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2010年 俳句関係の棚卸し

俳句

●にんじん 結婚生活の四季 9句 ;ウラハイ2010年9月14日
※これのウラモノを用意したのだが、掲載のタイミングを逃し続けて、現在、塩漬け状態。

  ≫関連 ちょっとフェイキーな夜 ツイッター風の断章

●笠井亞子氏と「はがきハイク」を始める。7月と10月、2号を出す。

●『塵風』に寄せろと言われて載せたのがあったと思う。

●豆の木賞に20句投句。来年、ウラハイの「俳諧スピーチバルーン」シリーズに出すつもり。

●「句集函」というのを自分の机でのんびり始めたのは秋くらいだったか。単語カード(大きめ)に自分の句を書き、和菓子の紙箱に放り込んでいる。現在、昔のを50句ほど拾い終えたところ。こりゃあ、ぜんぶ拾っても100句あるか?といった感じ)。読者は、箱からカードをつまみだして読む。でも、まだ読者はいない。限定1部なので、読むときは、ここで読んでもらうか、函ごと持ち帰ってもらうか、どちらか。


週俳で書いたシリーズ記事

●シリーズ:真説温泉あんま芸者 ≫こちら

2月にスタートして7回。書きたいと思っていて書けなかったテーマが少なくとも3つある。来年がんばろう。

●今週の五七五 ≫こちら

6月に始めて、6回。もうちょっとネタが見つかるかと思ったが、あんがい見つからない。まあ、もともとサンケイスポーツにあった見出し「町長がコンパニオンと野球拳」がおもしろいという理由だけで始めたシリーズだから。


その他(単発)

デザインは世界を変えるか?『蒐』第4号を読む

枠組みのようなものについての漠然とした話 『現代俳句』2010年8月号、『ににん』2010年夏号、『Leaf』第2号、『バックストローク』第31号を読む

単発記事は、週俳第192号の「週俳の2010年」回顧のページを検索して拾った。便利というか、そうでもしないと無理です。だから、ウラハイにも何かいろいろ書いたと思うが、そちらはタグで。

≫ウラハイ SaibaraTenkiタグ

コモエスタ三鬼シリーズもあるけど、気に入っているのは、短いけど、これ

こう見ていくと、ウラハイでがんばった一年だったな、と。来年はさらにオモテからウラへとシフトするのだろうか、私。




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by tenki00 | 2010-12-29 01:05 | haiku

2010年 all of the haiku pieces

週俳に書いた「2010年「俳句世間の流行語」大賞」、項目をつらつら眺めながら、来年は、こいつらが組み合わさったりして、などと、バカなことを考える。

俳句想望ホステス とか

ユニットに似たもの とか

フェイク歳時記 とか

で、2010年を回顧するに、高山れおな版「ゼロ年代の俳句100選」

今回の作業を続けている途中までは、トリは西原天気人名句集『チャーリーさん』(二〇〇五年)にある〈とある日の全句にビートきよし臭〉か、と思っていた。しかし、実際に最後まできてみると、あまり皮肉なことはしたくなくなった。

なんだ、気が変わらなければよかったのに。でも、まあ、この句が〝かすった〟ことを私的トピックに挙げてよかろうと思います。

オミットは当然ですが、100句目にコレがあったら、それまでの99句がぜんぶ台無しで、それもおもしろかったと思う。

100句の全句に「ビートきよし臭」。

実際、俳句世間を眺めていると、ある日、ビートきよし臭がします。あなたの作ってるその句、句集に収まったあの句、私が昨日作ったこの句、残らずぜんぶ、「ビートきよし臭」、しますよ。程度の差こそあれ、ぜんぶに。

来年は、どんな年になるんでしょう。ちょっと気が早いか。




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by tenki00 | 2010-12-27 21:00 | haiku

消息

週刊俳句・第192号に、「2010年「俳句世間の流行語」大賞」ほかを書いています。




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by tenki00 | 2010-12-26 10:26 | haiku

