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好き句68 遠藤治

皇帝の最初の和音秋の恋   遠藤治

「皇帝」の最初の和音が大好きだ。グールド&ストコフスキー指揮アメリカ交響楽団の盤を何遍も聞き、一時期は、一日の労働を開始する朝の音楽にもしていたが、「同じ気分で労働をスタートさせることもないか」と、それはやめたが、ともかく、「皇帝」は最初の和音がバーンと鳴って、そこにピアノのパッセージがかぶさる、そこまでで、すでに絶頂感。

で、なんだ? ふむふむ、秋の恋?

いいじゃないですか。秋の恋。ああ、悦ばしい展開である。

で、皆さん、ご存じと思うが、遠藤さんは四童さんね。


恒信風13号・2005年10月所収。
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by tenki00 | 2005-10-31 21:26 | haiku-manyuuki

センチメント

補足しておかねばならない。2つ前の記事で、峠谷さんの御言葉を引いた。

要するに、俳句から見たら、人間の孤独、寂しさ、悲しさ、つらさ、悩み、、、なんて平凡である

平凡だから、いい。愛おしいし、かけがえがない。

でも、俳句においてはきっと、そうしたセンチメントを詠むのではなく、モノやコトを詠むことでセンチメントが備わる。俳句の入門書(買ったことも読んだこともないが)のようなことを、いつも確認しなければならないということだろう。
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by tenki00 | 2005-10-31 01:41 | haiku

火星

昨晩の曇り空に、火星が見えた。山本星人が言うとおり、でかい。厚い雲にすぐに見えなくなった。

雪ぐもり火星はもはや高からむ   山口誓子

火星なほ燃えて春天明けゐたり   山口誓子
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by tenki00 | 2005-10-30 11:38 | haiku

俳句>人間

おでん食べて、風呂入って、家に持って帰ったシノギの労働をやって、飽きたから本2冊(香山リカ『いまどきの「常識」』・と学会『トンデモ本の世界S』)を行ったり来たりして読んで、ネットをちょこっと覗いたら、豆の木の掲示板に、峠谷さんの言葉があった。

要するに、俳句から見たら、人間の孤独、寂しさ、悲しさ、つらさ、悩み、、、なんて平凡である

含蓄である。

そうなんだな。私が思っていたことは、一部、これと確実に重なる。

〈私〉の表出にとどまるかぎり、俳句は狭い。対象としての〈世界 cosmos〉は広いはず。詠む主体を超えたところに、俳句の悦楽があるはずなのだ。って、かなり生硬な書き方になったが、そういうことだ。

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(ここからは直接繋がるような繋がらないような話題)
モノやコト(詠む主体が、自己以外のものと相対するすべて)に、気分が備わる。微妙な気分が、豊かな意味やイメージをともなって備わる。これは、俳句のもつ不思議だと思う。

むかし雄鬼さんが掲示板で書いていたことを覚えている。気持ちの表明として伝わることなら、俳句で表現することはない。それでは伝わらないことだから、俳句にする。

これは基本中の基本でもあるだろうが、困難でもあり、大事なところ。

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峠谷さんの言葉の中に「俳句は乾いている」というのがあった。
なるほどな。でも乾いてない句も多いような気もする。
以前、句会のとき、祐天寺大将が
「ぐじゃぐじゃ、ねちねち、言いたいなら、短歌やりゃあいんだ!」と
歌人に聞かせられないような、聞かせたいようなことを叫んでおられた。
〈ぐじゃねち〉な句を読まされて、切れたわけ。あれが、そういうことでもあるわけね。

どっかで乾いた句を探してみたいとも思う秋の夜長。
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by tenki00 | 2005-10-30 00:34 | haiku

