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タイヤの下敷き

昼ご飯を食べに、クルマで出かけ、目的のうどん屋に到着、私は助手席から降り、後部ドアを開け、後部座席に置いてあったバッグに手を伸ばした。そのとたん、yuki氏、何も気づかずに発車。わっ!「発車オーライ!」って言ってないのにー!

ドア開けたまま引きずられるか?と思った瞬間、タイヤが私の足の上に! ぎゃ! 痛痛痛! 叫び声を上げると、yuki氏、ブレーキ。自然なレスポンスかもしれないが、私の足にとっては災難だ。タイヤが足の上に乗っかったままになった。停まらずに行ってくれれば、足を踏み越して、一瞬痛いだけで済んだのに、タイヤがちょうど足の上で停止状態。yuki氏「だいじょぶ?どっち行けばいい?バック?」「いや、そのまま前、前」 やっとどいてくれた、タイヤ。

というわけで、左足の親指、潰れました。

さて、今日の10句も、100題100句・夏の別館から。027:火星から036:縁まで。
いつまで続けるんだ?鬱陶しい!という声もあろうが、いつまでか、私にもわからない。1年続ければ、3650句になる。そうとう多い。もちろん、それがどーしたという話だ。

ま、ともかく、10句ざんす。題を付けるのは、あまりに意味がなさ過ぎるので、1回でやめた。 やっぱり付ける。 

蛾 が
俳諧や頭ばかりの火星人
いま茄子の糠漬むかし爆撃機
その直後みんな浮輪を抱いてをり
愛国やかたかたかたと廻る寿司
炎天や墓に凭るる墓ひとつ
蜜豆の匙をこぼるる豆と蜜
太郎花子泡より生れて大南風
蔓薔薇のあまた下五の揺れてをり
昼寝より覚めて知らない木ばかり
濡れ縁にロシア貴族のやうな蛾が
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by tenki00 | 2006-07-31 22:55 | pastime

怖いもの

山本★人がシノギの関係で「怖い話」を集めている。霊的なネタは、霊感の強いyuki氏にまかせて、私は何がいちばん怖いだろう?と想像してみる。夜中にドアを開けると、知らない婆さんが立っていて、しかも笑っていたら、とても怖い。

自分の部屋のドアを開けると、部屋に「自分」がいるというネタは、よくある。ドッペルゲンガー。このモチーフは古来より西欧でとても頻繁。しかし、あるときを境に、このモチーフの頻度が激減する。その「あるとき」とは、カメラの出現。

これ、ちょっとタメになるっぽいでしょ? ロラン・バルト『明るい部屋―写真についての覚書』にあった話。ところで、この本、抜群なので、お薦め。ただし、ピンと来るかどうかは人による。

さて、今日の10句は、100題100句・夏の別館から、017:歴史から026:大まで。せっかくだからタイトルも付けてみることにする。意味ないけど。

ざわめき
虹の立つ朝の歴史の授業かな
一人づつ海見てゐたる砂日傘
叔父夏の浜へひとりで行くと言ふ
不器用に瓜食ふ客でありにけり
鐘楼にかなり大きな蛇の衣
沈丁の夜や電車より犬と人
猫を埋めあとは驟雨のひとしきり
ざわめきは林のあたり夏の風邪
涼しさや金星ひとつきりありて
鐘楼になんと大きな蛇だろう
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by tenki00 | 2006-07-31 00:50 | pastime

オマージュ(あるいは本歌取り?)

中村安伸さんのブログに面白い記事があった。

三島忌の帽子の中のうどんかな   攝津幸彦 『鳥屋』(昭和61年刊)
三島忌の帽子の中の虚空かな   角川春樹 「河」(平成18年4月号)

この類似については、すでに各所で話題になっているのかもしれないが、私は、中村さんの記事で知った。この記事に関連した細見晴一さんの記事も併せて以下のアドレス。
中村安伸さんの2つの記事
http://yasnakam.cocolog-nifty.com/blog/2006/05/post_47ee.html
http://yasnakam.cocolog-nifty.com/blog/2006/05/post_6fae.html
細見晴一さんのこの記事
http://finwhale.blog17.fc2.com/blog-entry-46.html

角川春樹のこの句を読んで、盗作とか偶然の類似などとは思わなかった。当然、攝津幸彦のこの有名な句が存在する、それを前提にしての「虚空」の「代入 substitute」だと思った。三島忌の句であると同時に、攝津幸彦へのオマージュといった意味合いも含んだ句だろうと思ったのだ。

ただ、「虚空」だなんて、ベタベタで、「うどん」にははるか及ばないというのが、私の感想。オマージュにしては、うどんの軽妙洒脱に無縁すぎる。また、パロディとしても、どうもしっくりこない。つまり「虚空」のパロディで「うどん」ならわかるが、逆なら、パロディにはならない。まあ、そうは言っても、「うどん」ももはや消え去り、「虚空」であるという本歌取りも、アリといえばアリだろう。

