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俳句あるふぁ立ち読みのススメ

夫婦(めおとと読む)で買い物に出て、カミさんがヘッド・マッサージ(最近凝ってる)に行きたくなったというので、そのあいだ本屋で過ごす。30分くらいだから、かなりの量、目を通すことができた(ひとつを長く立ち読むことはしない。表紙とページ2,3箇所をパラパラ)。で、『俳句あるふぁ』をめくったわけですが、この雑誌には「私が愛する俳句」という有名俳人のマイ・フェイヴァリット50句のページがある。今の号は池田澄子。

いやあ、おもしろい50句ラインアップでしたー。年代順なのだが、子規の句は25句目だったかな。つまり江戸俳諧がずらずら並ぶ。立ち読み、オススメです。


(良い子は購入しましょう)

(結局、古川日出男の短編集を1冊買った)


ええっと、それで、ついでなんだけど、虚子とホトトギスは伝統か、というと、カギ括弧付きの「伝統」ではあるだろうけど、伝統ではない、というのが、私の考え。

何を急に、という人は、こちらを参照。
五十嵐秀彦・『俳句界2007年10月号を読む
http://weekly-haiku.blogspot.com/2007/09/200710.html
橋本直・週刊俳句から
http://haiku-souken.txt-nifty.com/01/2007/09/post_2dee.html
拙稿・『俳句』2007年9月号を読む・後半あたり
http://weekly-haiku.blogspot.com/2007/08/20079_26.html
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by tenki00 | 2007-09-30 23:18 | haiku

落選展

週刊俳句主催の落選展。お知らせはこちら↓
http://weekly-haiku.blogspot.com/2007/09/50_30.html

あたしももちろん出展するざんす。
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by tenki00 | 2007-09-30 13:57 | haiku

句作ゼロ月間

気がつくと9月は一度も句会参加なし。したがって句をほとんど捻らずに終わる(BBSに数句書き込んだように思うが、メモにも残っていない。実質ゼロ)。

俳句を始めてからこのかた、これだけ句をつくらなかった月はきっとない(ちょっと恥ずかしいけど、毎月毎月少なくとも10句くらいは作ってたんですよね)。

作らないと、なにかまずいことがあるかというと、当然そんなことはなくて、むしろ清清しい。

このまま作らずにいるのもオッケーだが、10月1日から、mixi(閉所式交換日記サイト)で一日十句を始める予定なので、そうも言っていられない。

できるんだろか? 不安。
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by tenki00 | 2007-09-29 21:51 | haiku

俳句漫遊記114 海外詠

遠雷や路上にミシン踏む男  対馬康子

「遠雷」と「男」の位置関係(の不確定・曖昧さ)が、動的な空間意識を呼び起こす。ミシンを踏んで大地をぐいぐいと動かしていくようなのだ。作者の視点は、定点カメラではなく、ハンディカムを携えて早足で、不明の地理に迷い込む感じ。

さて、海外詠。ざっくばらんに言えば、ピンとこないことが多い。例えば誰かの句集の一郭に並んだ海外詠の一群、あるいは十数句かそこらの海外詠作品にせよ、つまらなく感じることが多い。

対馬康子第3句集『天之』(富士見書房2007年7月)の終わり近くは、海外詠が並んでいる。つまらなくなくて、ちょっと吃驚した。変な言い方。つまり、海外詠の多くが気持ちよかったのだ。

出版社、すこし名の知れた出版社には大量の原稿が持ち込まれる。いわゆるシロウトが「書いてみたのだが、本にならないか」と自分の原稿を送りつけるのだ。本人は、こんなにおもしろいものが書けたのだから、出版すれば、売れるだろう、評価されるだろうと、自信満々で送りつける。だが、実際に編集者の目にとまり、会議を通過して、出版の運びとなる持ち込み原稿は千に一つ、万に一つもない。

そうした持ち込み原稿で、いちばん多いのが海外旅行記だそうだ。もしくは海外滞在記。

海外に出かけた人は、「こんな世界があるのか。自分が暮らしてきた世界とまったくちがう!」と衝撃を受け、それを書く。

「こんな不思議な、こんな興味深い体験をしたのは、自分がはじめてにちがいない。この驚き、この面白さを、ひとに伝えたい」と思うのだろう。その体験は、自分にとってははじめてかもしれないが、じつは誰もが旅のたびに思うこと、考えることの範囲を出ない。本人にとってははじめてでも、事実としては、百万回くりかえされた感慨なのだ。

