないんだから。工場で検品しているわけでも、ひよこの雄雌を見分けているわけでもなく。 それと、十代から俳句を始めたうんぬん、年数((時間)のことも、この座談会で取り沙汰されていますが、これも、一般論として、俳句に関わっている年数は関係がない面があります。50年やってようが、はじめて3日だろうが、言葉に対するセンスは、人それぞれ。もちろん「俳句」の蓄積は違いますが、それ以前の言葉の蓄積はキャリアとは無関係という部分が大きいようです(どうも、見ていると、そう)。 このたぐいの基盤の違い、溝は、他ジャンルとのあいだにある溝よりも、はるかに埋めがたく深い溝かもしれません。 ● ● ●
by tenki00
| 2011-03-03 12:51
| haiku
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