俳句漫遊記129 黄金時間

夏の川ゴールデンタイムちらちらす   こしのゆみこ


ゴールデンタイムとは微妙である。いまなら「ゴールデン」と略して、テレビの内で外で、みんながみんな「業界関係者」のような口ぶり。だが、かつては違う。「ゴールデンタイム」という奇妙に安っぽいカタカナ語で通っていた。

映画が娯楽の中心だった時代を私は知らない。子どももおとなもラジオを聴いていた時代を知らない。けれども、テレビなら知っている。物心つく前にテレビが我が家にやってきて、小学生だった私は、本やマンガを読んだり山や野で虫をつかまえたりするのと同じノリでテレビにかじりついては叱られた。日本が中途半端に貧しかった時代。その前の世代はきちんと貧しく、そのあとの世代は貧しくなんかなかった。そうした中途半端さ加減の微妙さでもあるのだ、ゴールデンタイムという語のもつ微妙さとは。

この句の「夏の川」は、家と家が寄り添うなかを流れる川だ。俳句に多く詠まれる「夏の川」とはずいぶんと趣が異なる。7時台、8時台、日が落ちて間もない、夜が始まったばかりの時間。この川には、なんだか妙なゴミも浮いていそうだ。そして「ゴールデンタイム」という素っ頓狂な呼称を与えられた「時間」がちらちらとする。

この句は普遍的ではない。固有の世代、固有の生活者の痛点をついてくる。普遍的な句はエラい。みんなが褒めそやす。この句はエラくない。褒められようともしていない。けれども、私がなんの拍子か深く愛してしまうのは、こんな句だ。


週刊俳句第10号「週俳6月の俳句を読む」より再録


掲句は『豆の木第12号』(2008年4月)所収。
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by tenki00 | 2008-05-02 11:47 | haiku-manyuuki
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