カテゴリ:haiku-manyuuki( 180 )

好き句58 村田篠

六月の風ごとたたむ段ボール  村田 篠

段ボールだから、あまり乾いた風でないほうが合う。6月は、いい案配だ。

ところで「紫野」さんの表記で親しんできたshinoさんが「篠」さんで行くらしい。ただいま、あちこちを襲名披露で廻っておられるようだ。

俳号は、皆いろいろ考える。ざんくろーさんは、どこかから「苗字がないのは、どうなのよ?」というプレシャーがあったりして、悩んでおられるようだ。その声は、私も小耳にはさんだ。麦のえらい人の声だった(強制っぽくはなかったけど、若いもんにしてみれば、倍以上の年かさの人から言われたら、悩むわなあ)。

そんな声には耳を貸さずに、好きなようにやれば? とも言えるが、私個人の感想としては、「本名でいけば?」である。ざんくろーさんの本名を存じ上げているが、俳号としてなかなかびしっと決まると思う。とりあえず本名という手はあるな。

篠さんの話に戻ろう。『月天・八號』から、いろいろと好き句を取り上げる、その第2弾。巻頭から、ぼちぼち行くつもり。ということは、篠さんの「月の部屋」20句が巻頭ということで、おめでとう!

まあ、結社誌のように「巻頭」に血眼になるとゆうことはないんだけど、月天で今年、篠さんが巻頭というのは、篠さんにとっても、月天にとっても、ベストなタイミングだと思う。っつうような言い方はほんと生意気で恐縮だけど。

ほかには、これ、いいですねえ。

ふくろふの鳴いて扉の軽さかな  村田篠

これからも御健吟あそばせ。


掲句はいずれも『月天・八號』所収。
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by tenki00 | 2005-06-05 23:06 | haiku-manyuuki

好き句57 近藤十四郎

夕立や腹筋いちにいさんしいご   近藤十四郎

「月天」八號2004-2005 でまず注目したのは近藤十四郎「ワニとにわとり」20句である。なんか楽しい。明度がある。

ところで、俳句全般、私は解釈をしない、鑑賞もしない。ぱくりと飲み込むのみ。

ぐだぐだと言う気がないということもあるが、それより以前に、言えない。俳句について何かを言う語彙を持たない。もちろん、句会でよく耳にする語彙は、貧弱ながら持っているが、そんなことを書いてもしかたがないだろう。

もうひとつ言えば、俳句は、書いてあること以外を読んではいけないと考える。徹底して禁欲主義である。だから、解釈はあり得ない。17音かそこら、書いてあるとおり。それ以外には何もない。一方、鑑賞ということが味わうということなら、それは、言葉がすることではなくて、私のからだや頭や心がすること。言葉になどする必要がない。

だから、この「好き句」という記事も、ただ好きと書くだけである。褒めべたと言えよう。でも、しかたない。ほかに、こんなのも好き。

貧乏が葱を見ている日曜日   近藤十四郎(以下も)
ベンガル湾余波机上の流木
西高東低今朝の目玉焼よ
マネキンの股間はつるりクリスマス

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by tenki00 | 2005-06-05 01:38 | haiku-manyuuki

好き句56 菊田一平

荒海の音のぶつかる白障子  菊田一平

句集『どつどどどどう』のことをなぜ知っていたのかはわからない。このタイトルが耳鳴りのように、記憶の中にあった。だから、豆の木の合宿で、一平さんにはじめてお会いして、「はじめまして」と御挨拶したその次、私が口にした言葉は、「句集ください」だった。初対面の、なんだかわからぬ若造から、こんなことを言われて、一平さんはびっくりされたかもしれない。無礼千万、なにとぞ御容赦。でも、そんなことはおかまいなしに、紙片に自分の住所を書いて、渡した。

送っていただいた『どつどどどどう』はすぐに読んだ。気持ちよく読んだ。御礼の手紙には、しかし感想などは書かず、取り急ぎの御礼のみ、そして『チャーリーさん』、ロビン・ギルさんの「海鼠本」「蝿句本」を同封した。なんのいきさつか、一平さんは、海鼠本のことをご存知だったからだ。

さて、掲句。読んでからずっと今まで耳鳴りのように、私の中で鳴っている。旅情である。荒海、白障子は、やはり日常ではない。旅先で、一平さんがぶつかった空気だろう。あるいは、故郷の景か。故郷もしかしまた旅情のように遠いはずだ。
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by tenki00 | 2005-06-01 19:52 | haiku-manyuuki