そこで、ネット上で、中村さん、細見さんのブログ以外で話題になっていないか、google検索(お手軽ですみません)してみた。すると、面白いものがヒットした。角川春樹自身がこの句を紹介した文章である。
http://www.monthly-rentier.com/soul/poem/03.html
巻物のように長いページで見つけにくいが、半分より下の位置、「三島忌の帽子」でページ検索すれば、すぐに見つかる。この時点(2006年3月号「月刊ランティエ」掲載)で、角川春樹はこう書いている。
三島忌の例句はまだ少ないが、こじまあつこの作品は三島の姿が彷彿(ほうふつ)し、『河』作品の中でも一歩、抽(ぬき)んでている。私の作品を上げると、
鮫捌(さば)く三島由紀夫の日なりけり   (未発表)
三島忌の帽子の中の虚空かな   (未発表)


これを読むと、え!と思う。ひょっとして、角川春樹は、攝津幸彦の句を知らない(あるいは忘れている)んじゃないかと思えてくる。こうした手記的な記事なら、「攝津にこの句があるが、私はこうだ」といった但し書きが付いて当然だと思う。しかし、ない。紹介しっぱなしだ。角川春樹ともあろう人が知らないはずはないとは思うのだが、この書き方は、攝津句を下敷きにしている感じではない。オマージュでもパロディでも(あるいは本歌取りでも)ないように思えてくる。ううむ。こういう場合、どうしたらいいのだろう?と悩ましくなってくる。

ああ、どうすればいいんでしょうね? 困っちゃいません?

攝津幸彦の句を知ったうえで、虚空の句をつくるのはかまわないと思う。ただ、そのことを記さねばならない。すなわち先行句の存在を明記する。それがなければ、やはり問題だ。これは、先に挙げたブログの記事で、中村さんと細見さんがおっしゃっているとおりである。ところが、先行句の存在を知らなかったとしたら、どうだろう? じつにややこしいことになる。

そして、もっとややこしいのは、「知らない」気でいながら、どこかでその句を目にしていて、頭の隅に残っており、それが「三島忌の帽子の中の×××かな」のフレーズとして浮かんできたというケースだ。これは他人事ではなく、俳人全般に関わる厄介事とも言える。

オマージュにせよパロディにせよ、既存句を下敷きにした句作はあっていいと思う。自分の例を引くのは恐縮すぎるが、人名句集『チャーリーさん』でいくつか実践している。「冬ざくら吉田義夫はよい役者」「はつゆきや吉田戦車はよい戦車」(天気)を掲載。キャプションとして、小沢信男さんの大好きな句「潮干狩京成電車よい電車」へのオマージュであることを記した。俳句を発表するとき、但し書きは忌避される傾向にある。余計な但し書き(例:どこどこにてetc)はどうかと思うが、オマージュ、パロディに関する但し書きを用いた発表のしかたがあっていいと思うのだ。

追記①上記・細見晴一さんの記事でひとつ気になるのは、「オリジナリティ」を排外性(他の作者が使ってはならぬ)の有無を決める要素とされている点である。細見さんの言われるオリジナリティとは、表現の独創性、措辞としての先行性ということだろう。しかし、こうした論旨は危うい。
まずもって、その意味でのオリジナリティの有無の境目はどうしても、曖昧な経験則あるいは私見によってしまう。それにまた、レディメード(あるいは引用)という問題も残る。例えば「今日は帝劇、明日は三越」という戦前(1913年)の広告コピライトの一部を句に用いた攝津幸彦の句(幾千代も散るは美し明日は三越)の、そのレディメード(あるいは引用)の手腕にオリジナリティは、あるのか、ないのか(言い換えれば、今後「明日は三越」を下の句に使う句は、攝津幸彦の先行句を無視して成り立つのかどうか)という問題だ。
いずれにせよ、類似句が存在してしまうという事実、類似の自覚的な駆使。それらはかなり微妙な問題(それはポジティブにとらえれば豊かな話題)を孕んでいそうで、「この表現にはオリジナリティがあるから使えば剽窃だ」というふうにシンプルには捉えられないように思う。「オリジナリティ」を要素として扱うには、慎重な態度と手順が必要だろう。

追記②たびたび引いているが、秀逸な三島忌の句がある。
 三島忌やすっぽりぬけしコンビーフ  雪我狂流
 三島忌やすっぽりぬけしコンドーム    同

追記②角川春樹でもう1句。類似というのとちょっと違うが。
  たましひに遅れていのち泳ぎけり  角川春樹 『JAPAN』2005年8月
これを読めば、多くの人が次の有名句を思い出す。
  飛込の途中たましひ遅れけり   中原道夫
飛び込んだあとの句、続編ということか。スピードは、(肉体)>たましひ>いのち。ややこしい。
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by tenki00 | 2006-07-30 23:05 | haiku