ひとに告ぐべきことならず

初心者の哀しみというか、どう読むべきかを決められないケースにしばしば出会う。いわゆる難解そうなアヴァンギャルドな句ではなくとも、そのケースは生じる。

例えば四童さんが10/25のエントリ「『私』という病」のコメント欄で挙げておられるこの句。

 鰯雲ひとに告ぐべきことならず 楸邨

最初、私は、

 鰯雲 / ひとに告ぐべきことならず

と読んだ。つまり、鰯雲とは、意味的には切り離して(切れで切って)、(ある想念が生じたが、これは)ひとに告ぐべきことならず。
 
 つまり鰯雲は、鰯雲とは独立した中下の言辞への取り合わせとして置かれる。ところが…

 鰯雲(が空にあるが、これは)ひとに告ぐべきことならず(ひとに話すようなこっちゃないよなあ)
 
 …という読み方も、私の中に出てきてしまい、こうなると、人間探求派とか季語の取り合わせではなく、ずいぶん力の抜けた句になり、私には、このほうがよほど好ましい。

一般に、切れを意味上の断絶とするか、文脈をつなげて読むかは、「どちらが句として味わい深いか」を基準にすることも多いように思う(一種の実用主義的選択)が、この句は、どうなんだろう? どう読むの?

誰か、教えて卓袱台。
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by tenki00 | 2005-10-29 10:50 | haiku