好き句55 樋口由紀子

足の指ひろげてみるとペルシャ湾   樋口由紀子

なんだかすごく納得してしまうから不思議だ。

足の指をひろげるということ、それだけで世の中のおもしろいことの何割かが充満している。ちなみに、かみさんは、足の指ががばっと開く。その足を愛す。これはのろけの部類ではない。ロラン・バルトが日本の地で赤い消火栓を愛してしまったのと同じく、意味がしわくちゃになった、その死角のような場所で突然に陥る機微である。

ひろげた足の指。そして? ペルシャ湾である。ぱっかーんと、心の中の空気が乾ききる展開ではないか、これは!

掲句は、セレクション柳人13『樋口由紀子集』(邑書林)所収。

樋口さんが送ってくださったこの句集、数日前に届いた。多謝。まだ御礼の手紙が書けていない。
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by tenki00 | 2005-05-31 23:16 | haiku-manyuuki

好き句54 池禎章

ボケ始む枯野のような屁のような   池禎章

去年の冬に土佐国で禎章さんにお会いできたことは、私の一生の思い出である。あれから体を悪くされ、リハビリ中とかと聞いたが、こうして句に出会えるのが嬉しい。

そのとき土佐で、おみやげに買った鰹のたたきは旨かった。その同じ店から、あしたの浮御堂くにたち句会に、鰹のたたきが届く。お集まりの皆様はお楽しみに。お集まりでない皆様は、想像して、羨ましがってくださりませ。

掲句は『麦』2005年6月号所収。
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by tenki00 | 2005-05-28 23:22 | haiku-manyuuki

好き句53

劇場薄暑まなこは人の倍の数   小宅容義

そりゃそうだ句。このタイプが落ち着く。べつに特別のことを言ってもらわなくても、充分に気持ちがよい。「劇場」という設定がていねいで、また都会的でもあるわな。好き句。ところで、この句集、長いこと借りっぱなしになっている。そろそろ持ち主に連絡をとらなくちゃ。よ。

『牙門』(角川書店2004)より。
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by tenki00 | 2005-05-09 19:43 | haiku-manyuuki

好き句52

双六をあがりたる手で猫掴む   大石雄鬼

季節はずれだが、これ、一茶っぽい。一茶は好き。この句、大好き。

放火魔の話のなかを藪蚊過ぐ、玉葱に笑窪のありて腐りたる、夏障子破れて森が見えてをり なども一茶っぽい。雄鬼さんは21世紀の一茶かもしれんなあ。
 
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by tenki00 | 2005-05-01 00:27 | haiku-manyuuki

好き句51

来ることの嬉しき燕きたりけり   石田郷子

子どものときに暮らしていた家は父が建てた家で、そこに燕が巣をつくることはなかったが、向かいが祖父祖母の家で、その軒先には毎年、燕がやってきた。来ることそのものが嬉しいとしか言いようがない。それが燕だった。この句は、どきどきするほど嬉しくすがすがしい。

昨年、石田郷子の第2句集『木の名前』を買い、読んだ。それなりに気持ちのよい句集だったが、掲句や「背泳ぎの空のだんだんおそろしく」のようなどきどきする句は見つからなかった。洗練味を増した、といえばそうなのかもしれないが、「ちょっと物足りない」というのがこの第2句集への今のところの感想で、第1句集は複写でいいから手に入れて読みたいと思っている。
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by tenki00 | 2005-04-16 12:20 | haiku-manyuuki

好き句50

エリーゼの為に煩き花御堂  佐々木六戈

くにたちの桜ははんぶん散って、ちょうど「花は葉に」の時季。今朝、ドトールコーヒーの2階、大学通りに面した窓から「花は葉に」状態の大木を味わった。そういえば、この手の施設(コーヒー屋さんとか)の奇妙なBGMがずいぶん減った気がする。
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by tenki00 | 2005-04-13 12:53 | haiku-manyuuki

好き句49

父の思想の桜の国のラヂオ商  攝津幸彦

ラヂオ商はいまでいえばヤマダ電機やコジマか。徳島ラジオ商殺人事件は1953年。半世紀で世の中こんなに変わってしまうんだな。1953年は私たちの父がまだ若かった頃だ。どんな未来を思っていただろうと、想像しても想像のつかない想像をしてみたりも一瞬する。
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by tenki00 | 2005-04-09 11:46 | haiku-manyuuki