句会中止のお知らせ

7月30日の浮御堂くにたち句会、急遽、勝手なことを申して相済みませんが、
中止とさせていただきます。
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by tenki00 | 2006-07-30 14:00 | haiku

情報誌の情報

やっぱり自分の足で確かめるしかない。と吾郎さんもおっしゃっている。

いや、その、食べ物屋のこと。

食べ物屋を紹介した情報誌がある。またインターネットにも、食べ物屋を紹介したり評価したりするサイトがある。どっちも見たことがなかったが、アルバイトさんが、その手のことにものすごいエネルギーを注ぎ込む人で、その影響というのではないが、『散歩の達人・立川国立』とか食べ物屋サイトをふむふむと見たりしたわけです。でもね、あんまり、というか、まったくアテにならない。「いい」とかと書いてあるんだけど、ぜんぜんダメなことはとっくに知っていたり、知らないとこだから行ってみたら、「思いっきりダメ」。そんなことが多すぎる。アテにするほうがおかしいのかもしれないが、それにしても、だ。

タウン情報誌を作っている編集プロダクションでがんばっている若い女の子たち(ライターさん)を見ていると、昼も夜もカップ麺やらコンビニ弁当。それで、食べ物屋に取材に行けば、なんだって美味しく感じるわな、などと納得したことがある。と、そんなことより、そもそも「まずい」という記事をわざわざ載せることはあり得ないので、情報誌の情報は、使えないのが当たり前なのだった。

じゃあ、投票式だと、どうだろう? 食べに行った人が感想や点数を書き込むサイトがある。国立の店はどうかな?と覗いてみると、学生さんが、「ここの蕎麦を食べたら、学食の蕎麦は食べられません!」などとコメントしてたりして、そうとうに凄いというか、じつに微笑ましい。うん、たしかにそうだろうし、おいしい蕎麦屋だと思うけど、情報という意味では、なにか間違っているという気がする。

こうした雑誌やサイトがアテにならないと思う根拠がもうひとつある。ふだん昼御飯でお世話になっている中華屋さん(私たちは「おっちゃんの店」と呼んでいる)や洋食屋さんは、その手の雑誌やサイトには載らない。私の舌がこえているとは絶対に言わないが、「二度と行かない」とyuki氏と私が口を揃えるイタリア料理店が好意的に紹介される一方で、月に何度もお世話になりつづけ、それでも飽きない、おっちゃんたちの優良店が、その手の情報誌・情報サイトで紹介されることはない。地元の人が利用する店には、情報誌や情報サイトの目が向かないらしい。旨い店は(特に、国立みたいな田舎では)情報誌じゃわからない。

付記;
外食をしていると、気づくことがある。新しく開業したイタリア料理店、それも、入ってきた客に向かって店員がイタリア語で叫ぶような店が、危ない率、高い。インテリアに凝ったおしゃれっぽい割烹も危ない。見かけばかりの、ひどい素人料理を食わされる確率がとても高い。あと、海外旅行好きが開いた無国籍/エスニック料理店、エコロジーおばはんの無農薬野菜etcを謳った健康食の店。どれも危ない。

というわけで、隅田川で、また立川で花火大会の催された今日、7月29日の10句ざんす。いつまで続ける気だ?と鬱陶しがられるなか。

幸せは歩いてこない冷蔵庫
多摩川の土手の真上の旱星
朝顔がしぼむ時空をねぢまげて
「やまもと」と言つてるやうな鮴の口
玄関にふしぎなものが梅雨の明け
玄関にふしぎなひとが盂蘭盆会
理科室で涼んでをりぬ理科教師
性愛の股間を隠す水中花
こつこつと音するあれは金亀子
三日月のきれいな晩の遠花火
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by tenki00 | 2006-07-29 23:35 | pastime

虚子の魔法

高濱虚子のイメージをひとことで言うと、「喰えないやつ」。

最近の2つの記事が(意図やアプローチはまったく異なるが)呼応していて興味深い(そして、いずれの記事も含蓄)。
ひとつは橋本直さんのブログのこの記事。
http://haiku-souken.txt-nifty.com/01/2006/07/post_5764.html
(…)虚子は言いっぱなし。抽象的な言い回しを多用し、用語の概念規定はやらない。したがって言われた方は自分なりに解釈するしかない。
もうひとつは信治さんのブログのこの記事。
http://uedas.blog38.fc2.com/blog-entry-71.html
虚子が、この句のどこを指して「こういう句」といい「間違いない」と言ったのか。これも、いい謎である。いい謎を残してくれるのが、いい先生なのだろう。(内田樹もそんなことを言っていた)

