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バスを待つ大路の春をうたがはず  石田波郷





石田波郷『初蝶』(ふらんす堂・2001年)を読んだ。石田勝彦編による、いわばベスト盤。

プラタナス夜もみどりなる夏は来ぬ

1冊を通して読んだあとも、この句にはやはり胸がいっぱいになる。どうしようもなく好きな句。

ほかに何句か。

秋風や夢の如くに棗の実

雷の下キャベツ抱きて走り出す

病む六人一寒灯を消すとき来



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by tenki00 | 2012-03-31 20:00 | haiku

消息 2012年2~3月

■〔句集を読む〕虫・石・星〔断章風に〕喜田進次句集『進次』を読む
:週刊俳句・第255号 2012年3月11日
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2012/03/blog-post_3408.html

■遺句集じゃダメなんですか ~現代俳句協会青年部勉強会「句集のゆくえ」雑感
:週刊俳句・第257号 2012年3月25日
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2012/03/blog-post_537.htm

+太田うさぎ
■奥村晃作同好会 前篇 :週刊俳句・第252号 2012年2月19日
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2012/02/blog-post_6977.html
■同 後篇 :週刊俳句・第255号  2012年3月11日
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2012/03/blog-post_11.html


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by tenki00 | 2012-03-30 01:31 | haiku

木枯さん

3月19日、八田木枯さんが亡くなられた。一昨日それを知り、放心状態となり、いまもまだ虚脱。

木枯さんには幾層かの思いがある。その思いを確かめ、自分のなかに置き場所を見つけるのに、ちょっと時間がかかりそうです。


  春を待つこころに鳥がゐてうごく  木枯

まだ春を待ち続けないといけないくらいに、今年は、寒い。


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by tenki00 | 2012-03-27 22:23 | haiku

出すの出さないの、と

スピカでの座談の最後の2回。

http://spica819.main.jp/yomiau/5544.html
http://spica819.main.jp/yomiau/5554.html

「けむり」の話とはなっているが、前者には自選・他選の話題、後者には俳壇や「公共」概念の話。

スピカさん、お疲れさまでした。

今から振り返ると、あの晩、リラックスして楽しく過ごしたのでした(おそらく上田信治さんも)。リラックスしすぎて、ロクなことをしゃべっていない気もしますが、まあ、そこはそれ、そんなにスゴいことが出てくるはずもないので。



現代俳句協会青年部の勉強会「句集のゆくえ」に出かけたので、その雑感を、週刊俳句・第257号に書いた。
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2012/03/blog-post_537.html

句集がらみ、ということで。


『けむり』は、幸せな句集だと思ってます。


句集って、出したら出したで、楽しいことも起こるのですが、出さないとダメ、出さないと始まらない、というものではない。

まあ、句集を出しちゃったわけだから、「句集? なにそれ、ダサ!」というポーズは、もう取れなくなったってわけです(人名句集のときよりも、さらに)。


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by tenki00 | 2012-03-25 10:52 | haiku

猫句

『俳コレ』には猫の句が多いんですね。
『俳コレ』鑑賞/下坂速穂

猫と暮らした年月は合計25年くらい。通算8匹(7匹はもういない)。猫は親しい存在なわけです。ところが、拙句集『けむり』には、猫の句が一句もない。帯には猫のイラストがあるのにね。

「煙/けむり」の句が一句もないのは意図ですが、猫の句がないのは、ほぼ偶然。そういえば、あまり猫の句はつくらない。「猫」という現実や実感に、私の「書く」ことが追いつけない? あるいは、私自身が猫であり、けむりだから?


