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ちょっとフェイキーな夜 ツイッター風の断章

たいそうおもしろい。≫上田信治・フェイク俳句について(週刊俳句・第181号)
http://weekly-haiku.blogspot.com/2010/10/blog-post_9580.html

(以下断章。まちがっても真に受けないように)

私自身はフェイクであることに痛痒を感じないし、居場所を求めてもいない。なにか書くとき〈私〉を措定(仮定)する作業を、無意識のうちに、しているに過ぎない(みんな、しないの?w)。

読んでくださる人には、「ホンモノの私」っぽい〈私〉をサービスすることもしますし、「じつはそうじゃなかったりして」の〈私〉もサービスします。サービス精神がすごく旺盛。

いや、そうじゃなくて、「ホンモノの私」っぽい〈私〉こそが、俳句で約束されたサービスなんだよ、と言われてしまえば、あ、そうなんですかと言うしかないが。

でも、ちょっと待てよ。俳句=ゲームと、枠組を仮定しておきながら、〈私〉の部分だけは、枠組の外にある「社会的事実」としての作者を、担保のように前提とするのは、ちょっとおかしくないか、という気も。

読む側からいえば、句のなかの〈私〉は、作者と細い糸でつながっているかもしれないし、いないかもしれない、という前提で読んではじめて、句のなかの〈私〉が、どこの誰でもない〈私〉となって、そこにある感興が一般化されるのではあるまいか、などとも考えたりして。

原爆や東京大空襲を見てきたようなウソをつこうというのではないのだ(そういう野蛮なウソのほうがむしろ承認済みのようだけれど)。もうちょいデリケートなウソ。

けれどもしかし、信用は、市場が決めるもの(金融と経済の原則)。だから、信用を置けないと言われたときに、あえて「いいえ、ぜんぶ実話です」と言ってもムダ。したがって、(自分の句のなかで)〈私はウソしか言わない〉というシンプルなパラドクスを、〈あなた〉にプレゼントします。




by tenki00 | 2010-10-10 21:00 | haiku
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