カテゴリ:haiku-manyuuki( 180 )

小学校

『豆の木』第16号(2012年4月21日)より。

  蟻穴の深きところに小学校  こしのゆみこ

小学校のロケーション・在処として、蟻の穴は、充分に不思議なのですが、どこか実感というか現実味も残る。そのへんのあんばいが良くて、滋味豊かな句。

現実から遊離しっぱなしではなく、一本、糸がつながっている感じは、どこから来るのだろうなあ、と。

小学校というものの温度なのか質感なのか。ともかく、小学校にブツ感が備わるのですね。蟻穴に置くことによって。


ところで、「深き」はどうなのだろう? ということも思いましたよ。こしのゆみこさんといえば口語体というアタマがあるものですから。「深いところ」でいいんじゃないの、と。

『豆の木』第16号掲載の「半袖」10句には、文語体処理が、ほかにもいくつかある。《時の日のトイレにありし青い空》の「ありし」、《つもりながらわすれてゆきしぼたん雪》の「ゆきし」。もちろん、何かを考えてのことでしょうが、読者としては引っ掛かる。

なんで文語体? こしのさん、どこに行くの? という感じなのです。


[PR]
by tenki00 | 2012-05-28 20:00 | haiku-manyuuki

姿焼き

中華料理店のメニューに「田鶏」と書くくらいだから、蛙は食べると鶏肉に似ているらしい。食べる気はしないけれど。

  串刺しに蛙開きて焼いて春  菊田一平

一匹まるごと開いて、姿焼きですね。それで春が来るという、これはきわめて俳句的に捉えた季節感といえるでしょう。

『豆の木』第16号(2012年4月21日)掲載の「しんがりに」10句は、朝市の風物を詠んだもの。食べ物が並ぶなか、一句、《矯正下着付け春節の下着売》があって、味を出しています。


[PR]
by tenki00 | 2012-05-27 20:00 | haiku-manyuuki

合鍵

『豆の木』第16号(2012年4月21日)より。

  合鍵を秋の滝へと運びけり  小野裕三

滝が鍵でひらくかのような。

いや、運ぶのだから、自身であけるのではないのか。

一方、合鍵だから、鍵は自宅ではなく、例えば妾宅っぽくもある。


[PR]
by tenki00 | 2012-05-22 20:00 | haiku-manyuuki

あくび

『豆の木』第16号(2012年4月21日)より。

  ネコ科みな同じ欠伸をして薄暑  岡田由季

そういえば、ライオンもトラもネコも、同じようにあくびをするみたいな気がする。

動物園と薄暑はよく似合います。


[PR]
by tenki00 | 2012-05-21 20:00 | haiku-manyuuki

とてもモンドな

とれもんどサモさらうんど木は曇る  T & lamp

『彼方からの手紙』第4号より。「T & lamp」は鴇田智哉と乱父のユニット(デュオ)。乱父については、以下の記事を参照。

鴇田智哉・俳句とは何だろう
拙記事・乱父とユビュ親爺

とれもんど~の句は、ここまで来ると、もう「音」というか「音楽」というか。

ただし、それにしても表記(ひらがな・カタカナ・漢字)が、この句の「音」の組成に(楽譜の指示記号のように)大きく寄与していることは興味深い。

この句、全8句から成る連作の一句なのですが、例えば、《しらぎれる吹いきゃらもんを飛ばらもん》などは、方言ぽくもあり、したがって土俗的なメロディに聞こえる。《たらも屋の奥の方から和金が出るわ》などは、意味がまだわずかに残り、ちょっと毛呂篤っぽくもある。

掲句のとれもんど~は、比較的バタ臭く、80年代ヨーロッパのオルタナティヴ・ロックのようなのですね。

もんど~、もんど~。

非常に、もんど。とても、もんど。

てなわけで、モンドな一句ともいえます(モンドという概念は、こちらを参照)。

と同時に、「木は曇る」に、「こゑふたつ」の頃の鴇田智哉の香りが漂い、オールドファン(例えば私)にも受容しやすい一句ではないでしょうか。


[PR]
by tenki00 | 2012-05-19 20:00 | haiku-manyuuki

ねむい

『豆の木』第16号(2012年4月21日)より。

  大いなる甕に手を掛け春眠し  太田うさぎ

甕に手を掛けたまま眠ってしまいそうで、「ちょっと、だいじょうぶですか」と起こしてあげたくなります。

甕には水が張ってあって(いや、酒かw)、水=液体はすなわち催眠的なわけで、眠りとともに身体=精神は甕の水の中へと。まあ、このあたりは、読者が味わう幻想の領分。句でそこまで明示しないのがオツというもの。