俳句自動生成ロボットからの変奏

俳句自動生成ロボット「木枯二号」が冬ヴァージョンになっていた。
http://yukari3434.web.fc2.com/kogarasi2.html

変奏 【追補】自動生成物を手で改変

風花や夜のつぎめを埋めにゆく
落羽子の風に遅れて光りけり
深井戸のまぶたを雪の降りしきる
日のひかり障子をひたと掴みけり
手鏡にこころなかばの枯野かな
はらわたにとろ火のたまる鳰の昼

(当然ながら語彙だけでは木枯さんぽくはならない。なにか秘技があるのだな)



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by tenki00 | 2010-12-23 08:14 | tenki-ku

消息

「不健全図書」句集に一句載せてもらってます。
http://weekly-haiku.blogspot.com/2010/12/191-20101219.html



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by tenki00 | 2010-12-22 22:47 | haiku

ハシモト君

19歳のときだ。荻窪あたりのハシモト君の下宿に友だちと連れだって遊びに行った。

夜になって、チャーハンかなにかをハシモト君がつくってくれた。

ん? なんか味にムラがある。調味料がダマになってるのかもしれない。

混ぜ方が足りないのだろうと、友だちが言うと、ハシモノ君は、「ああ、なにもわかってないな」という微笑みを顔に湛えながら言った(外国人が、人差し指を顔の前で左右に振りながら、ツツツツと声にするときの表情だ)。

「料理は、あまり混ぜないほうがいいのだ。味にムラがあったほうが、いろんな味が楽しめるから」

なるほど、味が薄いところや、濃いところ、しょっぱめのところや、味気ないところ。いろんな味がする。

「混ぜたら、一種類の味しか味わえないだろう?」

ハシモト君のその晩のひとことは、私の胸に深く刻まれ、以来、万事、その言葉のごとく考えようと決心したのでした。




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by tenki00 | 2010-12-22 00:12 | pastime

怪物性

http://moon.ap.teacup.com/tajima/1446.html

天才性というより怪物性と呼ぶほうがわかりやすいかも、ですね。

天才性というのは、どう但し書きをつけても、そこに価値がついてまわるし、乱発すると、激しいインフレを起こしてしまうから。




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by tenki00 | 2010-12-20 20:15 | haiku

好きな芸能人

この数年か10年、好きな芸能人、お気に入りの芸能人の変遷というものがあって(変遷といっても、増えていくわけだけれども)

さかなクン

ギャル曽根

中川翔子

われながら、いい趣味をしていると思う。

このうち、さかなクンは芸能人と言えるのか?という問題がある。いまはどこかの客員教授らしいし。でも、テレビで観る人くらいの括りで言えば、芸能人と言えるだろう。

で、そのさかなクン、折につけ、ちょこっとずつワンダフルな情報が入ってくる。

最近では、これ↓
http://www.asahi.com/edu/ijime/sakanakun.html

自分が暮らしている世界にこんな人がいて、よかったな、と思う。




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by tenki00 | 2010-12-19 20:30 | pastime

渡良瀬

これは笑える。

「渡良瀬をゆけ」 http://pub.ooburoshiki.com/?eid=509

ほんわかなれる。


群馬といえば、週俳の何週間か前の号でトップ写真に使ったのが、高崎駅の横にある駐車場の写真。
d0022722_0292689.jpg

さすが自動車王国・群馬。駐車場のスケールがでかくて、安い!




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by tenki00 | 2010-12-18 18:00 | haiku

話題の「ザ・ヘイブン」100句を読んだ

あまり詳しく長く書くつもりはないが、一度、きちんと、感想を書いておくべきかな、と思って、書きます。

話題になっている種田スガルさんの「The Haven」100句(『超新撰21』所収。

俳句全般に、「これは俳句です」というコンテクストは重要な位置を占めていて、それは、いかにも俳句らしい「や」や「かな」が出てくる俳句でも、いかにも俳句らしくない俳句でも、同様。

この作品は、俳句のアンソロジーに載っているから、俳句である。だから、俳句として読む。

ここでいちばんダメな反応は、「俳句らしくないから、ダメ」「こんなの俳句とは言わない」という反応。「いかにも俳句らしくない俳句」が、「これは俳句である」というコンテクストを利用して提示されているのだから、それを受け入れて読むのが、(もし読むとしたら)読者の仁義。そのうえで好悪はあるだろうが。

