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心のなかの床の間に

昨日の話の続きです。

承前・刺さる

媒介であることをやめるというのは、句それ自体が、「イコン」のように輝いて、≪心のなかの床の間≫に、すっと立つという感じです。

感じってだけです。すみません。

この「イコン」は、宗教的(キリスト教的)意味は排除して考えていただきたい。英語風に「アイコン」でもよいです。床の間のすばらしい「置き物」でもいいんです。前にどこかで使った、ホログラフィーみたいなイメージでもあります(平面じゃない)。

私の≪心のなかの床の間≫には、いくつもの句がイコンのように立っています(時によって編成が変わることもある)。

例えば、

  かもめ来よ天金の書をひらくたび

燦然と突っ立っています。で、これ、何かを媒介しているでしょうか? 何かを描写していますか? 何か素晴らしいもの(この句の外にあって、この句が表しているもの、意味されるもの)を私たちにもたらしているのではない。〈媒介〉なのではない。これ自体が輝いている。

(作者名は、イコンに含まれなくてもいいんです。ご存じのように三橋敏雄ですけどね)

あるいは、

  がんばつてゐる噴水の機械かな

これ、何かを描いているでしょうか。伝えているでしょうか。そうではなくて、この句自体が、私たちの意識のなかに突っ立つ。(作者は岸本尚毅)。

というわけで、ぜんぜん説明できていないのですが、ナイスな句とは〈媒介〉ではあり得ない。それ自体が〈それ〉となるようなシロモノだと考えているのです。




by tenki00 | 2010-10-15 21:20 | haiku
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