探求じゃなくて、再認に過ぎなかったりしてね

あめを:よお!
てんき:おっ、また来たな。
あめを:話の続きがあるような気がした。
てんき:うん。いくつか展開があった。「私」の露呈にはうんざり。そんな個人的な感想みたいなところから、ちょっと別の方向だが、きわめて興味深い展開だ。例によって、たらたらとしゃべるか。まず朝比古さんのコメント欄への書き込みで、技術面というか実作面で整理がついた。
あめを:枝葉だが面白かったのが心情/真情吐露パターン。
てんき:峠谷さんがさっそく豆の木掲示板で実践されている。
あめを:恐怖の「季語+真情吐露」俳句。「鳥渡る他の結社に好きな人」ね。
てんき:あはは。こんな句なら、別にうんざりもしない。おしゃべりみたいなもんだから。
あめを:うんざりするのは、胸張って、句会や句誌で出てくる句、ということだろう?
てんき:そう。それに、例によって、厳格主義じゃないから、すこしの工夫があれば、充分に愉しんで読める。
あめを:すこしの諧謔。あるいは自己戯画化。
てんき:そうそう。それと裏切り。アリモノのイディオムでも、オチがあれば愉しめる。ところが、オチなしで、季語で締めちゃう場合がある。「え? オチは?」。関西人でなくとも、面食らってしまうはずだ。
あめを:ただね、キミのように、俳句にサービス精神を求める態度はあまり一般的じゃないかもしれない。
てんき:うん。だから、一般的な話をするつもりはない。単なる感想、というと逃げているみたいだが、「俳句というものは…」なんて論じるつもりはないわけ。現状、俳句の最も退屈な部分。その一例についての雑談だ。
あめを:ふむ。そう言っておきながら、俳句を読むのは愉しいなんてことを書く。
てんき:前の記事「俳句の詰め合わせ」か? それはそうだろう。俳句には愉しい面はたしかにある。
あめを:まあ、それはいいや。次の話題に行こう。たじまさんの記事。これはラディカルだぞ。根本問題だ。
てんき:そう。生半可じゃ語れないが、あえて生半可にしゃべろう。
あめを:なんじゃそりゃ。
てんき:ちょっと整理ね。俳句には2つのフェーズ(局面)がある。①「見る」⇒ものを見る。②「つくる」⇒俳句を組み立てる。 季語は①では、ものを見るフレーム(枠組み)に、②では素材になる。これが前提。
あめを:「真情吐露+季語」俳句の背景として、たじまさんが挙げるのが2つ。人間探求派以降の「人生」への傾倒傾向、そして2つのフェーズへの意識が希薄になってしまった現況。
てんき:ひとつひとつ思ったことを言うけど、まず、2つのフェーズのうちの前者、特に季語が「ものを見る」ときのフレームになるという話が、なるほど含蓄。
あめを:ちょっとむずかしい話だな。
てんき:ここは、たじまさん自身のもすこし詳しい話がほしい。
あめを:「豆の木」次号にでも書いてもらえば?
てんき:うん。提案しよう。ま、それはそれで楽しみにすることにして、ここは最もラディカルな部分だから、また改めてにしたい。
あめを:なんだ。肩すかし。
てんき:今夜は、「真情吐露+季語」俳句の背景。季語が素材にだけ扱われるという傾向。それをまず。
あめを:これは比較的よくわかる話だな。
てんき:うん、それを話す前に、ひとつ前提としておきたいのは、季語を広義に捉えたい。歳時記に載っている語彙集というではなく、季節を指し示す、あるいは代替する事物。そうじゃないと、季語は、「誰かが恣意的に選んだもの」「京都の季節変転を基準にしたに過ぎない」とかいった些末な横やりが入る可能性もある。
あめを:なるほど。まあ、もっともだ。たじまさんの論は、そんな形式論とは無縁だからな。
てんき:そのうえで、素材としての季語という話は、自分の場合も考えても、「ううむ、そうだなあ」という感じ。
あめを:これは「真情吐露+季語」俳句に限らないな。
てんき:「季語の斡旋」という言い方がある。まず、季語以外の部分が出来上がって、最後に季語を斡旋してくる。実際、よくやる作り方だ。
あめを:そうなると、たじまさんの言う「ものを見る」枠組みとしての季語の働きは皆無に近い。
てんき:季語と季語以外の部分なんて分けるほうがおかしい。心の働きとして、季語とそれ以外が合わせて同時に出来上がるのが本来だが、実際には「最後に季語をぽんとくっつけて」という作句手順になることが多い。そこでだ、人間探求派。
あめを:うん。「人生」が俳人の関心事になっちゃった。
てんき:花鳥諷詠で、ほんとにいいのか?という疑問は、歴史上のある地点で出てきて当然だ。
あめを:そこで「人間探求」。しかし、なんでそこから「人生」に行く?
てんき:まあ、それはそれでいいんだと思う。ただ、現時点での真情吐露モチーフが人間探求の流れを汲むとしても、それが退屈なのは、それらが「探求」になってないからなんだと思う。「再認」なんだ、きっと。
あめを:なるほど。伝統的な人間観の再認。
てんき:人生だとしたら、集合的にパターン化された人生の再認。
あめを:なるほど。人生や暮らし向きは、本人がオリジナリティを感じているほどには、オリジナルじゃない。
てんき:ここで面白いことが起きる。何かを人に伝えるとき、オリジナルなものは伝わりやすい。簡単な例で言う。他人の話のなかに、自分が思ってもみないこと、理解不能に見えることが含まれていると、耳を傾ける。ところが、オリジナリティのないものに、人は耳を傾けない。「それはもうわかった。百年前からみんな知っている。だから、別の話をしてくれ」ということになる。
あめを:アリモノの人間観や人生観には、人は興味を持たないということだな。
てんき:俳句における「人間探求」がどのくらい真の意味で「探求」だったのか知らない。まあ、勉強不足。でも句が「探求」であることは難しい。人間や人生をモチーフにした句を、句会とかといった下世話なレベルで見ていると、どうもそうではない。「再認」が共感を呼んでいるように思える。
あめを:「わかる、わかる」というやつだな。テレビの公開録画で、おばさんたちが「ああ、ああ、うん、うん」と声を揃えて感心している景色だ。
てんき:そういった意味で「わかる」ということが、俳句の面白さに結びつくとは思えないんだな。これはまあ、単に好みとか趣味といってもいいんだが。
あめを:だが、待てよ。ふつうなら耳を傾けてもらえないオリジナリティのない話が、俳句では共感を呼んでウケるというのは、どういうわけだ?
てんき:ひとつには五七五という制約だろう。よくぞ定型にまとめた、という部分。
あめを:手習いだな。
てんき:うん。べつに俳句は手習いごとでいいと、個人的には思ったりもするんだが、ともかく、「ふだんから自分も思っていること、思い当たることが、五七五にまっとまっている」という感じかなあ。
あめを:人間探求派について、その検証なしにものを言うのは、ちょっと怖いが、「看板」という感じがしないでもない。
てんき:もちろん、人間を詠むな、人生を語るな、と言うのではないよ。面白くやってね、という、それだけの話。最初に戻るけどね。
あめを:言いたいことはわかるが、ひとつ指摘しておこうか。
てんき:何?
あめを:キミの話は、退屈な句、言い換えれば失敗した句を仮想して、それを前提に成立している。それはあまり幸せな話じゃない。
てんき:ううむ。それは言えるな。
あめを:成功例だけ取り上げる、言い換えれば愉しめる句だけを取り上げて愉しむ。つまり、前の記事のように、いかに俳句を美味しく愉しむかという部分が大事だね。
てんき:もちろんそう。使い古された把握や感興、それを追認するだけで終わってはならないというのは、自分自身の作句上の指針。
あめを:そう。その問題も突き詰めると、なかなか難しいけどね。
てんき:精進、精進。しかし今夜もとりとめないなあ。
あめを:ま、しかたないでしょ? よくわからんまましゃべってるわけだから、
てんき:でも、わかってたらしゃべる必要もないわけでね。
あめを:それも言える。じゃ、そろそろ。風呂も沸いたみたいだし。
てんき:風呂? 入っていくわけ?
あめを:うん。風呂が嬉しい季節になってきたなあ。明日あたりは夕飯は鍋がいいぞ。
てんき:泊まってくわけ?
あめを:たまにはいいだろう? お泊まり、フォ~!
てんき:わけわからん。
あめを:風呂の後、2人で句会やるか? 人生を探求しながら。
てんき:やらん、やらん。
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by tenki00 | 2005-10-28 23:54 | ameo & tenki