句はともかく、批評においては、魔法から醒めること(disenchantment)を考えていい。

しかしながら、心地よく幻惑のうちにとどまるにせよ、魔法から醒めるにせよ、あまり必死に、眉間に皺を寄せてやることでもない気がする。なんせ、相手は「喰えないやつ」なのだから。こっちには、(強力な)狡賢さ、(冷静な)ちゃらんぽらんさが必要かもしれない。
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by tenki00 | 2006-07-29 00:38 | haiku

輸入レコードの匂い

中学生の頃、姫路には輸入レコード屋がなかった。輸入レコードを買おうと思えば、神戸まで出かけるしかなかった。いつの時代の日本?と思うかもしれないが、実際、そう。

神戸の話は、一昨日のエントリ。それで、こんなこと、つまり輸入レコードのことを思い出したというわけなのだが、神戸・三宮にAOIレコード(アオイレコードと読む。もともと葵だったのか?)という小さな店があった。はじめて輸入レコード(アメリカ盤)を買ったのは、そのAOIレコードだった。で、何を買ったか? これがとんと思い出せない。

邦盤と輸入盤(まあアメリカ盤なわけだが)の違いは、何が違うって、匂いが違うということだ。アメリカ盤は匂いが強く、邦盤はあまり匂いがしない。というよりも、邦盤の匂いは、日本の匂いだから慣れている。慣れていない匂いは、強烈に匂う。

輸入盤を買って、透明シートをぴりぴりっと剥がす。紙ジャケットの開き口をちょこっと開ける。すると、アメリカ盤独特の「匂い」がふわーっと鼻孔に入ってくる。この瞬間がなんとも言えない。アメリカの香りというのは比喩ではなくて、レコードの紙ジャケットの、そしてレコード盤の匂いだった。

だからね、神戸ということで思い出すことのひとつは、まず輸入レコードのあの匂い。それと、AOIレコードに入った瞬間、「何があるんだろう? 何を買おう?」というワクワクドキドキと、私のなかでは切り離せないのだ。オカネはないから、買うのは1枚きり。それを買って帰って、包装を破り、そのとき匂ってくる匂い。それがねえ、なんとも……。

いけない。繰り返しになっている。このあたりで、今日の10句。100題100句・夏の別館もちょっと進まなければ。ということで、そこからの10句ざんす。

星を恋ひ灰掻棒の立て置かる  あめを(以下同)
遠泳のひとかき空の傾きぬ
噴火口覗くがごとく夏痩す
英虞湾に南瓜の浮かぶ暑さかな
煙突のみ残る真夏の火事の跡
銅像の背筋のぴんと夏蝶来
夏木立キリンの始祖と思しきが
ががんぼのよろめく松の廊下かな
エンパイアステートビルの右に蝉
沈丁の匂へる星の暗さかな
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by tenki00 | 2006-07-28 23:03 | pastime

浮御堂くにたち句会 7月

2006年7月30日(日)14:00 JR国立駅南口集合
題詠10題程度(適当)。その日の気分で散歩もしたり。食べるもの未定。

御常連様も含めメールにて参加表明いただければ幸いです(食糧の関係上)。
(メールアドレスはそのへんの掲示板等に落っこちておりますが、浮御堂のトップページにあります)
ご興味のある方はどなた様もご遠慮なくどうぞ。

すこしのあいだトップの位置に置きます。最新記事はひとつ下↓
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by tenki00 | 2006-07-27 10:30 | haiku

高架下

吾郎さんのブログがこのところ神戸の高架下の話。なつかしい。
http://blog.goo.ne.jp/gororin_1956/m/200607

若い頃神戸に遊びに行くたび、ただただ歩いた。今は舗装を新しくしたようで、すこし明るい感じになっているが、昔は怪しかった。棲息するおっさんもおばはんも、空気も、置いてある品も、すべて怪しい。電機部品屋とかバッタもん屋とか靴屋とか(なかには今で言うセレクトショップのような輸入靴店もあった)、洋品店とか、指一本触れても「立ち読み、あかんよ!」と怒鳴る古本屋とか。食べ物屋はほとんどなかったように思う。もしあったら、「食べたら死ぬ」という気がする。

うすものの女ぶつかる高架下  てんき(以下同)
星の夜の螺旋のひしめく紙の函
ラヂオから乙女の祈り八月来
電球はなにかの病気八月来
天井を夜汽車が駆ける涅槃かな
金蠅の直線距離にして二キロ
夕凪の道の最後のみづたまり
かはほりもホンコンシャツも夕暮も
神戸市灘区土用の丑のハンダゴテ
港あかるきハンカチの干してあり
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by tenki00 | 2006-07-26 23:04 | pastime

梅雨が明けそうだが

何が起こったのか?
http://www.bjradio.com.cn/mmsource/image/2005-9-9/xinsrc-.jpg
気になる。
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by tenki00 | 2006-07-25 23:04 | pastime