週刊俳句第77号に高校2年生から1年生の8句4作品が掲載されている。
週俳の読者はまず俳句を読み、それから何割かの読者は「執筆者プロフィール」のページで作者の年齢を知る。ここで誰もが吃驚するはずだ。もちろん、その吃驚の後は人によってさまざま。すでにブログ記事での反応もあった。 秀彦さんのブログ記事 「高校生俳句」 やまちあんさんのブログ記事 「素直に」 秀彦さんは、「まずはそのレベルの高さに「アッパレ」の賛辞を献上」したあと、「ただ、何だろうこの虚しさは」と、複雑な心情を披瀝されている。 はっきり言うと、このまま彼らがこの作風で句境を深めていけるとは、ぼくにはとても思えぬのだ。非常によくできている句の裏面に、べったりと貼りついた「俳句的常識」は、このままでは詩人にとって致命的な欠陥に成ると思う。 4作品の読後、賞賛の声を送りたい一方で、なにか不分明なもやもやした感じが残るのは、私も同様かもしれない。秀彦さんの用いる「俳句的常識」という語を、価値ニュートラルに(つまり肯定的でも否定的でもなく)用いるなら、4作品にそれを感じる点、私も同じだ(秀彦さんは「俳句的常識」を否定的に捉えている。蛇足ながら)。 私の言い方でいえば、くすぐり方を知っている。俳句のおいしいところをつまみ出すコツをすでに身につけている。でも、読者を揺さぶったり、当惑させたり、という、俳句のコクみたいなものは、きっと希薄なのだろう。 しかし、俳句のコツを身につけるのだって、苦労するのだ。何十年やってもコツを呑み込めないまま終わる人もたくさんいるのだろう(もちろん自分自身を埒外に置かずに言っている)。あるいは、くすぐってさえくれない、退屈な句は腐るほどある。名のある作家と言われる人たちでさえ、だ。それを思えば、週刊俳句に掲載された高校生の、気の利いて良質な作品の価値は、もうそれだけで充分とも言える(*1)。 ま、それはそれとして、秀彦さんの記事のなかで、私が違和感をもったのは、先に引いた部分の前半、「この作風で句境を深めていけるとは(…)思えない」という部分。 「句境を深める」とは、どういうことなのだろう? 私には俳句的クリシェ(常套句)以上のものには思えない。「句境」とか「深める」とかといった語は、内容の検証もなしに、ただ慣用的に使われているだけではないのか。その意味でクリシェ。 秀彦さん自身、クリシェ的に筆が滑っただけのか、それともそこに確たる内容があるのか。それは不明だが、仮に具体的な内容を持つものだとしても、「句境を深める」かどうかは、彼ら自身が決めることだろう。 秀彦さんは、彼ら高校生の「将来」に思いを到らせる。心情は理解できる。俳句世間は超高齢者社会。20代、10代の俳句愛好家が現れると、そこに「未来」を見て、彼らがこれからどんな俳句をつくっていくのか、といった「展望的」な心情に包まれがちだ。 しかし、それは、私には「余計なお世話」の思える。既存の俳句世間に取り込むことはない。 期待をしてはいけない、とは言わないが、それは「読者」としての期待という範囲を越えてはならない。私たち年長者(年寄り)は、彼らの指導者でもアドバイザーでもない。もしそうであっても、これからどうするかなんて、自分自身で決めるだろう。 秀彦さんは「今は評価よりこれからの変容を見つめたいと思う。」とおっしゃるが、そんなことをいま言ってしまっていいのだろうか。何年か先の彼らの俳句を見届けると、いま約束していいのか。それにはかなりの労苦が要る。彼らの書く俳句をどうやって追いかけるのか(*2)。 やまちあんさんが言うように、「これから、彼らがどんな俳句を作っていくのか、いや、もしかしたらやめてしまう子だっているかもしれない。ただあるのは、これらの句を彼らが作ったという事実だけ。」なのだ。 一方、彼ら十代の俳句作者の気持ちを、わからないまでも想像するに、若さ、年齢を前提に評価されたいなんて思ってはいないだろう。週刊俳句は、十代の俳句を扱う場所ではない。ここに寄稿する人の年代はさまざまだ。そこに俳句を出すということについて、「この若さで!」などという前提付きの評価、前提付きの吃驚仰天を欲して、俳句を書いたのではないと想像する。ひょっとしたら、年齢など明かさずに、前提なしに読者と相対したいのかもしれない。 いま、この句を書いた。読者の前に、俳句がある。 それだけなのだ。将来を見越した「発展途上」の若者の俳句として、あの場所、週刊俳句第77号の誌面にあるのではない。他の号に掲載されたベテラン作家、名の知られた俳句作家と同じ土俵に載った作品群なのだ。これは第76号、同じ高校生である越智友亮さんの10句作品も同じだ(*3)。 4人の高校生、また越智さん。彼らを十把一絡げに扱うような内容になったのは、話の行きがかり上とはいえ、失礼なことになった。陳謝。拝読して、好きな句がいくつもあった。 「読ませてもらって、ありがとう」 読者として御礼を言っておかねばならない。 (つづく) (*1)しかし、今回私たちが目にしている俳句作品が、十代俳人の全体の傾向をあらわすものかといえば、そうではない。例えば「学生俳句大会」でgoogle検索してみればよい。高校生や大学生の入賞作のいくつかがすぐ見つかる。それらと、今回、ここで話している週俳誌上の高校生の俳句とは、まったく別物だ。良否とかレベルを軽々語るべきではないが、ともかく別の場所にある俳句と思ってよい。背景にある「俳句甲子園」の存在はやはり大きいと思わなければいけない。 (*2)「将来、どんな俳句をつくっていくのか」に注目するといった発言は、例えば、賞の審査や俳句総合誌の句評で目にする。そのたびに、「そんなことを言ってしまっていいのか」と驚く。句座を共にするならいざ知らず、ある俳句作者の将来の作品を、その人はどのようにして読んでいくつもりなのだろうか。自然に自分の目に触れてくる俳句を読むだけなら、注目とは言わない。「大きな覚悟の要ることばを、そんなに軽く言ってしまっていいのか」といつも思う。 (*3)「高校生の作品」という枠組は、週刊俳句の編集サイドの企画意図には、もちろんはっきりある。どんな作品が入稿されるかは、当日になってみないとわからないが、読者に好感・高評価をもって受け入れられる作品であることが編集サイドの喜びでもあろう。これは他の10句作品も同じであるはず。
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