<   2006年 06月 ( 33 )   > この月の画像一覧

踊り

すご!
http://youtube.com/watch?v=bs1HUbMCZKc&search=james%20brown


  虫を焼くジェームズ・ブラウンてな具合  てんき

俳句ブログっぽ。

くも、ないか。
[PR]
by tenki00 | 2006-06-30 20:03 | pastime

大統領の晩餐会

ブッシュを目の前にして漫談。↓
http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20060429

動画は(記事中にもあるが)こちら↓ 24分ほどあります。
http://video.google.com/videoplay?docid=-869183917758574879
前半は上掲記事に日本語訳あり。
[PR]
by tenki00 | 2006-06-29 20:10 | pastime

「ほんっとに」

前世とか来世とか、あるいは霊的な存在とか、人間にいつもついてまわる観念だけれど、それをカジュアルに演出したテレビ番組がある。カミさんは、何がおもしろいのか、ニコニコ笑いながら観ている。

私は、そうしたものの「存在」を多くの人が信じ、多くの人が信じていないという社会的事実を承知しているというだけ。それ以外にとくだんの関心はない。信じろとも、信じるなとも、思わない。

たとえば、私の母は、20代の前半で両親を亡くした。私が物心つく頃にも、よく枕元に母の母が立ったという話をした。子どもだった私は、それを聞かされるたびに「夢を見たんだな」と思った。オトナになった私は、もうすこし複雑にモノを考えるようになった。母の心のありようについて、他人が、夢だとかなんだとか解釈するべきものでもなかろう。ましてや、そこに「科学」を引用する必要もない。母にとって、ずっと、母が必要だった。「死んだ」という事実を超えて、あるいは、その事実のゆえに。

(ざっくり言って)神秘的なことをまったく必要としないという人のほうが少ないかもしれない。なんか、そういうことが必要なのだ。

私の態度、わりあい鷹揚。

だが、それを商売にする人は別である。他人が何で食べていこうが知ったことではないが、ロクでもないと思う。何を信じようが勝手だが、この手のことを商売にする人間には嫌悪を感じる。だから、宗教的神秘やオカルトで演出された人生相談のような番組は、カミさんが観ていても、私は観ない。

ところが、観ていない私の耳にも、出演者(商売にしている人)のセリフが入ってくる。

「ほんっとに」「ほんっとに」という言葉がやたら繰り返される。やたら気張った口調で、「ほんっとに!」。

なーんだ。この人、自分が言ってること、嘘とわかって、しゃべっているんだ。この人、前世も来世も霊も信じてなんかいない。

人が「ほんっとに」と強調するとき、その人は、そう思ってはいない。よく聞いているといい。たとえば句会の句評で、「ほんっとに、いい句!」と、誰かが言ったとしたら、本心はまったくそう思っていないということだ。

って、むりやり俳句に話を持ってく必要もなかろうというくらい、むりやり。
[PR]
by tenki00 | 2006-06-29 00:47 | pastime

メール句会オクンチ

お知らせはここ↓ 今回のお当番は篠さん。
http://www3.ezbbs.net/03/0123/

前回は、締め切りの30分前に気づいて、句をつくらなければ!と思っているうちにソファーで眠ってしまい、目が覚めたら締め切りを過ぎていた。

まるっきり、爺さん。
[PR]
by tenki00 | 2006-06-26 21:52 | haiku

このブログは日記なのか?

怒濤のエントリーラッシュ。

時間が空いてしまったので。

で、このブログは日記か? ということだが、その日(あるいは前日)のことを記すのが日記というなら、この「俳句的日常」はそうであったり、そうでなかったりする。

エントリーとしてアップする手順はいろいろあるが、わたくしの場合、記事を書いたら(書くのは時間が空いたときとか、書きたいとき)、ひとまず「非公開」としておくことが多い。人目に触れない状態で置いておき、そののち「非公開」をはずして、「公開」とする。だから、ここを読んでくださっている人々の目に触れるのは、ずいぶん前に書いた記事であったりもする。これは日記とは呼べない。

なぜ、そんなことをするのかというと、ひとつには毎日は書けないからだ(時間がなかったり話題がなかったり書きたくなかったり)。でも、一定頻度で更新があるほうが、みなさん、覗きやすかろう。ストックみたいなものだが、これはわたしの貧乏性から来ている。

もうひとつには、冷却期間を置くため。書きにくいこと(批判的な内容を含むなど)を記事にしたときは、ちょっと置く(置かずにアップして後悔することも、たまにある)。数日間置いたのち、捨ててしまう記事も、これまでだいぶあった。

