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ピアノ・デュオ・コンサート無事終了

mixiとかには書きましたが、無事終了しました。たくさんの友人にもお越しいただき、感謝感謝であります。

トピックとしては、

1)2曲目の途中で弦がぶち切れたこと。

カミさんが切りよりました。曲が終わってから調律師さんが弦を張り、調律しました。こんなものが観られるコンサートはめずらしい。

2)打ち上げは、ゆっくり食べて飲んで、楽しうございました。

なにしろコンサートは4時には終わったのですから、夜は長い。カミさんは3箇所の打ち上げ会場を移動。




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by tenki00 | 2011-02-28 23:11 | pastime

100句を奉納

週刊俳句で100句を奉納しています。
≫第201号
http://weekly-haiku.blogspot.com/2011/02/201-2011227.html

生駒大祐、山口優夢という若手2人との共演を楽しんでいます。

画像やテクストもありますが、PDFが読みやすいと思います(音引き「ー」が横になって出てしまっていますが)
http://weekly-haiku.blogspot.com/2011/02/1001002011100.html

100題100句サイトにも、どうぞ(私は夏くらいから寄せてもらおうかな、と)。


【追記】
あ、そうそう。奉納100句、神野紗希に寄す、寺山修司に寄す、と前書を付けましたが、他にも「もじり」が数句。前書を付ける付けないは、むずかしいところだなと、今回思いました。


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by tenki00 | 2011-02-28 12:33 | tenki-ku

ピアノ・デュオ・コンサート

明日、2月27日、カミさんがピアノ・デュオのコンサートをやります。
13:30開場 14:00開演
場所は、府中の森芸術劇場 ウィーンホール ≫アクセス

Between Two Worlds Ⅲ

曲目

モーツァルト 2台のピアノのためのソナタ ニ長調 K.448

シャブリエ 狂詩曲「スペイン」

ラヴェル ラ・ヴァルス

バーバー 思い出 Op.28

リスト コンチェルト・パテティーク(悲愴協奏曲)ホ短調 S.258




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by tenki00 | 2011-02-26 01:45 | pastime

座興

週刊俳句200号記念座談を、上田信治さんとやりました。
http://hw02.blogspot.com/2011/02/200_24.html

このかたちは初めてですが、なかなかおもしろかったです。また、なにかに使えるな、と。




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by tenki00 | 2011-02-26 01:23 | haiku

200号を迎えた

週刊俳句が第200号を迎えた。

創刊から4年弱。あっという間のようでもあり、創刊はすいぶん昔のようでもあり。

ちょっと必要があって、このブログ「俳句的日常」の当時の記事を掘り返していたら、嬉しい記事が見つかった。

これ≫http://blog.zaq.ne.jp/blenheim/article/378/

岡田由季さんの「ブレンハイムスポットあるいは道草俳句日記」というブログのこの記事、2007年4月22日の創刊準備号の直後でした。

このように祝っていただいたのは、ほんと、格別でしたよ。


  つばくらめ来てゐる創刊準備号  岡田由季

週刊俳句にとって記念碑的な一句。




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by tenki00 | 2011-02-20 01:00 | haiku

俳句のなかの行為者

週刊俳句・第199号・まるごとSSTプロデュース号より

  冬至湯に頭まで浸かりぬくよくよするな  榮 猿丸

なに、泣かせてるんだ? この句w

こういうのに弱いから、ほんと、涙してしまう。

で、この句、誰が浸かっていて、誰が誰に向かって「くよくよするな」なのか。そのへんは、どうとでも取れそうだ。作者が自分に向かって言ってるのかもしれないし、身近な人に向かって言ってるのかもしれない(つまり、浸かっているのは作者ではない)。

俳句では、行為者が省かれることが多い。その場合も読み方は、きほん、作者が行為者とされることも多いようだが、決めてかかることはないと思う。行為者が誰かという欄は「空欄」と読む。誰を代入してもOK、というわけではないが、空欄、空虚。



【追記】
猿丸さんの句は、よく「表面性」が言われるけれど、
内実には青春性もあると思う。多少の甘ったれた哀しみがなければ、
ロックはできないのですね。
相子智恵「SSTには期待しない」

