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父の日

父の日である。

義父と義母と義妹が訪れ、夕御飯を一緒する。

私にはふたりの父がいて、実の父はだいぶ前に亡くなった。むかし物置で、父が若い頃(きっと働き始めた頃だろう)につくったらしい筆名が印字された原稿用紙を見つけ、なにか見てはいけないものを見たような、恥ずかしい思いにとらわれた。文学青年だったらしいが、その方面とは違う稼業につき、その恨みででもあるかのように本をたくさん買うひとだった。書斎には書架と文机、柱になぜか飾られていた能面が、子どもの頃は怖くてしかたなく、父がいないときに、本を見にその部屋に入っても、能面と目を合わせないようにした。父が一度目に倒れたのは私が高校生のときで、その年齢をいつの間にか通りこしてしまった私は、まだ倒れることなく、なんとなく暮らしている。二度目に倒れたときは、弟が父の稼業を継ぐべくすでに医者になっており、弟が勤める病院に入院した。それからリハビリと退院。死は突然で、夜中に弟から電話がかかったとき、もう意識はないと聞いた。次の朝の新幹線で駆けつけたが、意識のない父とこれが最後の別れとは思えず、別れはもっと前、その年の春、伊豆に父と母と私たち夫婦の4人で泊まり、三島駅で見送ったときが父との別れだった気がした。親孝行のまねごとだったから、自分としてはそれをむりやりにでも最後の別れにしたいのかもしれない。身勝手なことだ。それでも、車窓で父が笑っていたその顔のことが、身勝手ではあっても大きな慰めだ。その夜には通夜。病院から生家に戻ると、家の中を近所の人々が忙しく行き交い、襖をはずしたり、家具を2階にあげたりで、通夜と葬儀の準備がなかば完了していた。田舎の葬儀のことはわからないだろう、東京に暮らしていれば。でも大丈夫。私が取り仕切りますと、近所のおじさんが喪主である私にきっぱりと告げ、ほどなく葬儀屋が私の前に坐り、いろいろな値段のことを決めたような気がする。その夜、座敷で寝ている(まさに眠っているようだった)父の横で、私たち夫婦と弟夫婦は横になった。父の横で眠った経験などなかったが、その晩はなぜか心が安らかに落ち着いた。夜を徹して線香を絶やさないのが決まりであることはもちろん知っていたが、4人とも眠ってしまい、朝、近所のおばさんたちが畳を踏む足音で目が覚めた。葬儀が始まり葬儀が終わる。それから父は煙になった。その煙をずっと見ていたい気がしたが、「田舎の葬式」では、家族がそこにいつづけるだんどりにはなっていないらしい。家族も親戚もそこからすぐに戻り、葬儀の世話になった近所の人々に酒と料理を振る舞う。弟は、そんな風習には納得がいかず、自分の嫁に「酒などつかなくともよい」と告げ、黙って坐り続けた。私の嫁は、麦酒を手に、はじめてお会いする近所のおじさん・おばさんの前を行き来した。ああ、父からは今頃もまだ煙がのぼっているのだろうと思いながら、時間を過ごし、それからのことは忘れた。父のことは、正直をいえば大嫌いで、しかし父は父だった。愛憎併存の典型。父もそうだったろう。5、6年間の絶縁状態があり、そのあと、私はしかし父との関係について少しおおらかになれた。父もそうだったかもしれない。父の死後に感じた何か切ないような寂しいような気分も時とともに薄らいで、そして今日は父の日なのだ。
by tenki00 | 2005-06-20 00:39
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