俳句の詰め合わせ assorted haiku

俳句を始めて2年くらい経ったときだったろうか、ふと思い立って、他人様の句をいくつか、自分の思いついた脈絡で並べてみた。なぜ、そんなことを言い出すかというと、そのときのテキストファイルが出てきたのだ。パソコンは何台か買い換えているが、新しいパソコンに、古いパソコンのデータをまるごと収納しているので、そんな何年も前の自分のメモも残っている。そこから、シノギの用件でハードディスクを検索していたら、ひょっこり出てきたのだ。ま、そんな事情はいい。つまり、こんな感じ。

 聖くゐる真夜のふたりやさくらんぼ    日野草城

 敵一人増えて真っ赤なさくらんぼ     長谷川裕

 じゃんけんできめりゃいいのよさくらんぼ 雪我狂流

 茎右往左往菓子器のさくらんぼ      高浜虚子

裕さんと狂流さんの句は、句会だか句集だかで知った。あとの2つはなにかの拍子に知った。ふと思いついて並べてみた。すると、面白い。連句というのではない。でも、4つの句を、こう並べて、流れを楽しむ。秀句集というのでもない。マイ・フェイバリットというのでもない。並べられた句の作者たちは迷惑だろうが、私には愉しい。当時、4つの句を眺めては、いつまでも愉しんでいたが、今、眺めても愉しい。

この4句の後に

 美しやさくらんばうも夜の雨も  波多野爽波

を加えて、asorted 2005 の新ヴァージョンにしてもいい。

ともかく、俳句というのはを読むのが愉しい。というか、愉しい俳句を読むことが、私にとっては、好きな音楽を聴くように愉しい。自分で組み合わせて愉しむ「俳句の詰め合わせ」は、若い頃、好きな曲を選んでカセットテープに録音した、あの行為に似ているかもしれない。何を選ぶかが大事、順序も大事。他人はどう聴く(読む)か知らないが、自分では、ひどく気持ちがよく、それぞれの句が1句としてもつ味わい以外の味わいが醸し出される。ふむふむ。にこにこ。

自分の句を加えてパッケージングするという発想もあるだろうが、それは野暮。せっかく読む喜びに浸っているのに、作る苦しみ、作る無様さを持ち込む必要はない。

有名俳人の句に限ることもない。俳句の1句としての出来にも拘らない。俳句は、愉しみ方によって、その価値が変わってくることもあると思う。なるべく面白く読む、愉しく読む。読む快楽の基本に立ち戻りたい気にもなってきた。
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by tenki00 | 2005-10-27 22:44 | haiku

