<   2007年 08月 ( 12 )   > この月の画像一覧

村西とおるがナイス

村西とおるのコラム「今日もナイスですね。」は面白くてタメになる(わっクリシェ!)。オススメざんす。

8/20は「アーチスト」について。
http://www.policejapan.com/contents/muranishi/20070820/index.html

歌を「私、あなた、僕、きみ」の言葉をリピートして歌い上がれば上げる程、情景は私的空間に埋没し、共感の思いは途切れ、情念は飛翔することなく一人よがりの世界で完結するのでございます。

若い人は、村西とおるを知らないかもしれない。「ナイスな人物」と覚えておくといい。
[PR]
by tenki00 | 2007-08-23 01:49 | pastime

8月句会のお知らせ

悪魔のように句を捻り、悪魔のように飲み且つ喰う
浮御堂くにたち句会8月のお知らせ

8月26日(日)14:00 JR国立駅南口集合
散歩等適当・句会場所未定・題詠10題程度
お時間あれば飲食も。

※今回もメール連絡はしません。
コレ見てご返事いただければ幸い。

御常連様もはじめての方もご遠慮なく。
参加希望の方は、私まで御一報を。
[PR]
by tenki00 | 2007-08-22 11:26 | haiku

三光鳥

『俳句研究』2007年9月号(休刊号)に掲載の600人アンケート。面白かったのが、信治さんの指摘にもある小林貴子さん(岳)の回答。この号を読んでいない人のために引いておくざんす。

〈失恋に三光鳥がホイと言ふ〉という自句について「実は三光鳥を見た事も聞いた事もない」と言ったら後日電話が来て「俳句とはそういうものか、全く幻ではないか」と言われた。全く幻か、良い事を言われるものだ。
[PR]
by tenki00 | 2007-08-21 04:01 | haiku

敬愚(robin d. gill)さんのQ

川柳本の準備中の敬愚(robin d. gill)さんから質問が並んでいる。
http://otd9.jbbs.livedoor.jp/274853/bbs_tree

覗いてみてください。

で、答えられるものには、答えてあげてください。
[PR]
by tenki00 | 2007-08-18 08:13 | haiku

反ナニナニな人はナニナニよりもナニナニ的である

峠谷研究所・所長曰く…
反権力的な人って権力的な人よりも権力的である
http://green.ap.teacup.com/touge/784.html

実にそのとおり鴨。

中学生のときのことだ。電車に坐っていたら、隣でオッサンがふたりしゃべっている。50がらみのサラリーマン風。話を聞いていると、労働組合関係。ま、いわゆるヒダリのおっさんら。

その席からすこし離れたドアの付近で、おにいちゃんとおねえちゃんが抱擁どころかキス寸前という雰囲気でいちゃつきはじめた。

それを見たオッサンら、
「わしらの政府になったら、ああいうのは、死刑やな」(関西弁です)
「そらそや、あんなもん、死刑に決まっとるがな」

軽口冗談には違いないが、愛嬌はなかった。本気。

中学生の私は思った。「権力とは何か?」を考えることなく、「誰が権力を握るのか?」にしか関心のない人にとって、「反権力」とは、自分の掌中に権力がないというだけの話。現実的な損得勘定だけの話なのだ。

権力や体制に対するアンチの表明には、ひとまず懐疑をもつべきだ。アンチなら、なんでもダメ、ということではない。表明者が何に価値を置いているかを見るようにする。「自分のため」というなら、それは権力が欲しいだけの話。「世のため人のため」、言い換えれば「公共」という概念をどれほど行動として貫けるかが、大きな分かれ目になる。

もっとも、この中学時代の思い、特に後半部分をもっと真面目に考え続けていたら、私ももっとマシなオトナになったのだろうが、ごめんなさい、すみません。


俳句でいうなら(と、かなり強引)、「反・虚子」主義者というのが存在する。とりあえず「虚子はダメ」みたいな? 「虚子的なもの」を否定するみたいな?

いい加減なオトナに育ってしまった私は、虚子ファンでも、虚子ぎらいでもないけれど、虚子の通俗性にアンチを唱える「反・虚子」主義者ほど、じつは通俗的な評価を誰よりも欲しがっている、ということはないのだろうか? つまり…

虚子ぎらいって、虚子ファンよりも虚子的である。

…ってことは言えるのか言えないのか?

