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「なかなか高尚なご趣味で」

山口優夢「僕の「これだけは伝えたいこと」」(週刊俳句第154号)が『俳句』2010年4月号の特集「挫折しないための六十代からの俳句入門」を取り上げ(この特集タイトルには萎えたに違いないが、それでもがんばって)、次のような引用から話題を起こしています。
「これだけは伝えたいこと」というテーマで山尾玉藻さんが書かれている「それ、勘違いです」という記事に注目したい。/その冒頭にはこうある。

これまでの経験上、私が俳人と知ると大方の人は「高尚なことをなさっている」と言い、俳句を勧めると「難し過ぎる」「風流心が無いので」と急に逃げ腰となる。どうしてこうも俳句は誤解されるのだろう。(このパラグラフ孫引き)
これって、俳句愛好者がよく遭遇する場面かもしれませんが、「高尚なことをなさっている」という反応を、そのまま受け取るというのは、純情すぎませんか。



こういうへりくだったに見せたセリフというのは、単に「私には関心ありません」「私に関わらないで」を言い換えただけの紋切型というのが世間というもの。別に本気で高尚と思っているわけでもないでしょう? あとに続く「難し過ぎる」も同様。

つまり、相手と距離を置きたいときの決め科白。それに向かって、「いや、違うんです。高尚でもないし、むずかしくもないんです」と説明しても、それは詮無いというより、すでに話が捩れている。すれ違いのままです。その意味では、『俳句』記事執筆者の山尾玉藻さんや、山尾さんと同じような努力・尽力をしてしまう方には、「そんなことしても徒労ですよ」と申し上げたい気持ちで、胸がいっぱいになります。

思うに、俳句と聞いてこの手の反応をする人に、「じつのところのおもしろさ」を伝えても、「ああ、そうなんだ」と反応が好転することはない。

人は、何かに惹かれるとき、何もわからなくても、おもしろさの予感のようなものを感じるものじゃないですか。そうじゃない人にいくら「説明」してもきっとムダです。説明されて、わかったから、興味がわくというものではないはずです。なぜ、そんなことを言うかというと、自分がそうだったから。説明される以前に、なんだかわからないまま、遊んでみたら、おもしろかった。それは俳句愛好者に限らず、何の愛好者も同じ事情だと思います。

子どもが玩具を手にとるとき、説明など、ありません。あるいは、異性に会って、ぴんと来ないとき、「あの娘はこんなに素晴らしい」といくら説明されても、「それじゃあ、口説いてみようか」などとなるはすがありません。

「高尚なことをなさっている」「難し過ぎる」「風流心が無いので」。これはつまり、異性に向かって「ごめんなさい」と言っているのと同じです。これらのセリフを聞いたら、脈がないと諦める。これが順当な選択です(何の話になってんだか)

というか、なんで勧誘するかなあ、と。他人を巻き込むな、と。

そういう気が、まず、しますです、はい。
by tenki00 | 2010-04-15 21:00 | haiku
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