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by tenki00 | 2012-03-23 11:37 | haiku

観くらべ 第9番 ベトナムvsタイ

予約したDVDをTSUTAYAが2本ずつ郵送で送ってくれるサービス。その2本に勝ち負けを付けるという、ヘンテコリンなシリーズの第9弾。

2本がどんな組み合わせになるかは偶然なのですが、比較の軸ができたりするから、世の中おもしろい、偶然がおもしろい。

今回は、オリエンタリズムの2本です。


グッドモーニング, ベトナム (バリー・レヴィンソン監督/1987年)

右 勝
ハングオーバー!! 史上最悪の二日酔い、国境を越える (トッド・フィリップス監督/2011年)


「グッドモーニング, ベトナム」の舞台は1965年のサイゴン。アメリカ兵士向けのラジオ放送局に人気DJとして赴任してきた主人公(ロビン・ウィリアムズ)の活躍ほかいろいろを描くハート・ウォーミングな戦地もの、って言っていいのだろう。ロビン・ウィリアムズが主役という時点で、上官とぶつかったり(アメリカ的独立独歩の個人)、現地のベトナムの人々と触れ合ったり(偏見のない鷹揚な心)、という、筋書きやテイストは見える。

監督は、「ナチュラル」(1984年)、「レインマン」 (1988年)など名作をモノにした人。近年の「バンディッツ」(2001年)、「トラブル・イン・ハリウッド」(2008年)もわりあい好きましたよ。

いい感じの映画です。手堅いし。


「ハングオーバー!! 史上最悪の二日酔い、国境を越える」は、このあいだ観た「ハングオーバー! 消えた花ムコと史上最悪の二日酔い」の続篇。

結婚直前の独身パーティーに男友達4名で繰り出すという物語の骨子は前作と同様。今回はフィアンセの実家、タイへ出かける。

前作の踏襲を随所にうまくちりばめているところが愉しい(男というもの、懲りずに繰り返しバカをやるということだ)。


で、この2作。「グッドモーニング, ベトナム」は、どうしても「優等生映画」っぽさが拭えない。「ハングオーバー!!~」は、「(欧米にとっての)異文化」モノにありがちな臭みがない。笑える。

東洋にどう向き合うかという点で、東洋人女性(個人)に惚れるという異文化体験の導入は、2作に共通。前者は、アメリカ=庇護者/侵略者というジレンマに、善良でリベラルな主人公は悩み、結局はネガティブな結末。後者は、異文化のワケのわからなさに、ただただ翻弄され、なんだかんだの末のハッピーエンド。

前者。強国アメリカ、自由を守る国アメリカのジレンマを、こういうかたちで伝えられても、こっちとしては「知らんがな」という部分もあり。

「ハングオーバー!! 史上最悪の二日酔い、国境を越える」のバカさのほうが、むしろ世界平和に寄与するだろう。

よって、こっちの勝ち。

タイの秀才クン(花嫁の弟)が、乱痴気騒ぎのドサクサで指を1本落としちゃった。彼は将来を嘱望される名外科医のタマゴだからして、それ、困るでしょ? なのに、「なんだかとても愉しかった!」とのたまう。そこのところに、この世の「どうしようもなくダメなんだけど、なんかいいんだよなぁ」な成分が詰まっている気がしたですよ。

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by tenki00 | 2012-03-21 20:00 | pastime

くにたち句会 3月のお知らせ

2012年3月25日(日)14:00 JR国立駅南口 集合

句会場所 キャットフィッシュ(予定)

題詠10題程度

句会後の飲食もよろしければご一緒に(会費アリ)。

初めての方もひさしぶりの方もご常連さんも、どうぞご遠慮なく。


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by tenki00 | 2012-03-18 11:03 | etc

アンソロジったー

もはや旧聞に属しますが、『新撰21』『超新撰21』『俳コレ』(俳人アンソロジー3点)で。

僕がその一人に選ばれてしまうというのはいったいどういう選考基準によるものなのだろうか」と戸惑う人もいれば、
http://shiika.sakura.ne.jp/jihyo/jihyo_haiku/2012-03-02-6487.html

「おい! なんで私を入れないんだ? ああ?」と怒る人もいたり。
http://shiika.sakura.ne.jp/haiku/hai-colle/2012-03-09-6453.html

いろいろあるのは、いいことです。


この手のアンソロジーはもちろん勅撰であるはずがなく、かといって「単なる私撰だよ」と言ってしまうと盛り上がりに欠ける。「オフィシャル感」というもの、これ存外だいじ。誰が入集するかという点、「なんだ、知り合いを入れただけか?」の「私選」感バリバリだと、イベント的にも出版的にもよろしくない。