別の譬えを持ってこよう。もし、あなたが海外旅行で飛びきり興味深い体験をしたとする。帰国した翌日、そのことを友人にしゃべりたくてしかたがなかったとしても、やめたほうがいい。きっとおもしろくない。誰が聞いてもおもしろくない、おもしろがっているのはる本人だけ、という危険性がきわめて高い。

時間を置いてから(何週間か何ヶ月か何年か何十年か)、「あの」おもしろかった体験を、友人に話して聞かせる。そのときは、おもしろがってくれる可能性がある。

『悲しき熱帯』は最高至上の旅行記だが、レヴィ=ストロースは南米から帰国して、ずいぶんと時間が経ってからこれを書いた。体験を適切に書くための冷静さを得るまでに何年もの歳月を要することを自覚していた。

話が逸れたのではない。海外詠というものも、旅の土産話・旅行記と形式こそ違え、人を愉しませるところまで持っていくのは、とてもたいへんなことなのだ。


ほかに海外詠を同句集から気ままに何句か。

春灯を放射に広げゆく離陸
家々に神あり螢火のごとく
旅人の木という影の涼しかり
マンゴーの雨と名付けしものの中
昼寝覚客待つ街の名は天使
象使い銀河に集い来て眠る
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by tenki00 | 2007-09-26 19:01 | haiku-manyuuki

削除という政治手法

都合の悪いコメントは削除、という手法は、あまりにも狭量。
http://banyahaiku.at.webry.info/200709/article_32.html#comment

賛同者のコメントだけ欲しい、ということなら、非公開のサイトにすればいいのに。
(我ながらすごく親切なアドバイス)
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by tenki00 | 2007-09-24 11:23 | haiku

くにたち句会9月

…はお休みとさせていただきます。

毎月最終日曜日が基本で、9月は30日がそれにあたるのですが、所用につきお休み。来月10月にまたよろしくお願いいたします。
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by tenki00 | 2007-09-23 17:49 | haiku

俳句の内と外

猿丸さんと信治さんのサバービア俳句の第2回。バイパスの水銀灯やら公団の上空を飛ぶ旅客機やらファミリーレストランといった風景に話題が展開し、ちょっと泣けます。
http://weekly-haiku.blogspot.com/2007/09/2.html

ひとつ細かいところをつついておきたい。

信治さんの問い、「俳句のライバルになるジャンルがあるとしたら、なんだと思います?」という部分。

ここは、こう言い換えたくなる。「俳句がライバルになれるジャンルがあるとしたら、何か」

センテンスの構造が違えば、事象も違ってくる。写真もロックも、ある意味、俳句ライバルかもしれない。でも、俳句、写真やロックのライバルになれるのだろうか?

猿丸さんは、俳句はかっこいい、と宣言する。そうなら、俳句は、それらのライバルたりうる。でも、実際は、どーだろ?

あえて、話題をそちらにもっていくなら、俳句が「かっこいい」か、そうじゃないか。「かっこいい」という語感の軽さとは裏腹に(しかし同時に、その軽さゆえに)、俳句存亡の鍵がそこにあると見る人も多いかもしれない。私もすこし、そう。

そこで、だ。サバービア俳句と「かっこよさ」の関係である。公団やファミレスや旅客機といった「題材」に還元されるのであれば、つまらない。サバービアな「空気」をたたえた句、ということになるのだろう。

「サバービア俳句」という記事を読んでいると、俳句以外のものにアタマや気持ちが行く。すごく行く。それだけでも、この概念は、私にとって重要だ。俳句の「中」のことは、どんどん、どーでもよくなっていくのだ。
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by tenki00 | 2007-09-23 01:32 | haiku

『俳句研究』来春に復刊

私、ちょっと情報が遅いですか?

ブログ「林誠司 俳句オデッセイ」によると、『俳句研究』が、来春、復刊だそうです。
http://blogs.yahoo.co.jp/seijihaiku/16623536.html

時期はともかく、復刊そのものはおおかたの予想どおりでしょうか。

半年の休養、ということですね。

休刊=終刊と承知して、いろいろと心を痛めたり、騒いだりした人、拍子抜けしてはいけません。とりあえず、めでたいこと……


……でしょ? ちがう?