そのへん、峠谷研究所・所長の意見を聞いてみたいざんす。
[PR]
by tenki00 | 2007-08-17 09:10 | haiku

週俳賞その後(2) 郊外から

週刊俳句賞に言及したいくつかのブログ記事。その2。

山口亜希子俳句日記「週刊俳句賞の感想ほか」
http://yaplog.jp/haikunikki/archive/158

新しく郊外にできた俳句ショッピングモールの期間限定イベント、テナント40ブースの人気ショップ上位3店はこれです!

なるほどー。週俳=郊外店、言い得て妙かも。

ただし、最後の部分「人気ショップ上位3店はこれです!」は、記事を見ればわかるように、違う。人気をどうこう言うイベントではない。そうならないために、特別審査員という、運営側から言えば負荷の大きな要素(互選・読者投票だけならどれだけラクか)を設定した。

さらに言えば、人気やら、点数が何点やら、順位やら、そうした結果が欲しい人は、これに参加しても無意味だろう。結果ではなく、過程のなかの、細部にこそ、最もコクのある、愉しい事柄が宿っていることを、直感している人だけが、あの賞を楽しめる(上位に入った人たちが、「点数じゃない」とコメントしていたのは、社交辞令だけではあるまい)。

まあ、それはそれとして、話を戻そう。山口亜希子さんの記事の最後のほうに、ひとつ、違和感のある比喩があった。

街の中心部にある商店街(総合誌のこと)

えっ? 俳句総合誌が「街の中心部」に立地?

そんな感じはまったくしない。むしろ「田舎の観光地にある保養施設」。

揶揄でもなんでもない。俳句総合誌は、俳句全体、俳句世間全体の、ある種、エスタブリッシュメント、あるいはメインストリームを反映するものだと捉えているが、そこに、「街の中心」とか街場の感じはない。題材がどうというよりも、ノリの問題。民謡、演歌、童謡、フォークソングが鳴っている。これはやはり保養施設。

比喩の意図が山口亜希子さんと私とで違うのかもしれないが、この部分は、とても興味深いざんす。
[PR]
by tenki00 | 2007-08-12 09:20 | haiku

週俳、来週のYouTube動画

はじめて自分でレコードを買ったのは中学のときで、ディオンヌ・ワーウィックのシングル盤だった。つまり私の原点(!)はバート・バカラック・サウンド。原点というものは、何をやるにも、そこから逃れられないものだす。

作る俳句も、バート・バカラック調をめざしている。

個人的なことで申し訳ないが、週俳、来週のYouTube動画は、バカラック関連で、まずアルフィー特集。

勘違いする人がいるかもしれないが、ハル・デヴィッド作詞・バート・バカラック作曲の名曲 Alfie だ。

日曜零時過ぎに更新ざんす。
[PR]
by tenki00 | 2007-08-11 12:47 | pastime

週俳賞その後(1) そこから見えてくるもの

週刊俳句賞に言及したいくつかのブログ記事を興味深く読んだ。当該記事から、連想的に飛躍してしまう部分もあるが、その記事を取り上げさせていただきく。まずは、この記事。

うつつのどうこう「今一番面白い俳句賞」
http://saysogno.exblog.jp/5919687

偏愛とか、一般ウケとか、俳句との対峙の仕方とか、何を傷とするかとか、ここにアラワです。

実に、そのとおりだと思う。

どんな10句が、どんな40作品が並ぶか、とは別に、選と選評を通して、審査員も含め
た、さらには読者投票を含めた50人以上の50通りの「読み」、というよりもっと広い、俳句との関わり方みたいなものが見える気がしてしまう(私が当事者でなかったのが残念だが)。

俳句を作っているだけでは見えないものが、こうした催しでは見えてくる。カジュアルな単位では句会がそうだが、それ以上。

俳人は、「俳句を作ること」にかまけすぎていると、まえまえから思っている(自戒を込めて)。俳句を作ることから、すこし離れて、俳句と関わる。俳句を読むこともひとつ。俳句をついて書いたものを読むこともひとつ。

