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タイガース優勝

ううん、優勝が決まりましたね。

選手交替は顔見世として、ほぼ完璧。最後、中村がライトに入れば、ほぼがとれて完璧だった。

下柳が抑えたのは「らしく」、久保田が打たれたのもワイルドピッチも「らしい」。95点の試合といっていいでしょう。

ところで、関西では、今晩から朝まで「特番」が組まれるらしい。すごいとこです、関西地方。
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by tenki00 | 2005-09-29 21:14 | pastime

マジック1

阪神ファンおやじがいる家庭は昨日今日あたり、どこも大変らしい。

お向かいのスズキさん家の息子の恋人(説明がややこしい)のヨーコ氏が到来。こっちは晩御飯を食べながら、井川君先発の阪神・巨人戦を観ていたが、ヨーコ氏も阪神ファンとあって、「下柳、めっちゃええわあ」(ヨーコ氏は京都・田辺出身)とか「マジック1かあ」という話になる。

yuki氏「ふうん、阪神優勝? いま、何ゲーム差なの?」
いや、もうゲーム差とかいう段階ではなくてね。

マジック1の説明をめんどうがっていると、ヨーコ氏がていねいに説明。

木曜日は、下柳(37歳)対工藤(42歳)という渋い一戦となる。5時45分に労働を切り上げる予定。
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by tenki00 | 2005-09-29 09:20 | pastime

好き句66 吾郎回文

キスする感じかな家人刈る芒   井口吾郎

ブログ「死んだら談志」開設記念というわけでもないのだが、ともかく、キスと芒。取り合わせの妙とだけ言って、感想などは回避。まあ、芒を刈るその景の距離感とキスの距離感(のなさ)の対照やら、キスと芒のブツとしてのテクスチャの対照やら、いろんなめくるめく衝撃があるわけだけど、それにしてもねえ。

発表はかなり古く、99年10月9日。ファクス時代のオクンチ句会第38回に登場。吾郎回文の中では初期に属する。

んんん、なんでこんなにおもしろいのかね、この句。それがわからないから、何年たって読んでもおもしろいのだろう。

井口吾郎回文句集『死んだら談志』にも所収。

余談:吾郎さんのブログ、写真がえれえ良いんだけど?
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by tenki00 | 2005-09-28 23:19 | haiku-manyuuki

自分には作れない句? 自分にも作れる句? 