しかし考えてみるに、上記のトリップ(読者的幻想)にまで句が踏み込むか、そこ手前で踏みとどまるかで、作家の色合い、作風が大きく分かれます。

太田さん(この言い方、新鮮だなあ)は、はっきりと後者の作家。

  雛菊に添ふる乗船券二枚  同

トリップの前奏(準備)として、さりげなく句が置かれる。。一歩手前がちょうどいいあんばいなのですね。


[PR]
by tenki00 | 2012-05-17 20:00 | haiku-manyuuki

長男

ご承知のとおり、世の中には、〔わからない+おもしろい〕俳句がたくさんあるのですが〔*〕、大石雄鬼さんは、その手の良質な句を量産できる数少ない俳人のひとり。

  水澄んで段差になつてをりし父  大石雄鬼

  長男の割箸めいてゐる湯ざめ  同

『豆の木』第16号(2012年4月21日)所収の「長男」10句の家族句より2句。

人というのは、よく見てみると、またじっと考えてみると、このように不思議な肌理をもった存在なのかもしれません。これと言葉ではっきり言えないような。

これと言葉ではっきり伝えられるようなことは、俳句の領分ではない、という明確なスタンスというか立場が、大石さんにはあるようです。

  空気清浄機の岩めいて鶴来たり  同

  するめいかの奥の明るし原爆忌  同

かと思うと、次のような、ちょっと毛色の違う不思議さも、私には魅力です。

  バックルの大きな男海胆を食ふ  同


ところで、大石さんは1958年生まれ。50歳代は若手とも言えず、そのせいもあって、このところ流行りのアンソロジーに入ることもない。句集もまだ出ていないので、『俳コレ』(2011年・週刊俳句編・邑書林)に入集されてよかったんじゃないかと、今になって思っていますが、洩らしたのは私の責任も少しあるかな、と。


〔*〕 言うまでもありませんが、この世の中、〔(意味の)わかる・つまらない(退屈な)〕句が、圧倒的多数を占めるわけです。下図で言うと、D、ね。

d0022722_165415.jpg
[PR]
by tenki00 | 2012-05-15 20:00 | haiku-manyuuki

キサラギ効果

『豆の木』第16号(2012年4月21日)より。

  雑巾で行こう隅々まで如月  遠藤 治

「如月」は俳句において最も好んで使われる(旧暦)月名の一つだろう。「師走」がその意味、「神無月」がその「ムード」で多用されるのに対し、如月は、その音が愛されているのだと思う。

とりわけ前半の「キ」「サ」の摩擦系の硬い音色(qui ça みたいな)。

乾いた、あるいはあっさりと美しい描写と「きさらぎ」の取り合わせについては、「如月」の音や質感に触れた句評をよく目にする(お約束っぽく)。

この句、雑巾で隅々までキレイになった感が「きさらぎ」とよく照応、さらには「行こう」のユニークな口調を「如月」がきちんと引き締めて、キサラギ効果、大。


[PR]
by tenki00 | 2012-05-11 20:00 | haiku-manyuuki

おっかさん

『豆の木』第16号(2012年4月21日)より。

  韃靼海峡進出おつかさん部隊  上野葉月

落下傘部隊ならわかりますが、おっかさん部隊? どこかにこういうものがあるのでしょうか。知りませんが、イメージは湧きます。強烈な部隊。

俳句で韃靼といえば、《一満月一韃靼の一楕円》(加藤郁乎)を思わざるをえず、さらには、安西冬衛の詩《てふてふが一匹韃靼海峡を渡つて行つた。》なわけですが(これって俳句みたいですよね)、この句の「おつかさん部隊」は、やはりちょっと懐かしい感じで、全員、割烹着とか着ていそうです。

この作者の句(同じページ)には、《豆の木は季語ならざるやゆみこ立つ》《神無月あたると痛い火山灰》などがあり、なかなかふざけています。


[PR]
by tenki00 | 2012-05-10 20:00 | haiku-manyuuki

東京

『豆の木』第16号(2012年4月21日)より。

  譬えれば海豚の涙東京雪解  吉野秀彦

こう譬えられると、東京が巨大な海豚に思えてきます。


[PR]
by tenki00 | 2012-05-09 10:52 | haiku-manyuuki