しょうもない俳句漫才から有意義な展開続々!(惹句風)

真情(心情)吐露+季語うんぬんにまつわる朝比古さんと私のコメントに、たじまさんからTBをいただいた。含蓄である。

俳人必読。これを読まずして、明日から俳句は作れない、読めない。

読んだ? じゃ、私はさらに噛みしめてから、またなにか。
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by tenki00 | 2005-10-27 00:45 | haiku

心情・真情の吐露 …続・私という病

朝比古さんがコメント欄でとても有意義な展開をしてくださった。

俳人必読。

読んだ? じゃ、朝比古さんへの返信(Byてんき)

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朝比古さん、どうもです。明晰に展開していただきました。
特にパターン・フレーズ集は、この手の俳句を良しとする人には、泣くほど嬉しい虎の巻です。その手の俳人、はい、メモ、メモ。

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真情と心情のこと、私はいっしょくたで論じましたが、理解しました。
あえて、私の把握と並置すると…

ほんたうは戦争が好き葱坊主  矢島渚男
→(例)戦争は悪しきものなり葱坊主   (朝比古さん)真情/(天気)標語・意見・概念的総括
→(例)戦争に負けて悔しや葱坊主    (朝比古さん)心情/(天気)心情

忘れちゃえ赤紙神風草むす屍  池田澄子
→(例)忘れるな赤紙神風草むす屍    …標語・意見・概念的総括
→(例)忘られぬ赤紙神風草むす屍    …心情

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こうこうこう思う/感じる/した+季語、○○はかくかくしかじか+季語。
このパターンがすべて退屈なわけではもちろんありません。

ほんたうは戦争が好き葱坊主  矢島渚男
忘れちゃえ赤紙神風草むす屍  池田澄子

この2句は、私にはおもしろい。退屈なものとそうでないものの違いは何か。
退屈ではないものには、何があるのかといえば…
■ある種の裏切り
■機知 …あるいは俳句的機知
■自己戯画化 etc
    →知的操作(主知的な側面) …俳句的操作

主知的な俳句は、裏目に出れば、理屈でしか過ぎず、やはり退屈。しかし心情吐露や標語・概念的総括に陥りそうなモチーフを裏切っていくとき、そこに必要なものは「機知」あるいは「俳句的機知」といえます。

すこし事を簡単にしましょう。

心情や意見をそのまんま12字かそこらにして季語くっつけて読まされてもなあ。っつう気持ちになってしまう。
(この手の句が、気の利いた季語の斡旋で高評価を得るケースがある、そのへんの事情は朝比古さんがおっしゃるとおり)。
ところがね、ちょいとひねってくれるとおもしろくもなる。

最後に、誤解を招かないために、ひとつ。俳句は、「知」よりも「情」が載りやすい乗物だと思う。主知的に処理するべきと言っているのではない。「情」を載せて、それを他人に伝えるときに、そこにはなにかしら必要なものがあるはずだということ。簡単にいえば「工夫」かもしれないし、茫洋といえば「俳」なのかもしれない。

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てんき:まあ、今回は、そんなところで。続きはまた。
あめを:そうね。また違う方向でも、たらたらやろう。この話題は、そのまま少し寝かせるのもいいかも。
てんき:四童さんのコメントからの展開もあるかもしれないし。
あめを:そだな。
てんき:展開、フォ~!
あめを:わかった、わかった。

訂正
朝比古さんから訂正がありました。
(誤)ほんたうは戦争が好き葱坊主  矢島渚男
(正)ほんたうは戦争が好き芥子坊主  矢島渚男

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by tenki00 | 2005-10-26 23:07 | ameo & tenki

日本シリーズ第4戦

マリーンズ勝利。おめでとうございます。

いろいろな条件の違いを差し引いても、マリーンズ>タイガース。素直にそう思う。

私にとってどちらを愛するのが、悦楽に近いか? その答えも現状ではマリーンズ、かもしれない。でも、まだ、タイガースファンをやめるわけにはいかない。つらいけど。
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by tenki00 | 2005-10-26 22:19 | pastime