あめを:よお!
てんき:おっ、来たな。
あめを:ぎっくり腰、どお? その後。
てんき:ああ、だいぶ良くなった。美代子さんという親切な方、浮御堂の客人の御一人なんだが、その方の知り合いが遠隔で「気」を送ってくださったらしい。それが効いたのか、今朝は、ちょっと痛むくらいでベッドから起き上がれた。
あめを:ふうん。それは良かった。養生するんだな。
てんき:ありがと。
あめを:ところで、昨日の続きなんだが、話題は「選句」ということだった。何か言いかけてただろ?
てんき:んんと、なんだっけ? あ、そうそう。テーマというより、ふだん奇妙に思っている句評があるという話だったんだ。
あめを:ふむふむ。何?
てんき:「自分には作れない句」という句評、というかコメント。
あめを:ふうむ。それ、四童さんのブログにもあった
てんき:うん、ボクも読んだ。池田澄子の句を紹介したエントリー。おもしろい句がたくさんあるな。
あめを:「自分にはこんな句は作れない」というのは、讃辞の一種だろう。
てんき:うん。そうだな。これは句会でもよく耳にする。
あめを:これが奇妙?
てんき:いや、奇妙というと非難しているように聞こえるかもしれないから、まずい。そういうことじゃなくて、ボクにはピンと来ない、よくわからないという話ね。
あめを:ふううん、どういうこと?
てんき:このセリフを聞くと、「じゃあ、他の句は、自分にも作れるということか」と思ってしまう。
あめを:ひねくれ者だな。
てんき:いや、そうじゃない。「自分には作れない句」と口にしたとき、「自分にも作れる句」はセットになってついてくる。純粋に論理的な話。
あめを:まあ、それはそうだろう。
てんき:ただし、そこには、いろんな含意がある。含意は人によって異なる。
あめを:そうだろうな。例えば「言葉のセンスが卓越している」と思う場合。これは純粋な賞揚に近い。
てんき:あるいは、個性や作句のスタイルに着目して言う場合もある。文語でばかり作っている人は、口語のおもしろい句を見たとき、「自分にはこんな句は作れない」と言うかもしれない。
あめを:だとしたら、奇妙でも何でもないだろう?
てんき:ううん。そうだなあ。なぜ違和感が生じるのかというとね、それって「読者」なのかな?ということ。純粋に「作者」として読んでいる。そこに違和感がある。
あめを:それはそうだな。でも、それが俳句の現状だろう?
てんき:ああ、半年ばかり前か、雄鬼さんのブログなどとも一緒になって話題になったテーマだな。俳句の場合、読者のほとんどが作者だ。作者の数と読者の数がほぼ同数。農村内部の自給自足のごとく、句が作られ読まれるという流れが、外部に広がることなく、閉じた系の中で循環している。
あめを:だから、句を読むとき、「自分なら」という視点がどうしても出てくる。
てんき:でもね、ボク自身は、そこは排除したい。純粋な読者をめざしたい。
あめを:なるほど。でも、なんでまた?
てんき:ううん。説明は難しいけれど、俳句を作る人間として、別の人が作った句を読むことに魅力を感じないということかな。
あめを:回りくどい言い方だな。つまり、読むことの快楽を味わうのは、本来的に「読者」であるということなんじゃないの? 読むときは読者に、作るときは作者に。複数の「個」をもつほうが面白い。
てんき:そうそう。そういうこと。実際には難しい行為なんだが、他人様の俳句を読むときは、自分が俳句を作っていることを忘れたい。
あめを:まあ、その気持ちはわかる。俳句の可能性のようなものがあるとして、「作者として俳句を読む」ということは、可能性のシェア、もっと言えば、その俳句の作者と自分の立ち位置を確かめながら読むなんてことにもなる。
てんき:それともうひとつ。「自分にも作れる句」という範疇が、ボクの中に存在しない。その意味でも「自分には作れない句」という言い方に違和感が生じる。
あめを:それは少しまた別の話だな。
てんき:うん。「ある人がつくった句は、その人しか作れない」というのが、今のところのボクの把握。その句が稚拙だろうが巧妙だろうが、ありふれていようが個性的であろうが、作った人しか作れない。
あめを:屁理屈のようでもある。思念的でもある。また、聞きようによっては、甘っちょろい把握でもある。
てんき:きっと全部あたってるな。でもね、甘っちょろいというのが、「句にはそれぞれの良さや個性がある」ということだとしたら、そこは違う。どうしようもない句もあるし、眩暈がするほど退屈な句もある。でもね、それも、作ったその人からしか出てこない凡庸さだと思うわけ。逆に、面白い句があったら、その人がもっている面白さの源泉みたいなところから、ぽっと出てきた。そんなふうに思う。もちろん、同じ一人の人間から凡庸な句も出てくれば、面白い句も出てくるわけだけど。
あめを:ううん、そこは微妙な話だな。似たような句がたくさん存在する。それも俳句の宿命だからね。
てんき:類想句ね。類想としてひとからげにできる句もそれぞれ「その作者しか作れない」と見るのかという問題だね?
あめを:そう。
てんき:それもやはり、その人の句だと思う。類想に絡め取られたという事実は、その人個人に属する、と言うと、えらくわかりにくい言い方だが、例えば「もうええわ」という漫才のシメは、類型化されてはいるが、漫才師によってニュアンスや、そこに醸し出される空気はそれぞれ違う。
あめを:もっとわかりにくくなった。まあ、いいや。まだキミにはうまく説明できないということだ。でもね、「あるひとつの句は、どんな句でも、その人にしか詠めない」と信じることは、これからキミが俳句を続ける上で必要な信仰かもしれない。それについては、また考えてみることにしよう。
てんき:おっと思い出した。話は変わるが、最近、ネットで俳句を作ってるな。
あめを:ああ。ほんのときどきだけどね。3日に1句くらいの頻度かな。
てんき:それくらいの量がいいのかも。
あめを:キミはもっと作っている?
てんき:いや。このところ、あんまり作らないなあ。オクンチの〆切がもうすぐだから作らなければ。
あめを:おきばりやす。
てんき:じゃ、そろそろ、例のアレ。クリッククリックゥ~
あめを:飽きない奴っちゃなあ。
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by tenki00 | 2005-09-28 00:40 | ameo & tenki