さらにはタイミングを見る記事もある。卑近な具体例でいえば、豆の木のメンバーの句を取り上げた記事を書いてアップしようと思っているうちに、豆の木賞の選句時期に突入してしまったとか(選句に影響を及ぼすなどという意味ではない。へんにカブるのを避けたい気持ち)。あるいは、オフライン(リアル)の句会に参加して、そのことを書き、なおかつ句会が特定されないようにしたいときは、その週末から日にちをあけるとか。あるいは信治さんの50句について書いてアップしようとしたら、信治さんのブログでその50句のリンク先が紹介されていて、「それで、すぐ、っていうんじゃあ、ちょっとなあ」と、数日後にしたり、と、まあ、他人からすれば、妙な、くだらない、タイミングのはかり方をしているわけだ。蜥蜴のような脳味噌でも、それなりに考えたり気を遣ったりしている(いばれることじゃない)。

そんな感じで、「俳句的日常」も、前に使っていたteacupから数えると、20ヵ月近くになった。で、いまさらだが、「俳句的日常」という名前について。まさか、これを「日常的俳句」と取り違えるような人はいないと思うが、違うよ(為念)。

わたくしは俳句のようなものをつくりはじめてだいぶたつが、いつも「俳句的なもの」に魅了されてきた(俳諧的といってもいい。あるいは「俳」と漠然と捉えてもいい)。自分の暮らしぶりがいくぶんでも「俳句的」であることを願うようになった。だから、これからさき、句をつくらなくなっても、「俳句的なること」を念頭に置いて暮らしていくだろうと思う。晴れても降っても、俳句的なスタンスで、というわけだ。

しかし、「俳句的なもの」に魅了されることと、俳句にまつわるすべてを好ましく受け入れることとは同じではない。実際、たとえば、現実の「俳句世間」(俳句愛好者がいて、俳句がつくられていること)は、私にとってしばしば死ぬほど退屈だったり、ときによっては幻滅や嫌悪感を味わわされるものだったりもする。そのことも、誠実に記事にしていったほうがいいかもしれない。

まあ、そんなこんなで、なんとなくこのブログは続くのだろう。こんながさつなところを訪れてくれる方々には、ふだんは口に出さないが、深く感謝している。許されるなら、可能なら、来訪者全員を強く強く抱きしめたいくらい。

これからもよろしくお願いいたします、であります。
[PR]
by tenki00 | 2006-06-25 09:24 | haiku

午後から浮御堂くにたち句会

誕生日を同じうする人間が3人顔を揃えるという奇跡の瞬間を迎えることになる(実は二度目なんだけど)。

どこが凄いかというと、確率的に凄いのだと思う。よくわからんけど。

この午前は、自宅で宅配便を待っている。yuki氏は出稽古(出張レッスン。なぜか隠微な語感)なので、あっしが自宅で待っているというわけだ(日曜日の午前中、シノギじゃないのはめずらしい)。

で、いままさに、クール宅急便が、どかんと届いた。今日の句会に参加しない人はかわいそうだ。奇跡の瞬間を見逃すからではない。どかんと届いた、この海産物を味わえないからだ。

うふふ。
[PR]
by tenki00 | 2006-06-25 09:08 | haiku

消しゴム

商売柄、消しゴムをよく使う。

ふだんあまり消しゴムを使わない人という人が多いかもしれない。事務はPC化されているし、筆記具はサインペンやボールペンが主流だろう。なんであっしが消しゴムをよく使うのか、詳しく説明するとややこしいので、入稿や校正戻しなどの作業手順に使うのだ、と端折っておく。

で、消しゴム。消し「ゴム」とは言っても今はプラスチック製がほとんど。ところが突然、あの、ゴム製の消しゴムが欲しくなった。消しゴムを切らしたわけではなくて、まだ何個か転がっているが、あの、ゴムの消しゴムが欲しくなったのだ。

いまどきのツルツルしたプラスチック製消しゴムではなく、あの、ぼそぼそした肌理の。

欧州文具のインターネット販売にもその手は見つかった。スペイン製かあ。ちょっと心ひかれるが、消しゴム1個だけ注文するわけにはいかない。昼ご飯のあと、くにたち金文堂に寄る。

あった。

1箇買って、仕事場に戻る。

ゴムを包んだ紙に、

田口ゴム工業株式会社、鉛筆用ラバー字消し No.50-L 天然ゴム使用(非塩ビ系)

とある。

なるほどー。塩ビ、ね。最近のは。そうそう、「非塩ビ系」が欲しかったのだ。

ちょっと調べてみる。

消しゴム-ミニ歴史
鉛筆書きをパン切れで消していたが、1770年に英国の化学者プリー・ストレーが、カウチュクと呼ばれていたゴムが鉛筆の字消しに効果があることを発見、インディア・ラバーと名づけ、使い出されました。2年後にフランスに紹介され、広まりました。
国内に消しゴムが入ってきたのは、鉛筆と同じ明治初期。義務教育実施とともに需要は急速に拡大し、輸入が盛んに続きました。大正初期には、植物油を主原料とした代用品・セッケンゴムを使った消しゴムも登場しました。
国内で製造が始まったのは大正3年で、現田口ゴム工業の田口字消し製造所が設立され。続いて、現シードゴム工業の三木ゴム、現ヒノデワシ工業の白髪ゴムが創業しています。
プラスチック字消しは、昭和29年にシードゴム工業が、塩ビ樹脂の消字効果を上げる技術開発に成功、特許を取得し30年代に製造販売が開始されました。

http://www.samahon.co.jp/v-z-html/yaku2.html より

田口ゴム工業は凄い会社だった。田口字消し製造所。なにしろ大正3年、ここで国内生産が始まったのだ。

こんなん↓も見つかった。
http://www.retro-kanban.com/bunbogu/taguchi.jpg

私が買った「字消し」にも、HINODE MUKAIDORI の文字がある。そういえば、日ノ出向鳥のマークの入った平べったく四角い消しゴムの姿が、事実か虚構か、脳ミソの隅っこに引っかかっているような気もする。