掲句がまさにそうですね。

この青春性に光を当てた素晴らしい猿丸論が、梅﨑実奈「夢のあらわれ」

青春性とは、つまりは、時間の喪失。「色褪せた未来図」ならぬ、色褪せた写真、色褪せた絵葉書のようかもしれません、ある種の俳句は。



で、余談。拙句で恐縮ですが、むかし、

  煤払ふやうな目をして求愛す

という句をつくったところ、この行為者は作者(つまり私)というふうに読まれてしまい、ちょっと面食らったことがある。

私がそんな目をしたら、気持ち悪いぞ。

自分としては、「煤払ふやうな目」と目を言っているのだから、これは作者の目ではない(だって自分の目は見えないもの)。誰かの目を言っていて、求愛しているのも、その目の持ち主。そのつもりだったが、違う読み方も、事実として生じてしまった。

省略された行為者は、とりあえず作者とする、という読みは、私が思っている以上に広く浸透しているのかもしれない。

よくわからんのだけれど。




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by tenki00 | 2011-02-18 19:00 | haiku

重さの表現

ツイッターで、手榴弾はアボカドより軽いのかと思ってたというツイートがあって、ドラマや映画で、小道具の「重量感」というのは大事だな、と思いました。

このあいだ新宿で観た「冷たい熱帯魚」(園子温監督2011)は、助演のでんでん(むかしお笑い芸人さんでしたよね)が素晴らしく、ラストシーン(ラストの落としどころ)が良く、また、事件に巻き込まれていくさま(というよりも、でんでん演じるところの熱帯魚屋が、主役の熱帯魚屋を巻き込んでいくさま)が観ているこちらを話にひっぱっていってくれ、そこそこおもしろい映画でしたが、全体に雑なところも目立ちました。

その雑ってところのひとつが、耳をつまんでぶるさげる生首が、まるで提灯か何かのような「軽量感」。

よく知らないけど、頭部って、かなり重いはず(ちょっと調べると体重の8~10%、5キロくらいらしい。5キロって、かなり重い)。

映画では、わざとあまりリアルになりすぎないようにしているのかもしれませんが、生首を提灯みたいにひょいっ、では、やはり興醒め、話に入っていくのにブレーキがかかります(ブレーキのかかる部分多々)。

手榴弾も、そこそこの重さで、地面をころがってくれないと、戦争映画が、戦争ごっこ映画になってしまいます。

重さ・軽さは、わりあいきちんと見た目に現れるので、がんばってもらいたいものです。




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by tenki00 | 2011-02-18 12:09 | pastime

変奏

原典



変奏


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by tenki00 | 2011-02-17 12:30 | pastime

twitterって…

身に覚えのないフォロー・身に覚えのないリムーヴ(これって詳細確認不可能)、twitter アイコンでホームが表示されなかったり(なに、この仕様)、いまだに出現するクジラ(いまどきめずらしい)、使いにくい新デザイン等々…。twitterの中の人、がんばらなさすぎ。

でも、良いところもたくさんあるのだ、きっと。




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by tenki00 | 2011-02-16 22:17 | pastime

言語と呼ばれるべきジャンル

ウラハイに「引用の置きもの 宮川淳+鴇田智哉」をアップ。
http://hw02.blogspot.com/2011/02/blog-post_14.html

オモテで絶賛大好評の「まるごとSSTプロデュース号」の連動企画の一環。

宮川淳の引用のうち、私が一等だいじに思ったのは冒頭の「単純にそして純粋に、言語と呼ばれるべきジャンル」という部分。あとは流れ。

例えば、草が生えている。それを摘んで、適当に切り揃え、最後にスパイスを降る。

切り揃えるのは五七五、スパイス(万能のクレイジーソルトか何か)は季語。でも、その前に、言葉が言葉として存在する。その部分のエレガントな単純さ、狂おしいような純粋さ。そこに向かおうとするのが、鴇田智哉の俳句だと思っている。

これを俳句と呼ぶのか、どうか。(たとえ、季語があり、五七五があったとしても)

俳句以前、俳句未生にして、俳句の未来でもある、という可能性。

もちろん試みが高確率で成功するというわけではなく失敗もあるが、めざしているところが、私たちが俳句と呼んでいるものとは違う気がする。そうであっても、俳句とはちがっていても、それは、言葉への素晴らしいアプローチなのだと思うです、はい。




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by tenki00 | 2011-02-15 00:41 | haiku