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新潟の話

宗左近俳句大賞というものがあって、これは「雪梁舎俳句まつり」なるイベントの一環だそうだ。その選考会の模様が詳細にレポートされている。≫関悦史・宗左近俳句大賞公開選考会レポート、または『新撰21』はいかにしてほぼ決まっていた「特別賞」を逃したか

加藤かな文さんの句集「家」を、「「加藤かな・文句集」と読んで、句と文一緒なのか」と思うだけならまだしも、公言しちゃう司会者(新潟の「文芸評論家」とある)の進行の下、なかなかコクのある討議が展開した、というのは、冗談で(すみません)、「ああ、こう決まっていくのか」という話の路線というか筋道がとても見えにくく、しかし、まあ、選考というのは、こんなものかもしれない。レポート自体はとても面白いので、ぜひ一読を。

その関悦史さんは、一般投句の部の最高賞「雪梁舎賞」に決まった「虹色に濡れて海市から来たという」という句の講評もレポート。ウラハイに載っている。≫兜太から九堂夜想への講評 「雪梁舎俳句まつり」余聞

作者は九堂夜想さん。『新撰21』で100句が読め、私も拝読した。いわゆる難解、前衛と呼んでいい句群、詠嘆的な口調は迫力があり、読む楽しみを味わわせていただいた。

でも、この「虹色に濡れて海市から来たという」という句には、まったく魅力がない。

1)海市(蜃気楼)からヘンなもの・不思議なものがやってくるというネタの擦り切れ感
2)虹色というの歌謡曲フレーズ(歌謡曲が悪いのではありません)
3)モタモタとして、韻律がない(引用が正確であるとの前提。字余りが必ずしも悪いとは思っていません)

『新撰21』で知った九堂夜想さんからすると、あれれ?な句です。

選考メンバーは、句集を選ぶ「宗左近俳句大賞」と同じなのか別なのか知らない(金子兜太は「このくらいでちょうど良いんですよ。」との評言を残している)。この句を高く評価する人がいたということなのだが、そうゆう選考メンバーって、いったい、どーなんでしょう?というのが、一俳句愛好家たる私の感想。

賞は賞であって、賞に過ぎないんだな、と。

さてところで、『新撰21』100句についてのTwitter読書会が、土曜夜に開催されてます(毎週ではないようです)。≫お知らせ

この九堂夜想さんの回は、中村さんのコメントにありますように、秋頃。私の土曜夜は、帰宅が深夜だったり「週刊俳句」のアップ準備だったりで、なかなか参加できませんが、皆様、ぜひどうぞ、ご参加を。



九堂夜想さんの「アラベスク」100句から、好きな句を挙げておきます。

吊るされて切り岸を呼ぶピアノかな  ※これはきっとたくさんの人が選ぶでしょう
みずうみを奏でる断頭台なれや
孔雀大虐殺百科辞書以前
ひらめける手の忘却をかものはし
とおく来し青黴乾酪(ブルーチーズ)の斜立ちや

付言するに、全体に1960~70年代っぽさ(曖昧な言い方!)、ある種のアナクロニズムも感じる。というと、否定的にばかり受け取る向きが多いが、そうではない。それが悪いことだと私は思わない。妙な譬えになりますが、また、Jポップ(笑)というものをあまり知らないのですが、ひところ人気を博した「スーパーフライ」という女性ボーカルも、最近解散したらしい「ゆらゆら帝国」というバンドも、1960~70年代の「現在パフォーマンス」ですし。
by tenki00 | 2010-05-07 09:48 | haiku
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