田尾監督

田尾監督が解任。例によってやや旧聞に属す。

東北イーグルスは100敗すると、私はシーズン前から思っていた。でも、100敗しなかったらしい。

解任の理由は成績不振だという。これには日本全国、首を傾げるか、大笑いするはずだ。何を考えている? フロントは。親会社は。

一時期、私がプロ野球選手のイメージの好悪(社会的にどう捉えられているかという問題だ)を知るのに(広告代理店でもないので、そんなこと知ってどうするわけでもないが)、現役引退後、モルツ球団に入って違和感がないかどうかという尺度があった(もろ広告代理店じゃねえか)。田尾はモルツ球団発足時のメンバーである。ということは、田尾というのは、好感度のきわめて高いプレーヤーである。

「監督? だいじょぶ?」というのは当初からの印象だったが、伝わるところからすると、仙台のファンの支持は厚かったらしい。これを解任するとは、いかにも愚かである。90敗以上という負け数が解任の根拠だとしたら、事業評価の仕方が幼稚すぎる。採算がどうだったかなど知らないし、知る気もないが。

勝ち数と負け数は同じなのだ(プロ野球内部において)。これはごくシンプルなことなのだが、リーグ戦という興行を続けるプロ野球は、勝ち数(+)=負け数(-)というゼロサムゲーム(総和がゼロ)である。再三述べているように、勝ち数(あるいは優勝)にのみ価値を置くとしたら、産み出される価値は、百年やっててもゼロ、永遠にゼロである。こんな子どもにでもわかる理屈がわからずに、日本プロ野球は「隆盛」や「衰退」を語ってきた。「ジャイアンツが勝てば」「ジャイアンツが強くなければ」式の話は、8時50分には力道山が勝利を収める式の、戦後貧しい時代に特有の儀礼を続けていたに過ぎない。2005年秋になっても、この手の話をしている人が少なくないことは驚きである。

問題は、勝敗以外のところで産出される価値である。その価値産出のダイナミクスに「勝敗」ももちろん関与する。だが、勝利が価値を生み出すわけではない。「勝敗」は仕掛けのひとつに過ぎない。

来季、負けることの洗練を身につけた田尾監督が、さわやかに80敗するところが観たかった。親会社は、田尾監督以上の監督をリクルートすることができるのだろうか? 私にはちょっと見当たらない。
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by tenki00 | 2005-09-27 00:15 | pastime