『週刊俳句』は、「作ることにかまけすぎていること」へのアンチ、あるいは、そこからの脱出の契機、という意味合いを持っている(というのが私の意味づけ)。その意味で、今回の「週刊俳句賞」は、意外なようでいて、機能的な合理性をもっていたような気がするざんす(あとづけだけどね)。
[PR]
by tenki00 | 2007-08-10 12:39 | haiku

戦争と俳句2007

  八月は兵隊さんの句がふえる  天気

毎年8月になるたびに同じことを書いている気がするが、それでもやはり同じことを繰り返す。

8月になると、俳人さんたちは、やたらと、あの戦争のことを句にする。ネット上でもあちこちで、原爆忌/広島忌、長崎忌、終戦/敗戦記念日、八月十五日。

ずいぶん気楽なことだと、毎年思う。

こうした季語で句を捻る俳人(俳句愛好者)を、信用しない。

たくさんの人の死、大量虐殺、戦争という複雑な暴力……それが間接的な「知識」という脆弱な経験を通したものであっても、厳然と事実としてあった、ある、これからもありつづけるであろうことに対して、私自身は、できるかぎり真面目でいたい。こんなことを書くのが恥ずかしいほど、真正面から誠実でいたい。

その一方、そうした覚悟とはまったく関係のないところで、俳句を遊んでいる。

このふたつを、自分の中で結び合わせる気も意思もいっさいない。

たくさんの人が虐殺する/されるという事実に対するスタンスと、自分が、のほほんと生き、暮らし、俳句というどうでもいいものを遊んでいること、そのふたつは峻別しておきたい。峻別すべきと考える。

だから、原爆忌という「季語」にテキトーに七五をくっつけるという遊びは、絶対にやらない。それが、のほほんと生きさせてもらっていることに対して私ができる最低限の慎みと思っている。あわせて、例えば原爆忌や敗戦日の詠んだ句を、前述のように「ずいぶん気楽なことだ」と思う意外の反応は示せない。

情緒と理性という問題もからむ。戦争や暴力への忌避(反対表明でもなんでもいいけれど)の最初は、情緒的なものだろう。この手のことに理性から出発できるのは「神さま」くらいのものだ。人間なら、情緒から出発する。だが、それを情緒のままにしておくことは、蒙昧な自己愛にすぎないように思える(戦争に反対する平和主義者である自分、という自己肯定)。

戦争反対(平和)を情緒的に叫ぶ人たちと、戦争推進を情緒的に叫ぶ人たちとが、それほど遠い距離にいるとは、私には思えない。同じ顔ぶれの人々が、歴史のあるときは戦争推進の小旗を振り、別の時点では(情緒的・イデオロギー的)戦争反対のイベントに蝟集する。あるいは、テレビの前で「戦争はほんとうにイヤだ」と煎餅を囓りながら家族で話したりする。

いま戦争にまつわる俳句(戦争関連の季語に七五をくっつけた俳句)が大量に、ぽこぽこぽこぽこ生み出されるのを眺めていると、「気楽でノーテンキな俳人さんたち」と思うと同時に、「グロテスクで残酷な俳人さんたち」とも思う。なんでもかんでも俳句にしちゃうんですね。

もちろん、戦争関連季語で俳句を捻ってらっしゃる俳人さんのなかには、なんらかの信念と確信をもって、そうした俳句を作っているのだ、と胸を張っておっしゃる方もいるだろう。それはそれで、人それぞれの覚悟と選択である。


〔過去記事〕
グロテスクな祭り
http://tenki00.exblog.jp/1439742/
戦争と俳句(1) あのさあ、峠谷さんの記事、読んだ? 
http://tenki00.exblog.jp/1499336/
戦争と俳句(2) あしたあたりからわんさか出てくるんだろうねえ
http://tenki00.exblog.jp/1537858/
戦争と俳句(3) 結局は個人の問題か。退屈なとこに落ちるなあ
http://tenki00.exblog.jp/1544596/
今日は原爆忌
http://tenki00.exblog.jp/3506583/
[PR]
by tenki00 | 2007-08-07 22:20 | haiku

2時間で1000アクセス超

週俳、週刊俳句賞発表号は、やはり注目度が高い。

リリース後2時間で約1100アクセス。
[PR]
by tenki00 | 2007-08-05 02:04 | haiku