入った、だの、入らなかった、だの。その手の話題は、アンソロジー側からするとありがたい話題だが、ちょっと離れたところから眺めると、かなりどうでもいいということもある(実際、本を作る側は、ぜんぜんどうでもよくないのだが)。アンソロジったか、アンソロジれなかったか(一部若者のあいだで定着した語)の話題は、簡単にいえば、「俳句的」ではないのだ。

アンソロジーが顕彰めくと、そうとうダサいですしね。

例えば、『俳コレ』の制作時(私も少し携わった)、年齢制限はナシ、と決まったとき、「ううむ、だとすると、100人や200人は洩れるんじゃないの?」と思いましたよ。

洩らすのはしかたがない。出来上がった本が愉しくて、「週俳らしさ」が出ていればいいんじゃないか、という、私のアタマはその程度であった。で、それはある程度実現したのではないか。

『俳コレ』でアンソロジれなかった人が、「なんで私が洩れる?」と怒ることは、どんどんしていいと思う。一方、選んだほうは、「いや、それはたまたまですね」「あ、忘れとった」くらいにすっとぼけておくのがいい。

なお、「俳句史」という語・考え方を持ち出す向きもあるが、どうだろう? そういう位置づけや把握は、将来、それを研究・論証するにふさわしい人に任せておけばいい仕事でしょう。いま俳句を論じている人が「俳句史」をうっすらアタマに置くのはよいとして、いま現に俳句を作っている本人がそんなことを考えると、ヘンなところに力が入っちゃうような気がする。それに、「これまでの俳句史は知ってるのかよ?」と言われて困ったりしませんか?

ともあれ、みんなリラックスして、だらっとしたほうがいいです。「そんなに大げさなこと言いなさんな」というのが、俳句の良いところなのですから。


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by tenki00 | 2012-03-16 20:00 | haiku

誠実 vs 自己インフレ

その晩、結局、最後まで視聴してしまった「上杉隆 VS 町山智浩」のニコ生放送。
http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20120314

へぇそうだったのかという意外な事実などまったくなく、町山智浩と人が、誠実で、おちゃめで、ものごとをよく考える人(これって最上の人材・人格とうことか?)ということが再確認できただけだった。

それにしても、ふだんからいいかげんで、その場しのぎの虚言の多い人というのは、それが単に性格から来ているのか、それともなにか邪悪な意図があるのか。よくわからない。自己肥大(自我インフレ)は、そのどちらもに跨った領域なのだろうけど。

対照として考えれば、みずからの美点・資質を他人のために(少しの余裕を確保しつつ)生かそうとする態度(公共のだいじな要素)と、なけなしの美点・資質をみずからのために使いきってカツカツ。そこには当然ながら、とてつもなく大きな差があるなあ、と。


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by tenki00 | 2012-03-16 13:00 | pastime

来世

来世とか、死後の世界とか、事実として、ない。

けれども、人は事実に依ってのみ生きるのではない。

…というのが私の考え方。

で、『ヒアアフター』(クリント・イーストウッド監督/2010年)。

日本での公開は昨年2月から3月にかけて。冒頭に津波のシーンがあることから、3.11の直後、ロードショーが打ちきりとなったそうで、そのとき見逃して、DVDで観ました。

サンフランシスコ、パリ、ロンドンと3カ所で別々にストーリーが進む。「どうやって3つが一緒になるのだろうな?」という興味を抱きながら観ていたが、途中から、もうこのまま別々でも、この映画は成立するな、と思い始める。しかしながら、ちゃんと一緒になる。実に自然に。

雑駁に言ってしまえば、魂の救済・再生。そう言うと宗教じみるが、そうではない。死者と対話できる男(マット・デイモン)の顛末、というのでもない。いわんや来世があるのかないのかといった話でもない。そんなんでもなくて、じんわりと心の機微をついた映画というか。

ともかく、せつなく、心優しい。

3カ所の3人がどのように再生するのか。それもまた自然な話運び。

ほんとうにもう、クリント・イーストウッドからは、いい映画しか出てこない、という、ものすごい状態。


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by tenki00 | 2012-03-15 20:00