2番目にダメなのは、「俳句らしくないから」ユニーク、今まで見たことのある俳句とはちがうから「新しい」というところで立ち止まっている反応。これは、読んでいないのと同じ。

つまりは、なにがどう書かれているかを読む。

そのうえで、簡単にいえば、私には、おもしろくなかった。その理由を考えてみると、以下のような要点に整理できた。


1) ちょっと、書かれていることが、真っ当で常識的すぎる

ひねってあればいいというものではないが、一直線の短い道に、予定どおりのものがあるという感じか。

冒頭の

  終わり方知らぬ堕落の途 

が典型で、そりゃそうだということが書いてある。これが友人との会話なら、「うん、そうだよね」と会話が続くだろうが、文字でこうして書かれると、退屈するなというほうが酷。

この句が、捻りとか展開とか期待してんじゃねえよ!と言ってる句であるとしたら、それはそれで意表だが、そこまでは付き合えない。

「発露なき既知の世界」や「理由ない事象に賽~」など、一直緯で予定どおり、あたりまえの句はかなり多い。例えば、ゴルフバッグ→中年オヤジ、では、藤棚に行ったら藤が咲いていると詠むのと同じです。

つまり、高山れおな氏が小論で言う「急激な転調ぶり」「ヘアピンカーヴ」が、私にはほとんど感じられなかった。それは、内容がふつうに真っ当すぎるということだ。(「多摩川べり~」はそのなかでたしかに急カーヴの部類だろう)

全体に理屈が多いが、多くたって、私はいっこうにかまわない。「理がつきますね」などと俳句まみれのタコが言うようなことは言わない。でも、その理屈に、迫力があってほしい。ここにある理屈には迫力がないのだ。


2) うらみ、つらみ、鬱屈が、窮屈なかたちでしか示されないこと

全体のトーンは、うらみ、つらみ、鬱屈。なにもピースフルなものだけを読みたいというのではないが、これがストレートな事物やウブな観念語・概念語(観念・概念の基本語彙)の列挙として提示されるにとどまるので、読む感興にまでいたらない。

ストレートでもウブでもいいのだが、事物や語が(本能的でも操作的でも)作者によって選ばれている感じがない。逆に言えば、捨てられた語・捨てられた表現の存在が感じられない。

俳句に限らず、「こうは書かない」「これは材料として持ってこない」という捨て去ったものの豊かさで、作品の豊かさが決まる側面がある。その意味で、この100句の「うらみ、つらみ、鬱屈」には豊かさがなく、いまあるものはこれだけという窮屈さを感じてしまう。

この手の「うらみ、つらみ、鬱屈」は、作者個人が、なんらかの(言語的経験を含めた)経験によって解決すべきたぐいのものだろうとも思う。かわすのか、もっと先鋭化させるのかは、作者次第。そののちの「うらみ、つらみ、鬱屈」なら、読者である私をわくわくさせるかもしれない。


以上のことは、繰り返すが、「俳句としては」という前提での感想ではない。例えば、これが詩だと言われても、小説だと言われても、あるいは交換日記だとしても、同じ感想になる。


3) 韻律・調べは、いまひとつかなあ


というわけですが、いいと思ったところも書かなければ。

1) 語り口の一定パターンが見えないこと。これは稀有なことだと思う。破調にしても、句をある程度並べると、その人の手癖のようなものが見える。けれども、この100句には、それが見えない。

2) 「六月の蜃気楼 遠ざかる青シャツに心地よい右斜め後ろ」がおもしろい。説明のつきにくい語の作用があって、おもしろい。




1句、ひじょうに不思議な句がある。清水哲男氏が「瑕瑾のように置かれた一句」と指摘するこの句。

  格子路地 艶めく京の春の宵

ことばのセンスのない年寄りが初めて俳句をつくったような、この句。なんだか、壮大な仕掛けのようにも思えて、不思議。



以上ですが、読者として、次に種田スガルさんの作品に会うとき、もっとおもしろがれるものであるといいなと思う。




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by tenki00 | 2010-12-17 20:40 | haiku