「鉛筆用ラバー字消し No.50-L」の皮を剥いて、さっそく使う。

むにむに、ゴムがしなって、ほろほろ、消し滓が紙の上に散る。嗚呼! 「塩ビ系」とはまったく違う感触!

で、素材とは別に、ひとつ、あらためてわかったこと。消しゴムは、ちょっと分厚めのほうが使いやすい。厚さ9ミリから11ミリのものが多いが、日ノ出向鳥(2006)は13ミリ。ベストな厚さだ。
[PR]
by tenki00 | 2006-06-24 23:33 | pastime

豆の木 6月の2句競作 

毎月、全員が、ではないが、2句ずつ競作。2句という数がちょうどいい。鑑賞は本来、豆の木の掲示板でやることなんだけれど、この掲示板は、峠谷さんオンステージ(大活躍)状態になっているので、ここに。

ところで、いま気づいたが、この掲示板の名前。「豆の木の広場」。ネーミングへのこだわりのなさが爽やかだ。

ハモニカに映りて滝のやうになる  大石雄鬼

何が「やうになる」のかは記述がないので、「すべて」ということだろう。実感もあるし、見立てにありがちな底の浅さからも逃れている。語の組み合わせ(=句)に質感がある。かなり好いた。

すこしづつ星ふえてきしハンモック(齋藤朝比古)も気持ちがいい。こういう気持ちのいい句は、気持ちがいいから、気持ちがいい(繰り返してみた)。「経過」が句の前面に出た点がマイナスという意見も大いにありそうだ。私もすこしそう思う。表向きの措辞が一瞬を詠んで、裏で経過を感じさせる具合になれば、とびきりの句になるのだと思う。

BGMは、Ronnie Lane & Steve Marriot; Majic Mijits
http://www.hmv.co.jp/product/detail.asp?sku=1895215
ジャケット、変だけど。
[PR]
by tenki00 | 2006-06-24 10:35 | haiku

誕生日

某日。夜も11時近くになって帰宅すると、yuki氏が「誕生日、おめでとう!」

「プレゼント~」と言いながら、冷凍庫のドアを開ける。見ると、暗褐色の物体がビニールにくるまっている。なに、これ?

「たらばがに~。脚ばっかり。しかもナマ」とyuki氏。

ん? 蟹が誕生日プレゼント?

そうかー。でも、蟹って、ぜんぜんプレゼントっぽくないし。季節はずれだし。そりゃ好きだけど、とくべつ大好物というわけでもないし。

実は、誕生日、忘れてたんじゃあないの? 違う? 蟹はたまたま今日届いて、冷凍庫にぶっこんどいたんじゃないの? で、いま誕生日ってこと、思い出したんじゃないの? 違う? ほんとに違う? 忘れてたわけじゃない?

ほら、目を見て答えなさい。

んんん、信じるけどね。やっぱり、蟹は、ちょっと違和感。

まあ、いいか。

またひとつ年とったざんす。
[PR]
by tenki00 | 2006-06-22 20:02 | pastime

女性らしい句?

「女性らしい」という表現が、俳句の誉め言葉に使われることがある。

女性らしい感じ方? 女性らしい表現?

「男性らしい」という句評は、とんと聞かない。

男を感じさせる句はある。いわゆるマスキュリンな感じとは違う。「男らしい句」はある。でも、「男らしい」という褒め方はあまりしない。

「女性らしい」と誉められた句の作者が男だったりすると、どうなんだろう? というか、「女性らしい」と誉められた句は、嬉しいのかしら?(と、語尾変えてみる)

どうなんだろ? 句は、言葉は、そういう窮屈なところから逃げ出したいんじゃあなかろか?

ところで、俳句をやるのは女性が多い。歴史的な側面はさておき、いまは、俳句のマジョリティは女性である。以前、浮御堂くにたち句会にお越しになった大結社の若手女流俳人は、一同を見渡して、「女性が2人だけという句会は初めて!」とおっしゃった。ふうん、そんなもんか。男性女性の構成比率なんて考えたことがなかった。そこでお約束のように「狂流さんを入れて3人でしょ!」とチャチャが入る。

  たとうれば殿様蛙の雌なりし  雪我狂流

男性とか女性とか、そんなもの、どうでもいいことだわな。
[PR]
by tenki00 | 2006-06-22 12:45 | haiku