選句? ううん、なかなか難しいんだわ、これがまた

あめを:よお!
てんき:おっ、来たな。
あめを:ぎっくり腰だって?
てんき:ああ。あ、あ、あいたたたた。
あめを:ぎゃはははは。痛そー。
てんき:いたたたたた。
あめを:ぎゃはははは。
てんき:笑いすぎ。何しに来た?
あめを:今日のテーマは「選句」だ。
てんき:いきなりだなあ。
あめを:「選句」にもいろいろと考えるところがあるはずだ。それを話せ。
てんき:テーマだけ決めて、あとは他人頼みか。
あめを:そう。何か話題があるだろう?
てんき:選句といえば、最近、興味深い話を聞いた。ある人、まあ、ボクより年若くて、俳句を始めて三、四年という人なんだが、その人が訊くわけ。「句会で『おもしろい』と思う句がある。ところが、どうおもしろいのか説明ができない。そんなとき、どうすればいいのか?」っつう質問だった。
あめを:ふむふむ。採ればいいんじゃないの?
てんき:そう。そんなことを悩むこと自体、ばかげている。ボクはびっくりして、「採るに決まっている」と答えた。でもね、その手の質問は初めてじゃないような気がした。なぜ選んだのか説明できる句を選ぶという人は、それほどめずらしくないような気もする。
あめを:本末転倒。選句とは句を選ぶということだろ? 選んだ理由を話すことじゃない。
てんき:そう。
あめを:しかし、そういえば、句会では選んだ理由を訊かれることが多い。だから、句評を求められたときに困らないような句を選んでおくというわけか。
てんき:まあ、句会にもよるが。
あめを:説明できない句を選んで、句評を求められたら、キミは何と答える?
てんき:「なんともいえず、いい」と答える。
あめを:なるほど。しかし、それでは許してもらえない句会というのがあるのかもしれない。
てんき:そんな句会は不幸だろう。解釈に収まる句しか出てこないということだからね。だいたいが、どう良いのか説明できる句なんて、大した句じゃないでしょ?
あめを:まあ、そういう言い方もできるかもしれない。かといって、「なんともいえず」以外のアプローチ、褒め方というのかな、それが「ない」とも言い切れない。なんか、あるんじゃないの?
てんき:うん。そこは、私が個人として突破していかねばならない部分かも。
あめを:そう。「好き句」と言ってるだけじゃなくてね。
てんき:ううむ。痛いところをつく。
あめを:まあ、それはそれとして、選句ということの基本的な意味を押さえておきたい。さっきも言ったけど、選句とは「句を選ぶ」ということだ。
てんき:そう。当然ながら。
あめを:例えば、五句を選べと言われて、五句を選ぶ。それでおしまい。それがすべて。本来はそうあるべきだな。
てんき:言い訳は不要ということか。
あめを:そうとも言える。その場にある句の中からどんな五句を選んだかが、すべてだ。一般化すると、ABCと3つがある。ある人はAを選ぶ。別の人はBを選ぶ。もうひとりはやはりBを選ぶ。そこでAを選んだひとりと、Bを選んだふたりは、ある意味で峻別される。違う観点や違う判断をもったということだ。これは、俳句なら「好み」の部分が大きいかもしれない。だが、別の分野では好みでは済まされない。例えば、音楽のコンペティションを想像してみるといい。
てんき:聞く耳をもっているかどうかということか。
あめを:鑑識眼、目利きかどうか。そういう比喩でもいい。ともかく、選ぶ眼、選ぶ力が試されるという部分がある。
てんき:もちろん、そういう部分は俳句にもあるな。しかし例としてキミが挙げた「音楽」とはだいぶ趣が違う。
あめを:度合いも違うな。でもね、「好きな句を選べばいい」というスタンスは、ある種の不毛も生む。俳句をつくることに、ある意味の成熟が必要だとしたら、選句も同様だ。好きな句で済ましているうちは、成熟を遠ざけるという不毛を生む。
てんき:作句よりも選句のほうが腕がいるということはよく言われる。
あめを:そのようだな。でも、そういう擦り切れた言い方はあえて避けよう。ついでに「選句は創作である」っつうようなどっかの俳人が宣ったことにもあえて取り合わないでおこう。
てんき:もうひとつ言えば、それは句評ができるということじゃない。
あめを:そう。どんな句を選べるか。そこにつきるということだ。
てんき:だからね、ボクが「好き句」という場合、ある程度、その意味も含んでいるわけ。いわゆる句会でよく耳にする句評によって賞揚しようというわけじゃない、という意味ね。
あめを:ああ、それはわかっている。
てんき:ボクが考えるのはね、選句というのは、野球で言えば守備、作句はバッティング。どちらもなんらかの修練は必要だが、バッティングのほうはまぐれ当たりがある。十四郎さんが言っていたが、小学生にもホームランが打てたりする。でも、守備に、そうそう、まぐれはない。
あめを:なるほど。その段でいけば、守備の悪い試合は締まらない。
てんき:打撃が貧相な試合は、観ていて、つまらない。
あめを:守備が締まって、打撃力のある選手が集まった句会は、おもしろいということか。
てんき:まあ、ちょっと思念的ではあるが、作句と選句はそんな感じ。
あめを:まあ、譬えとしてはわかる。
てんき:ついでに言えば、バットが振れなければ、球は飛ばない。スウィングスピードやフォームはやはり必要と思う。だから、ボクは、バットが少しでもマシなかたちで力強く振れるようになりたい。今のところは、それだけ。どんな打球を飛ばすかは、その次の問題。
あめを:それも譬えとしてはわかる。しかし、えらく求道的だな。
てんき:そうでもない。ちゃらんぽらんな句をつくるにも、バットコントロールやスウィングスピードが問題となる。そういう基本的なところは重視したい。そこを考えないと、球は遠くに飛ばない。
あめを:ふうん。では、守備力はどう鍛える?
てんき:これには句座の問題がある。個人の問題ももちろんある。いい打球を数多く受けるということかな。ヘナチョコな打球を受け止めて喜んでいるうちは……。
あめを:ダメということか。どっちも難しいな。作句も選句も。
てんき:ああ、難しいなあ。おもしろく遊ぶのは、何だって難しい。つまらなく遊ぶのは簡単だけどね。
あめを:ところで、喉が渇いた。
てんき:自分で適当にやってくれ。ボクが動けないの、知ってるだろ?
あめを:yuki氏は?
てんき:お向かいに酒を飲みに出かけた。
あめを:ぎっくり腰と酒飲みか。使えない夫婦だなあ。
てんき:ほっとけ。
あめを:いや、しかし選句ひとつとっても、いろいろ馬鹿なことがしゃべれるもんだ。
てんき:でね、選句ということで、もうひとつ……
あめを:待った! それはまた次回。小出しにしないと、俳句漫才はすぐにネタ切れだ。
てんき:それはそうだ。それじゃ、いつものアレ。
あめを:クリッククリックゥ~、ね。
てんき:おっ、いやに素直。
あめを:また、来るわ。
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by tenki00 | 2005-09-26 23:02 | ameo & tenki

回文ブログ

わっ! 

http://blog.goo.ne.jp/gororin_1956

っつうことですわ、これがまた。
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by tenki00 | 2005-09-26 22:16 | haiku

ふうん、NHK?