参考記事「俳句研究2007年8月号を読む」;in『週刊俳句』
http://weekly-haiku.blogspot.com/2007/07/20078_22.html
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by tenki00 | 2007-09-22 13:42 | haiku

あたりまえのことを愛おしむ

※『俳句研究』2007年9月号所収「句友句敵」より転載


雪我狂流(ゆきが・ふる)さんがこのところ要あらば用いる履歴には、こうある。

 一九四八年、日本に生まれる。
 一九六四年、ビートルズに狂う。
 一九六七年、ゴダールの「気狂いピエロ」に狂う。
 一九七七年、パンクロックに狂う。
 一九九一年、俳句に出会う。

狂流さんと知り合ったのは、「パンクロックに狂う」のすこし後で、狂流さんが俳句を始めるのは、そのずっと先。私が俳句を始めるのは、そのまたずっと先のことだ。

狂流さんには、よく遊んでもらった。いい映画をたくさん観ていて、そのときどきのいちばんオシャレな音楽を知っている狂流さんは、私にとって先生のような存在だった。といっても「先生然」とはしていたわけではない。子どもは大事なことを学校の外で教わる。おとなになってもそれは同じで、世間で「先生」と呼ばれる人たちから学べることは少ない。

狂流さんが俳句を始めたと聞いて、私がなにをどう思ったのか、ほとんど記憶にない。その頃は俳句への興味のカケラもなかったからだろう。狂流さんがカバンから取り出した結社誌は、いつも持ち歩いてページをめくっていたと見え、ボロボロのヨレヨレだった。そのことだけ憶えている。

やがて私は、仕事上の先輩の誘いで俳句を始めた。狂流さんと句座をともにする機会も得て、狂流さんの句に魅了された。私だけでなく句座の誰もが狂流さんの句を愛した。

  開けるとは外れることね春障子   狂流
  馬糞紙のざらざらざらがあたたかい
  水の出ぬシャワーの穴を見てをりぬ

以上は最初の句集『御陰様』より。私家版五〇部限定だから、手にすることのできた人は幸運だ。こんなにキュートですてきな句集を私は見たことがない。

  まあきれいなんとまづそな熱帯魚   狂流
  仏壇に西瓜一個は多すぎる
  見晴らしが良すぎて寒くなりにけり
  口中の葱より葱の飛び出しぬ

引用にはクセや好みが出る。ここに引く句が狂流さんの魅力のすべてではないことをご承知置きいただいたうえで、第二句集『弁慶の泣き所』より以下に。これも五〇部限定の私家版。

  雛の家でかけるときは鍵かけて   狂流
  冷蔵庫しめてプリンを揺らしけり
  打上花火に五重の塔がじやま

やわらかく気持ちがいい。嫌みのない機知もすこし、ちょっと意地悪な視線もすこし。

「俳句なんて、つまんなくていいの」と狂流さんはよく言う。刺激的なこと、たいそうなことを詠み込もうとしない。世の中の「つまんないもの」を指で軽くつまむように詠むのが俳句、というわけだ。ゴダールやパンクロックの興奮とは別のところにある俳句の風趣。俳句のいちばん美味しいところを私たちに見せてくれるのが、狂流さんの句だ。

冒頭に引いた狂流さんの履歴の最終項「一九九一年、俳句に出会う」には別バージョンがある。「俳句に出会い、軌道修正する」――。気も狂わんばかりの刺激的な経験を経てその後、狂流さんはこの世に復帰した。

  幸福だこんなに汗が出るなんて   狂流
  三月や子供はみんな象が好き
  湖は平らなところボート浮く

世界があたりまえのようにあることをこそ愛おしむ――。狂流さんの句が、そして俳句が私たちに教えてくれるのは、気持ちよく幸せに暮らしていくための指針なのだと思う。
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by tenki00 | 2007-09-21 21:35 | haiku

モデルデビュー!

拙句とりあげていただきまして候。漫俳(下記アドレス↓)

句だけじゃなく、絵のモデルも、私みたいな気がする。

http://manhai.blog118.fc2.com/blog-entry-11.html
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by tenki00 | 2007-09-17 23:35 | haiku