旧聞に属するが支払督促。まあ逆ギレと呼ばれてもしかたがないわな。

そこで思い出したように宣伝。『視聴者が動いた 巨大NHKがなくなる

受信料を払おうが支払いを拒否しようが、個人の勝手だと思っているが、支払うかどうか、これを読んでから決めてもよいかなと思う(宣伝。本が売れても売れなくても私には無関係だが、ともかく宣伝)。
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by tenki00 | 2005-09-26 18:04 | pastime

なんで「螢の光」なのだろう?

土曜日は、シノギの予定だったが、自宅でのんびり療養。午後は、広島vs阪神戦を観る。前から気になっていたが、応援団の「螢の光」。相手投手が交代でベンチに下がるときにやるようだが(タイガースの応援団だけかなあ)、どういう意味なんだろう?

よくわからんが、感じが悪くて、凄く嫌な気分になる。土曜日は大竹という広島の若いピッチャーのときに、これをやっていた。「次、がんばれよ」という意味ならいいのだが、どうもそういう意味ではなさそうだ。

応援しているチームの対戦相手に対する礼儀が大事だと思う。おまけにこの試合は広島市民球場である。否、ホーム・アウェイにかかわらず、重要なのは礼節である。勝敗を決するゲームに(観客として)参加するときにも、相手方への礼節こそが肝要だと思う。

ところで話は変わるが、広島市民球場は、やはり改造が必要。外野フライ(あるいは二塁打)が3本、ホームランになっちゃった。新井君も、この球場でなくホームラン王を獲りたいと思うに違いないから。
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by tenki00 | 2005-09-25 10:16 | pastime

のだめカンタ-ビレ

朝、起きると、痛みが移動している。昨晩より激しくて、ベッドから起き上がれない。このまま一生、そこで過ごすことにも、ちょっと魅力を感じたりもするが、そうなると、yuki氏は、やってらんなくて、隣の畑に捨てるだろう。芋の葉の下で寝起きするのも悪くはないが、とにかく、痛い。でも、スローモーションのように、やっとこさ起き上がる。

床で、そしてソファーで眠っていただいた祐天寺大将が、朝食のあと、按摩してやろうとおっしゃる。「もったいなくて目が潰れます」という気持ちだったが、それは口には出さず、御言葉に甘え、床に横になる。

なんと、効き目がある。だいぶ楽になる。

yuki氏はガッコに出かけ、私は、安静にして、篠っち@月島からいただいた『のだめカンタ-ビレ』を読む。

おもしろい!

マンガ5巻も読んだの、久しぶりだ。

いや、しかし、おもしろい。篠さん、多謝!

そう言えば、ヤスダ君が全巻もっているということだから、借りよう。

ヤスダ君ったって、誰もご存じないだろう。実は数日前、とても不思議なことがあった。yuki氏が11月にやるコンサート。プログラムの原稿をヤスダ君にお願いしようという話になっていたいた。楽理かなんかの専門家で、ガッコで教えたり、クラシック音楽雑誌に書いたりが、ヤスダ君のシノギなのネ。彼とはコーヒー屋さんで昔知り合ったんだけど、原稿を頼もうと。

ところが、メールが届かないなあ、なんて言っていた。でも、早く頼まなきゃなんて話していた。で、数日前。yuki氏と私は、昼ご飯にラーメン屋さんに入ったわけ。注文して少しした頃、隣りに客がひとり座った。「おお! ヤスダ君!」

タイミングのいい人っているよねえ。逆もいるんだけど。

で、ヤスダ君から『のだめカンタ-ビレ』の第6巻以降を借りて読むのが、当面の楽しみ。

ところで、腰はどうなるんだろうなあ。あすは万難を排して豆の木さんの句会にお邪魔する気でいたが、どうなるんだろう?


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by tenki00 | 2005-09-24 21:08 | pastime